EX3-24

「ダウト」
「え?」
 正しく『きょとん』という表現が似合う相手の表情に、どうしようもなく気分が沈んでいく。
「本当に優しい奴は助けた後で、助けた事をこんなにも後悔したりするもんですかね?」
 下らない問い掛けに対し、隣で律儀に息を呑む音が聞こえた。
 冷ややかな笑みを漏らす。
「―――しないと思いますよ」
 自問の答えは声に出さずとも分かりきっている。さらに言うなら他人にそれを伝える必要も無い。それでも音として紡ぐ作業は止まらないのは心が弱っているからだろう。
「ただの当て付けで、善意の欠片も無い」
 それはそうだ。最初から善意なんて高尚な精神は持ち合わせていないのだから。
 別にあの子どもがどうなろうがどうでもよかった。より正確に言うなら興味が無かった。
 泣こうとも、喚こうとも、誘拐されようとも、不幸な事故で死んでしまおうとも、興味が無い。
 可哀想だねと思う心はあってもそれ以上、響くものが無い。

 偶々と偶然と、不幸と幸運の四つの要素があれば世界は回る。
 あの子どもは偶々、運良く『誰でも無い誰か』に手を差し伸べられただけに過ぎない。
 別に自分でなくとも構わなかった。自分がああしなければ遅かれ早かれ他の誰かがそうしただろう。
 偶々の不幸と偶々の幸運。
 偶然の不幸と偶然の幸運。
 絶対で必然の普遍的な普通なんて在りはしない。
 そう知ってさえいれば諦めもつく―――はずだった。
 それなのに身の裡で揺らめいた感情は浅ましい怒りだった。

 その命を差し出せとまでは言わない。
 でもただ一言、声を掛けることくらいは出来たはずだ。
 そうすればあの子どもは救われただろうに。
 小さな優しさと気遣いの二つがあれば世界は正しく回るのに。
 世界がソレ自体を否定しているのかと思うと心が軋んだ。

 再び冷笑を浮かべる。
 ナニを言っているんだろうか、自分(オマエ)は。
 ヒトの言う正しさが、本当に正しかったことが今までして一度でも在っただろうか。
 隣人を愛しながら、嫉み、殺し。
 それでいて平和を願い、説いて回り、また殺す。
 同族を殺すことを禁忌とし、禁を破った者を罪人としながら、しかしまた殺す。
 なぜなら世界がソレを望んでいるから。
 そう、あの場所で声を掛けなかった奴等は正しくは無いかもしれない。けれどソレこそ世界が望んだ正解だ。
 だから―――
「『何もしないお前等よりも、動いた俺は上等な人間だぞ』と。下らない優越感に浸りたいだけのただの阿呆だ」
 それは優しさとは違う。
 下らない義憤に駆られて。幼子を出汁に捌け口として利用したに過ぎない。
 義憤に駆られて動ける内は、まだまだ俺も子どもかなと、客観的に思う。大人になれば失えるのだろうか、とも。
 それとも大人になれば本当の正しさを身に付けることが出来るのだろうか。
 帰納法的に考えて無理だろうなと、向上心も無く結論に至る。

 優しいヒトだと。そう思われるくらいならカミングアウトしてしまった方が気は楽だ。
 近年、普段周りに居る人達が自分に対して間違った判断を下すことが多い。
 最初の頃は一々に否定していたが、いつの頃からかそれも面倒になって、そして流すようになっていった。
 流すようになって、流されて、それが心地良くて
「―――」
 今のこの汚泥のような忸怩たる気持ちを忘れない様にしよう。
 でないと、いつかきっとまた間違いを犯す。
 心地良かったと。そう思える記憶があるだけで僥倖だ。

 他人の事なんか分かるわけがない。分かって欲しくも無い。そう思う。
 理解を求められる度に、『他人の事など分かるわけがない』と言って捨ててきた。
 その報いがこの感情だとしたら本当にいいザマだ。
 こんなドロドロに濁りきった醜悪な感情が分かる奴の方がどうかしている。

「黒河君は・・・・・・」
 発した声が乾いていて、それを湿らす為に一度言葉を切った。
「黒河君は本当に十四歳ですか?」
 脈絡の無い問いを訝りながら
「まだ誕生日は来てないですから十三です」
「―――歳の割りにとても老けて見えますね」
 大きなお世話だと思いながら反論する。
「・・・・・・せめて老成してるって言ってくれ」
 その言葉に小さく笑い声を響かす。そして
「穿った考えだとは思いますが―――悲しくは、ないんですか?」
 信じられない事が。信用しない事が。生きる上で。
「どーだろうね? 悲しんじゃない? 客観的に見て。でも、ま。代償でしょ?」
「代償?」
「力の」
「―――」
 無言の促しに
「力があるとですね? 寄ってくるんですよ。下らないのが」
 それは幼いと言える頃からの経験だ。そしてその力は並どころか桁が外れていた。だから
「利用しようとするか、危険視するか。まぁ、大体はそのどちらかに分別できます。稀に腕試し感覚で寄ってくるものいますが―――紫藤さんみたいに」
 毒を含めた言葉に、隣に座る女性は身を竦めたが無視して続ける。
「どーなんでしょうね? 唾棄したいほど下らない考えに囚われているのは、やっぱりもそれも呪いでしょうかねぇ?―――悲しいと先程言いましたがそれよりは『滑稽』もしくは『惨め』だと思いますよ?」
 横で戸惑う気配に、冷めた気持ちで申し訳無く思う。
(こんな話されてもなぁ・・・・・・)
 他人の重い話を聞いたところで愉快な気持ちになれはしまい。
 それこそ自分がその立場なら『分からない』か『知るかボケ』が感想だ。
 普段なら吐露しない胸の内を口にしてしまったのは、やはり自己同一性が不安定なせいだろう。
 低俗な話に付き合わせてしまったことを謝罪してさっさと帰ろうか。
 それとも詫びの印として何か貢いだ方がいいのかなと思考に没頭しかけた瞬間、けたたましい警報音が鳴り響く。
「「!?」」
 同時に立ち上がり、臨戦の構えを取る。
 背中を合わせて死角を消し、五感と力場(フィールド)をフルに活用して情報を収集する。
「これは・・・・・・」
「妖物の出現時に鳴る警報音、ですよね?」
 だがナゼ?
 昔とは違い、楔形(せっけい)型封印術式の発展に伴い森以外での妖物の発生は激減している。
 そしてこういった人が多く集まる場所には特に発生し難くなるよう、あらかじめ穢れ祓いを行っている。
 それでも絶対に『無い』とは言い切れない。
 だが偶然で片付けるよりは作為的な『何か』を勘繰ってしまう。
 少なくともそう思う程度には十分な実績がある。
「―――」
 閉鎖された空間での混乱は原因そのもの以上に厄介な問題を孕む。
 恐慌状態で統制の取れない大人数。考えるだけでもゾッとする。
 事実、周りに居た一般の客は何事かと戸惑った空気が流れ始めている。
 そこへ間が悪く、階下から咆哮と悲鳴が届く。
 すでに被害が出始めているらしいことを悟り覚悟を決める。
 独断専行だと後から文句を言われるだろうか?
(ま、動かなかったら動かなかったで怒られるでしょうし)
 どっちもどっちかなと溜息混じりで結論する。その上で
(どうする?)
 救い上げるものと切り捨てるものと。
 何を優先とし、何を遺棄するのか。
 最善の道と最良の策。その中で得られる最適解を元に
「―――紫藤さんは避難路の確保と一般人の保護を優先して下さい」
「黒河君は?」
「秒単位で妖物の数が増えています。恐らくこの建物のどこかに『何か』があるはずです。それを押さえます」
「分かるのですか!?」
「位置が、と言う意味でなら目星は付いています」
「・・・・・・それもですが、こんな場所で妖物の気配だけをよく追えますね」
 呆れの混じった口調に対し
「ちょっとしたコツです。力場検索(フィールド・サーチ)のときにフィルターを設定してやればいいんですが、長くなるので説明は割愛します」
「いつか、ご教授願えますか?」
 親しみを込めたような問い掛けに
「・・・・・・機会があれば」
 出来ればそんな機会は無ければいいと、そんな気持ちで応答する。
「それではお気をつけて。くれぐれも避難路の確保を最優先でお願いします」
「―――心得ています」
 人命を最優先に、などと押し問答をしないぶん冷静な判断を下せていると思う。
 動き出した事態は、すでに死者無しでの終息が不可能な事を予感させている。
 悠長に話をしているように見えて、しかしその数十秒の時間を惜しみ初期コンセサンスを誤れば、その後は大概ロクな事にならない。長年の(よしみ)でもあれば阿吽の呼吸か以心伝心でいけるのだろうが、それは望むべくも無い。
 ただ同じ仕事を生業としているから少ない言葉で意思の疎通が出来るだけだ。
 互いに必要な情報の共有を終えたことを、頷き合うことで最終確認とし別れる。
 彼女は一階へ。自分は四階へと。
 急ぐ。



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