EX3-30

 目を細めて見上げる景色。
 雪が舞う。
 白と灰色でのみ彩られた世界。
 結晶の海に埋没し、体温はやがて零になる。
 このまま緩々(ゆるゆる)と凍死してしまうのではないかと、静かな気持ちで思った。

 不意に、風が、強く。

 怯み、一度閉じた瞼を開ければそこに鮮やかな色が広がっていた。
 雪のように見えたものは桜の花弁であり、それがひらりひらりと散っていく。
 ゆっくりと。穏やかで暖かな風に。運ばれ、流れ。
「―――」
 視界に写る鮮やかさに息を呑み、目が眩んだ時のように世界が廻った。
「おクスリには手を出してないんだけどなぁ」
 茫然から復帰した苦笑で自分の将来を心配してみる。一体何を幻視していたのやら。
 一息吐いてから、今度は目を細めることなく樹を見上げる。

 大きく広げた枝は遅咲きの花を咲かせている。
 この樹だけ、なぜか毎年遅れて咲くそうだ。
 さしたる特徴も無い平凡な桜の樹が、何故開花の時期だけ他の樹に比べてズレるのか。

 普通なら不思議だなぁの一言感想で終わるのだが、この樹に雪が違和感を覚えるのだと言う。もう少し具体的に言うと幽霊が見えるらしいのだ。
「―――」
 非科学的な話だとは思う。だが特殊な瞳を持っている彼女が言うのであれば何かしら有るのではないか。
 そんな気持ちでここに立ってはみたものの特に進展は無い。
 進展が無ければ興味は薄れていくわけで。
「どうしようかなぁ」
 疑問を音にして紡ぐ。
 紡ぐが興味は薄れていく。
 没頭できなければ、思考はどこか取り留めも無く遊びに行ってしまうわけで。

 雪も桜も、体の成長に伴って異能―――瞳―――の力が強くなっている。
 特に雪は、昔は脳の活動が抑えられた状態、つまり睡眠中でなければ能力の発露は無かった。
 それが徐々にだが日中でも発現するようになってきている。
 その吉凶を判断する材料を自分は持って居ない訳だけれど、養母が何も言わないのであれば問題はないのだろうと回答を保留にしている。
 偏執的にならない程度に気を配っているつもりだが、いつか二人から変態(ストーカー)扱いされるかもしれないなぁと漠然と思う。
 そうなると家には居辛くなるから、独り立ちも視野に入れた将来設計をしようか。
 それはそれで魅力的な計画(プラン)なのかもしれないと、どこか空虚な気持ちで満足する。

 どうして満足するのに空虚なのか。
 胸中の深淵に立って導こうとした答えは、うっすらと輪郭が見え始めた段階で消してしまった。
 それはきっと都合の悪いもので、忘れてしまえば問い自体を無かったことに出来るだろう。
 今後、この手の類の自問は封印してしまうのが賢明な判断に思える。

 突っ立っていても始まらないし、終わらない。
 現場での情報収集が出来ないのであれば次は聞き込みかなぁ、ドラマの刑事的に。
 しかし残念ながらそれは難しいのです。
 中学校に入学してから一週間が経過しましたが、相変わらず非社交的な性格が幸いしクラスに友人らしい友人が居ないからです。
「―――」
 モノローグ的に語ってみたが冷静に考えて少し凹んだ。
 馴染めていないというよりは浮いているんだよなぁと自覚する。
「これは一年間ぼっちを満喫か?」
 下手をしたら三年間の可能性もある。ただそれを必要以上に深刻に思わないあたり性格破綻者な気がしないでもない。
 もうちょっと焦るべきだよなぁと思うのだが、だからと言って急に性格が変えられたら苦労はしない。
 まぁ、成るように成るかと問題を棚上げしておく。
「さて」
 気持ちを入れ替えて、じゃぁその次は文献でも探しに図書室か、と体の向きを変えようとした直前にヒトの気配を感じた。

「おや、珍しい」
 そう言葉を放ったのは一人の女子生徒だった。
 素早く名札に付いている学年とクラス表記を盗み見る。
 そこから分かったのは二年生で先輩だということと、越智という苗字。そして
(なんでこんな場所、こんな時間に生徒会役員?)
 場所については、まぁ分かる。登下校時間以外は人通りが少ない正門付近とはいえ校内だ。
 問題なのは時間だ。とっくに二限目は始まっている。むしろ今は授業中。
 自分がここに居るのは家業の関係で遅れてしまった為で、すでに学校側には連絡を入れてある。まぁそれを理由に多分にサボっているのだが。

「花を愛でている―――わけでは無さそうだね」
 どこか芝居がかった口調。それなのに違和感を覚えさせないあたり只者ではないだろう、色んな意味で。

 さてどうしたものか。
 治さなければならない悪癖の一つだと認めながら自分の好奇心を優先させる。
「そういう先輩こそ何故ここに? 今は授業中のはずですが?」
 そうだねと間を一拍置いてから
「春風に誘われて、という理由ではどうだろう?」
「・・・・・・」
 どうしよう。初っ端から地雷を引き当てたかもしれない。こういう引きの良さだけは絶望的に高確率だ。情けなく腰が引ける。
「冗談だよ」
 苦笑。
「遅刻してきた生徒がサボっているのを見つけてね。たからお小言でも言おうかと思ったんだが」
 軽妙な言い回し。こちらの機微を正確に読み取って発言に修正を与える点も、普通の生徒とは言い難い。
「すいません。開花の時期がズレていましたので気になって。すぐ教室に向かいます」
 離脱の意思表明はすぐさま潰される。
「そう急くこともないさ、どうせ遅刻は遅刻としてカウントされるんだ。だったら時間はもっと上手く使わないと」
 それを知っていたからサボっていたのだが言わぬが花だろう。(正当な理由があっての遅刻なので減算に関しては加味して貰える。)
 それよりも本気でこのヒト生徒会役員なのだろうか。サボりを推奨するとは。

「それよりこの樹が―――」
 一度思案するように口を閉ざし、駄洒落では無いよと断ってから
「気になるのかね? 黒河修司君」
 名前をフルネームで呼ばれた。ただそれだけなのにアドバンテージを握られた気がするのは何故だろう。
 姓は分かる。先輩と同じように名札を付けているのだから。
 だがそこから分かるのは、学年とクラス。あとは委員会に所属しているかどうかだけだ。
 名前を売るようなことをした覚えは(まだ)無い。
 ヒロスケあたりなら顔で覚えられても不思議ではないのだが。
「そんなに不思議でもないだろう? この学校に対妖物関係者が入学してくるのは十数年ぶりなんだし。もちろん神崎の六花君と桜花君のことも知っているよ?」
 不満が顔に出ていたのだろうか。先輩はすぐに理由を明かす。
「―――そんなに面白い事でもないでしょう。ただ単に関係者というだけなら少なくは無いはずですけど」
「かもしれないね。だが『森』の中に入れる人間は珍しい部類に属するよ。少なくともこの学校(コミュニティー)ではね」
 はぁ、そうですかと適当に相槌をうつ。
 先任たる先輩がそう言うのならそうなのだろう。別段に興味も無いし、格別の主張も無い。だからクラスで浮くのかなと、その程度だ。
「自分自身に興味が薄そうだね」
 感想に同意を返す。
「まぁ、ぶっちゃけて言えば薄いですね」
 無くは無い。だから薄い。もし今の言葉を意図的に使ったのであればよくヒトを見ている。
「で、気になるかい?」
 そう言って視線で促す先には満開の桜の樹がある。
 会話を引き延ばすことに対しての損得を瞬時に弾き出し
「ええ」
 同じように視線を移す。淡い色をした花弁が最初から変わらず目の前を横切っていく。
「ちょっとした物語の付きの樹でね。探せば似たような話は各地あるだろうけど」
 一息。
「ある時、恋仲に落ちた男女がこの樹の下で再会を約束したんだそうだ。時は戦時下、男が生きて帰ってくる保証は無い。それでも女は男の無事と再会を願った。帰って来た暁には夫婦になろうと約束してね」
 幽霊という単語を念頭に置いておけば落ちを想像するのは容易だ。
「でも男は帰って来なかった?」
「その通り。―――どこにでもありそうな悲哀の物語さ」
「今風に言うと『死亡フラグ』ってやつですか?」
「情緒の欠片も無い言い分だね。それと少しニュアンスが違うような気もするのだが?」
 先輩の言い分を華麗に無視する。こっちだってそんなに精通している訳では無い。
 無言を返答と捉えたのか肩を竦めて答える。
「まぁ、結果だけ聞けばそういうことなんだろうね」

 では雪が見た幽霊とはその女のことなのだろうか。
「噂になったりはしないんですか? 恨めしそうな顔で女の幽霊が立ってる、とか」
「ああ、噂だけならそういうのは昔からあるらしいよ。情報が上手く一致しない点で噂の域を出ないけれどね」
「一致しないというのは?」
「噂話ではよくあることだが、例えば髪の長さだったり、年齢だったり、性別だったり。風貌に関してはヒトによって報告が異なる」
「生徒会ってのはそんなのも一々調査して報告してるんですか?」
 だとしたら相当暇な組織と言えるだろう。
「いや、私の趣味だ」

 高尚な趣味をお持ちのようで。

「本当に幽霊って居るモンなんですかね?」
 何だかんだでその存在には懐疑的な立場だ。去年の夏、『(もど)き』に酷い目に遭わされたのは中々に興味深い。もっとも生きているから言えることだが。
「さぁね。私は幽霊という存在を見たことは無いから何とも。だが浪漫のある話だとは思うよ」

 浪漫・・・・・・ねぇ。

「そんなもんですか」
 当たり障りのない感想を述べるに留めておく。
 まぁこれで知りたい情報は仕入れた。
「そろそろ行きます。どうも有意義な情報をありがとうございました」
「その前に一ついいかい?」
「はい?」
「その眼鏡は伊達かい?」
「―――なぜそんな事を?」
「戦いに眼鏡は不利だという先入観を持っていてね」
「死角が増えると言う意味では戦いに不利ですし、レンズが割れる危険性もあるので間違いじゃないですよ。ただこの眼鏡が無いと生活に支障が出る程度には必要です」
「そうか、それは野暮な事を聞いた」
「では失礼します」
「うむ、私としても楽しい一時だったよ。黒河修司君」
 頭を下げて教室に向かう。
 授業時間は残り四分の一を切っていた。



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