EX3-28

 空腹で目が覚める。
 普段なら眠気の方が勝る所だが、さすがに激しい運動と出血のダブルパンチだとそうもいかない。
 しかも成長期ですしねーと、余り伸びてない自分の身長を密かに心配してみる。
 月明りに浮かぶ見知らぬ天井に参ったなーと独りごちる。
 昼飯も晩飯も食いっぱぐれたか。
(残り物とか分けて貰えないかなー)
 いっそカップラーメンでもいい。
 数秒間思案して、行動に移すのは諦めた。
 分かってはいた事だが、朝の様子からして自分の立場は非常に微妙だ。
 腫れ物に触る様な扱いにむしろ肩透かしを食らった気分。
 客人としてよりも扱いはぞんざいで、家人としてよりも他人行儀。
 チキンな自分としてはどんな陰険ないびりがあるかと戦々恐々していただけに何事も無く終わって胸を撫で下ろした。
 お茶の中に雑巾の絞り汁が入っていたらどうしようと本気で心配したのも今は昔。
 そう言った中で飯を頼むのは気が引ける。借りを作りたくないというのも理由の一だ。
 そんな訳で布団から抜け出し、月の光で薄く縁取れた自分の影に手を突っ込む。
 ごそごそと中を漁ってみる。いい加減この中も整理が必要そうだ。
 時間を掛けて引っ張り出したのはなんとバナナ!!
 いやー、美味しそうですねー。見て下さいよ、この色!! ちょうど食べ頃じゃありませんか。
 うわー、丁度今お腹空いてたんですよー。
 じゃぁお一つどうぞー。
 まぁ、一本しかないんですけどねー。いただきまーす。
 脳内寸劇の先にバナナの皮を剥いて食べる。
(うん、バナナだ)
 特に形容すべき点の無いバナナ。食べ頃といえば食べ頃だが、それだけだ。
「・・・・・・」
 コメントに困る。
 最近、ボケスキルの低下に歯止めが掛からない。由々しき事態だと認識しておこう。
 とりあえず食べ終わり、残った皮の処遇を考えていた所へ前触れも無く障子が動く。
「・・・・・・何してるの?」
 敷居の向こうから訝しげな声を出すのはお嬢サマ。
「小腹が空いたのでバナナを食べたら、その皮をどうしようか迷ってた所」
「・・・・・・そのバナナどっから出してきたの?」
「企業秘密で」
「―――」
 なんだ、その胡散臭げな眼差しは!! 手の内をホイホイ見せるほど安くないぞ!!
 等と言う言葉は飲み込む。
「お腹空いてるんなら、夜食位準備させるわよ?」
「・・・・・・いえ、結構です」
 靡き掛けた心を踏み止まらせる。こんな事で借りを作ってどうする。
「そう?」
 と特に気にした風でも無く流された。ちくしょう、なんか損した気分だ。
「んで、なんか御用でしょうか?」
「用が無ければ来ては駄目かしら?」
 そう言って微笑む相手に微妙な顔を返す。
 そこは普通悪いでしょう、立場的にも時間的にも。
 そしてそれを察することが出来ないほど頭が悪いヒトではないのだ。逆に察しているはずのヒトがここに来る時点で碌でも無い用事が降ってきそうなので微妙な顔を返す羽目になる。
 こちらの心中を察したか苦笑に言葉を繋げる。
「冗談よ、そんなに警戒しないで。―――客人が怪我をしたんだもの。様子位気にはなるし、主人が何もしないのは名折れだわ」
「へー俺、客人扱いだったんですかー。―――初耳だなぁ」
「あら、聞いてなかったの?」
 くそ、惚けてきやがった。
「呼び出し喰らって、訪ねに行って、いきなり斬りかかれたら、そりゃぁ客人だと思うには無理があり過ぎでしょ?」
「まぁ、正式な客人じゃないしね」
「どっちだよ・・・・・・」
 ゲンナリする。
「次からは穏便にするよう手配しておくから心配しないで」
「そういう気遣いは最初からお願いします」
 何が悲しくて呼び出し喰らった挙句に死に掛けねばならないのか。
 というか次があるんかいと、心の中で密かに突っ込む。
「気遣いで言うなら、主人を部屋の外に立たせておくのが客人の礼儀かしら?」
 不敵な声での問い掛け。
 アンタにだけは言われたくねぇ!! つーかそれ言うなら障子開ける前に声掛けようよ!?
 いかん血圧上がりそうだ。
「・・・・・・本日は御足労頂き誠に恐縮なのですが、私奴の方から日を改めて参上致します故、今は平に御容赦頂けないでしょうか?」
「あら、どうして?」
 含みのある笑みで尋ねてくる。それを俺の口から言わせたいか。
 建前と本音と。どちらを使おうか悩み建前を使った所で埒が明かないと諦め、本音に近い部分を語る。
「痛くも無い腹を探られるのが不愉快なだけです」
 このお嬢サマは暇潰し位の感覚でこっちを呼び付けているんだろうが、それを万人が快く受け止めているとは限らない。むしろ面白くないと感じる者の方が多いだろう。
 特に多感なお年頃の少女の行動には目を光らせる必要がある。
 厄介なのはその必要性を無碍にできない立場にこのお嬢サマが立っている点だ。
 それなのにどこの馬の骨とも知れない男と密会を重ねていると思われるのは心外だ。そうなれば面倒な輩が湧いて出てくる事がありありと想像できて嫌過ぎる。

「ふーん。まぁ君の意見は了承したけど、ここは我を貫かせて貰うわ」
 そう言ってズケズケと部屋に踏み込んでくる。とは言え足音は静かで、後ろ手で障子を閉める時も一切音を立てない立ち振る舞いは、やはりお嬢様だ。
 部屋を見回して適当な場所が無かったからか、あろうことか布団の上に座る。
「・・・・・・」
 自分の立場を理解しているんだろうか、この女性は。
 否。理解した上で遊んでいるのだ。
 溜息を一つ吐いて、湧き上がる怒りを一旦飲み込む。あのですねぇと前置きをしてから
「貞操観念大丈夫か?」
 礼節を排除した不躾な問いにも不敵な笑みを返してくる。
「どういう意味?」
 いつか犬にでも噛まれてしまえと穏やかでない胸中で呪ってみる。流石に本心から呪ったりは出来なかったが遊ばれているという苛立ちは拭いようがない。
 なんだかなぁと。いい加減この家の連中に払う敬意にも底が見えてきた。
「夜更けに女性が一人で男の部屋を尋ねるんじゃありません」
 例えそこに間違いが起きずとも、下世話な想像をする奴も居れば、下衆な勘繰りをする奴も居る。
 何故世間は赤の他人にそこまで無駄な干渉を行えるのか。
 今日の昼間のように困っている人間に手を差し伸べることは出来ないのに、貶める行為にだけは嬉々として手を伸ばす。まぁそれが大衆娯楽の醍醐味だと言われればそれまでだ。

 珍妙な生物でも見たかのような目で
「君って考え方が・・・・・・古風?」
 ひねり出した感想がそれかと息を吐いて肩を落とす。
「俺が古風なんじゃなくて、現代の若人が前衛的過ぎるの」
 特に最近の恋愛賛美の風潮にはうんざりする。
 極個人的な感覚からすれば、微妙な年頃の男女を夜更けに寝所に放り込んでおくなど正気の沙汰とは思えない。そしてそれは世間一般の感覚からもそう外れてはいないはずだ。
(御付きの人は何処行った?)
 主の奇行を停めたり諫めたり出来ないような奴を傍に置くなと言ってやりたい。
(まぁ変態ばっかりの家だしな)
 しょうがないかと諦めの極致で思う。
「んで、何の御用? 様子見だけならもう充分だろ」
「そうね・・・・・・」
 言って曇った笑みを浮かべる。
「君の顔をちゃんと見ておきたかったの」
 何故と、理由を尋ねそうになる声を飲み込む。聞けば面倒な事に巻き込まれそうな気がしたからだ。
 そんなこちらの様子を察したのか小さく苦笑を漏らす。
「優しくないなぁ」
 拗ねる様に言って布団の上で足を崩し、こちらにも座れとジェスチャーで示す。
 見下ろすのも礼を欠くかと思う反面、指示に従う事への反発も生まれる。
 折衷案として胡坐をかいて行儀悪く肘をつく。
 それを見て苦笑を浮かべる年上の女性の姿態に気付き、不機嫌を表す要領で顔を背ける。
 女性らしい丸みも、浴衣からのぞく足首も。思春期の男にとっては目の毒だ。
 無自覚で無防備なのか、誘われているのか。
 食虫花や毒蛾のような危険なイメージは無い。もし清廉な色気というものがあればこういった時に使うのだろうか。それともそれすら計算の内か。
 どっちにしろ手を出した時点で人生詰むん(アウト)だろうなと、冷静に思慮を重ねる。

「ちょっとね、愚痴聞いてくれる?」
「・・・・・・どーぞ」
「ありがと」
 そう言って小さく微笑むが、その顔がすぐ曇る。
「今年で私も十五、来年には十六になるわ」
「当然でしょ?」
 そこに何の疑問の余地が? むしろ年を取らないほうが異常だとそんな風に思ったら睨まれた。黙って聞けと言う事らしい。
「―――」
 無視して続ける。
「で、私たち位の立場になるとどうしても結婚の話が上がってくるの」
「・・・・・・らしいですね」
 義母がそんなことを言っていた覚えがある。
 人権意識の高まりから余りにも当人達の意思を無視した婚姻関係を結ぶことは現代以降では稀になったらしい。
 ただ産めや、増やせやではないにしろそれに近い風習があるとか。
 また現実問題として人手不足が深刻なのは紛れも無い事実だ。
 妖物と戦っていくということは、ただ斬り合い殺し合うだけの戦いでは無い過酷さがある。
 その性を血に刻みこんで行くように。
 子を産み、育て、その子らが一人前の狩人として成長するには長い時間が掛かる。
 そして運が悪ければ一瞬でその命は消える。
 妖物を退治するという能を持った集団を維持していくには、現代の価値観とはそぐわない部分が多々ある。そもそも年々その規模は衰退傾向にある訳で。
 それでも、そうしなければ守れないモノがあるのだと。
 頭では理解している。けれど同時に反吐が出そうになる。
 己一人の感情が、先人たちが命を賭して守ってきたモノを否定することは、もしかしたら許されるのかもしれない。
 だがそれを理性で否定してしまったら。
 きっとまた、同じ過ちを繰り返す。
 目の前の少女が親と引き離された過去に似た過ちが。

 養親のことは信用しているし、尊敬もしている。
 それでも二人の結婚の仕方には疑問を挟む余地がある。
 若さゆえの過ちと言うのは簡単だ。だがその失敗が尾を引いて一人の少女を苦しめている。
 その時がどんな状況だったのかを自分は知らない。知ろうともしていない。だから部外者のままで、そしてそれでいいと思っている。
 盲信するだけが信頼ではない。無謬であることなど早々出来はしまい。
 正しさなんて曖昧だよなと心の隅で思う。その時の最善が、その後も最善とは限らないのだから。

 少女は大きな溜息を吐く。
「あーあ、憂鬱」
 家出でもしようかしらと不穏な発言に半目を返す。
「実行に移すかどうかは、お嬢サマの勝手だけど周りへの迷惑だけは先に考えてからにしてくれ」
「冷たいなぁ。―――美人な女の子が困ってたら手助けを申し出てもいいんじゃない?」
「自分のことを美人とかいう女は基本信用ならん」
「乙女心がわかってないなぁ。可愛い冗談じゃない」
 唇を尖らせる相手に、そんな難解な心、分かって堪るかと内心で返す。
「そもそも何でそんな話を俺に振る? もっと適当な相手がいるだろう。紫藤さんとか」
 困ったのと寂しそうなのと、その両方が混じった顔で答える。
「京はいい子なんだけど、どうしても忠実だから・・・・・・」
 『何に』忠実なのかは聞かぬが花か。
「というか紫藤さんの方が年上では?」
「そうなんだけど、京ってば可愛いのに凛々しくて、それでいて時々信じられないようなドジ踏むから、手の掛かるお姉さんって感じで」
 何を思い出したのか余り品のよろしくない笑みを浮かべる。
 お二人の仲で愉快なエピソードをお持ちのようだ。
 聞いてみたい気もするが、蛇が出てくると嫌なので藪をつつくのは止めておこう。
「話を戻すけど、最初に言った通り愚痴なの。―――嫌ではあるし思う所も多いけど、だからと言って逃げ出すつもりは無いわ」
 そう言って微笑む姿に僅かな畏敬の念を送る。上に立つ者の責務を、不完全かもしれないが十五になろうかという少女が身に付けているのは驚嘆に値して然るべきだ。
「でもやっぱり駄目ね。強がってみても少し弱気になってる」
 力無い笑みと共に視線が一度下がる。そしてその視線が上がった時、黒い瞳は濡れたように深みを増していた。
「ねぇ、この際だからもう一つお願い聞いてくれない?」
 甘い囁き。障子の奥から差し込む月光が同時に儚さも印象付ける。
「・・・・・・先に内容も言わずに約束を迫るのは卑怯だ」
 普通の少年か、もしくは少しでも思慕の情念があったなら。少女の願いを二つ返事で聞き入れただろう。
 先手を打つ。
「俺の自由意思を穢さず、面倒事でなく、それでいて利益に繋がる事なら手を貸す」
 そうでなければ断ると言外に含ませて睨む。
「そう悪い話じゃないはずよ」
 そう言って笑う顔はどこか退廃的で、本能が警鐘を鳴らし始める。
 警戒を強めるこちらに向けて一言。

「抱いて」

 予想もしていなかった言葉に息を詰めた。
 廉潔な娼婦が男を誘うのだとしたらこんな笑みをするのだろうか。それとも遊郭に身を落とした姫か。
 そんなチグハグ感が逆に抗い難い誘惑を生み出す。
 鈴を転がしたときのような涼やかな笑い声に頭がクラクラする。
 妙に冷静な部分がハグって意味じゃないよなと疑問を呈するのは、きっと混乱しているからだ。
 気が勝手に昂るのは警戒しているからだと自分に言い聞かせる。
 色欲に呑まれて消えそうになる理性に思考を挟む。
(盛った猿じゃあるまいし!!)
 葛藤するこちらへ、痺れをきらしたかのように差し出された繊手。
 空いた右手は浴衣の帯を解き、そのまま自身を抱くように胸の下に回される。
 下から持ち上げられ強調される丸みから強引に目を逸らす。
 年頃の少年らしくエロ思考で暴走しそうになるのをギリギリで抑える。
 いや、それよりもこんなにも強い情欲が自分に眠っていたのかと今更に驚く。
(あ、・・・・・・)
 抱けば折れてしましそうなほど細い腰も、たわわに実った果実も、優美な曲線を浮かべる脚も。
 気付かなければ流されて、欲望を曝け出したかもしれない。それくらいに艶やかで妖しく、美しかった。―――そう、気付かなければ。

「止めときましょうよ」
 冷めた声で返せば妖艶な笑みと共に疑問が返ってくる。
「あら、どうして?」
 まだ茶番を続ける気なのか。苛立ちが声音に現れる。
「言ったはずだ。俺の自由意思を穢さなければと。これ以上、白を切るなら二度とそっちの要請には従わない」
 そもそも、自分はアルバイトだ。
 本職とアルバイトでは立ち位置が違う。
 それは責任の重さであったり給与の違いであったり様々だが、それは自分にも当てはまる。
 命の恩人が困っているから手を貸しているだけであって、この仕事に固執する理由は特にない。給与の高さはとても魅力的ではあったが、その分、危険度はピカイチだ。
 嫌なら辞めてしまえばいい。そうすれば少なくともこの家からは縁が切れる。
「―――いつ気付いたの?」
 悪びれもせず聞いてくる。
「その前に帯を締めろ」
 冷静に取り繕ってはいるが、言うほど思考に余裕があるわけでは無い。左手に宿る異能『天使の呪い(エンジェル・カーズ)』が使えれば簡単に切り抜けられる局面ではあったが、ずっと調整中のまま実用には今一歩足りていないのが現状だ。
 救世主ではないただの『黒河修司』に『魅了(チャーム)』や『誘惑(テンプテーション)』に類する術を掛けてくるとは露程にも思わなかった。
 少し危機管理意識を改めなければならないのかもしれない。

 不満そうなのと残念そうなのと。それに僅かな安堵を加えた複雑な表情で帯を締める。それと同時に妖しい空気は嘘のように霧散した。
 これでいいだろうと視線を寄越してくる相手に対し、息を吐いてから口を開く。
「最近の俺がいくら情緒不安定だからって、流石にあの盛り方は不自然だ。だったら後は疑問に思うだけだろう? 『これはおかしい』って」
 そう、もっと時間を掛けて気分が傾いていったのなら気付けなかったかもしれない。
 娼館に出入りしていた時期でさえ、性欲を不満の捌け口にしようとは思わなかった。
 それは精神的な余裕の無さが理由でもあったし、肉体に干渉された精神であってなお、未熟だったというのも理由である。さらに言うなら大人の汚れた遊びに嫌悪感を抱いていたのも理由だ。からかわれ意地になっていた部分もある。
 好奇心から手を出すかとも思われたが、残念ながら生々しい情報が外部記憶領域に混じっていた為、だいたいそれがどんなモノか理解出来てしまっていたが故にそれも無かった。まぁ最大の理由は自分のヘタレさ具合な訳だが。

「なるほどね。つまり私の敗因は詰めを急ぎ過ぎた事か」
 次はもっとじっくりやらなくちゃと聞き捨てならない科白に微妙な視線を返す。
「勝敗の問題でもないだろうに」
「どうして? 狙った獲物を狩りきれないのは、その狩人の腕を含め駆け引きが下手だからよ? 読み合いで負けてるようじゃ、後は運に頼らざる得なくなる。それじゃぁ、勝ちを拾うのは難しいわ」
「―――」
 もはやどこから突っ込めばいいのか。考え方は納得できるのに、こんなに同意し辛い理論も珍しい。
 とりあえず自分が狩られる側だということは理解出来た。貞操を守る為にもなるべく近づかないようにしよう。
 君子は危うきに近寄らず。昔の人は良い事言った。

「あ、でもちょっと待って。盛ってたてことはもしかして結構、ヤバヤバだったりした訳?」
 からかい混じりの問いに仏頂面で
「ノーコメント」
 それは半分以上答えになっている訳だが意地を張る。案の定
「ふふふ。そうか、そうか。つまり私に魅力が無い訳では無いのね。自信を無くすところだったの」
 嬉々とした笑みに苦い顔をする羽目になった。
 そんなこちらを楽しそうに見遣っていたが
「だって癪じゃない?」
 唐突に放たれた言葉は
「結婚相手を勝手に決められてさ。私の自由はどこだーって叫びたいよ」
 だから
「腹癒せで、俺相手に純潔を捨てようと? バカじゃないのか?」
 まじまじと見つめられる。
「純潔って・・・・・・さっきといい、今といい。君って結構古風だよね?」
「放っとけ」
 ケチ付けるのはそこか。敢えて直接的な表現は避けて言葉を選んでいると言うのに、こちらの気遣いは通じないらしい。
(まぁ、気遣われるのが当然の身分だしな)
 そこはしょうがないかと諦める。
(それと、あとすまん。スルーされたから言いそびれたけど純潔よりも操とか貞節って言うべきだった)
 純潔であるかどうかの質問に対しての回答は、すなわち女性としてどういう状態であるかを示唆する。今回、お嬢サマは回答に言及していないが十分デリカシーに掛ける質問だった。
 心の中でちょっと反省。

「そもそも、なんで俺?」
 散らすだけなら、その辺のでいいじゃんと思うのだ。
 会って二回。顔見知り以上、友人未満という薄い間柄だ。友達の友達の兄弟くらいには薄いと思う。赤の他人よりは辛うじて上、程度だろう。
 いくら箱入りとは言え、それより親しい異性はいるだろうに。
 それとも赤の他人との方が後腐れなくて気楽なのだろうか。
 気楽という感覚には同意できるが、良く知りもしない相手に触れられるのは気持ち悪くないだろうか。
(俺なら嫌だけどなー)
 理屈抜きで。別に潔癖症のつもりもないけれど。理解し難い感覚だなと思う。
 そんな事を内心で考えながらお嬢サマを見る。
 んー、と人差し指を顎に当てて考え込む仕草は、どうやら深い理由では無いらしい。
「強いて言えば、お爺様並の強さを持っている事と、責任を感じて今後、無茶なお願いも聞き入れてくれそうなとこ」
 何だ、その妥協に妥協を重ねた物件選びみたいな理由は。
 別に甘い理由を期待した訳でも無いけれども、どんな顔をすればいいのか困る。
「顔は悪くないけど、家柄と権力とお金が無いのは残念よねぇ」
 と追加で扱き下ろしてくれた。
 要するに真面に取り合うと疲れるだけだと分かった。
「分かってないなぁ・・・・・・」
 今度は溜息。本日、何度目の駄目出しだろうか。
「あのね? 体が出来上がってないのに君はお爺様と張れるのよ? それは君が思っている以上に貴重で得難い逸材なの。分かる?」
「分かるか、んなもん。そもそもこの力は俺の物であって俺の物じゃない。それ以上にお前らの物でも無い。勝手にお前等の共有財産みたいな言い方するな」
「例え君がアルバイトであっても、少なくとも勤めている間は組織の財産よ。―――ほら、人財ってよく言うじゃない」
「左様デ」
 絶対いつか辞めてやると心に誓う。
「だいたい、成長を期待してるみたいな言い振りだから先に白状しとくと、伸び代なんてほとんど無いからな?」
「そうかしら?」
 しばし無言で睨み合う。お互い言い分を譲らぬ姿勢に先に息を吐いたのはお嬢サマだった。
「まぁ、そういうことにしとくわ。時間が経てば自ずと答えは見えるでしょうし」
「―――」
 さてと、と言って腰を上げる。
「そろそろお暇するわね」
 さっさと出て行けと念を込め無言の視線を送る。
 障子を開け、あと一歩で部屋から出ていく直前に振り返る。
「ねぇ、穢れ無き乙女って純潔を表す言葉だけど、唇を許す事すら穢れと認識される場合があるって・・・・・・知ってる?」
「知ってる。現代においては非常に希薄な観念であると言わざるを得ない上に、そう言った認識は廃れきってるけど。―――何が言いたい?」
「つまり―――私は貞淑な乙女ではあるけれど、その定義で言えば純潔ではないわけ。そして私の純潔を奪ったのは他ならぬ、キ・ミ」
「奪ったとか人聞きの悪い事言うな」
 どちらかと言えば奪われた側なのだが、それを指摘するのは流石に控えた。
「救命活動はノーカウントにしとけ。お嬢サマの論を一般人にまで適応させると人命救助が阻害される」
 お嬢サマは不敵に笑い、そのまま無言で退室。独り部屋に残される。
「・・・・・・」
 クソッタレが。
 これをネタに今後強請られたりするのだろうかと、感情とは別の部分が思考する。
 色々と。溜息しか出ないまま眠りについた。



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