EX3-32

 目的地へ着いた所で短く息を吐く。
 短くは無い距離を力場(フィールド)を使わず休むことなく走りきれば、額にはうっすらと汗が滲む。
 春先の夜はまだ寒い。
 体が冷えてしまわないように注意しつつ、目の前にある校門を軽く飛び越える。
 高さは二メートル弱。
 今度は力場で強化した脚力で簡単に敷地内へ侵入を果たす。
 有って無いようなお粗末な防犯装置を躱し、奇抜なモニュメントの横を通り過ぎ、日中に足を留めた桜の樹の前へ。
 大きく枝を伸ばす桜は、変わらず花弁を舞わせていた。
 雪が舞う様に、ゆっくりと。
 その光景に脳の奥の方で疼く何かがある。
 危機感を抱いている―――訳では無い。
 ただ何か。思い出せない何かが焦燥にも似た感情を想い起こさせた。
 いつだったか。
 しんしんと降る雪が、大地を白く染めたあの日。
(俺は―――)
 何を思っていただろう。
 あの時は思い付きもしなかった幸福が今あることに、途方も無い感慨を得る。

 夜目に映る桜に別段の異常は見当たらない。力場を使用しての精査も同様。
 おどろおどろしいものは無く、なんの為にここに来たのか分からなくなる。
 とりあえず除草剤のノリで聖水を撒いておこうか。
 聖水を影から取り出し、小瓶の蓋に手を掛けたところで空気が揺れた。
「お?」
 存在が有って、無い。
 光学、熱源、力場、その他知りうる限りの探索(サーチ)とそれを打ち消す対探索の検知に失敗する。
 それならば精神の不均衡による幻覚(プラシーボ)か。セルフチェックの項目は全て否定(ネガティブ)を返す。
 なるほどこれが心霊現象という奴なのだろうか。違うか。
 どうでもいいとそう思う。現象の名に興味は無い。
 見えないから、解らないから恐怖を抱くと言うのなら生きている人間以上に怖いものなど無い。
 それでいて他者を望む心を失わないのは矛盾か、欠陥か。
 そんな自問さえもどうでもいい。
 蓋を開け、小瓶を傾けた時、
「待ちたまえ」
 気配を隠す事の無い声は探索範囲から外れていた背後から。
 振り向けば声音から予測した人物と違わぬ女性が居た。
「先輩」
 私服に着替えた女生徒へ無言の圧を飛ばす。
 日付を跨いだこの時間は普通の中学生が出歩く時間からは外れている。
 それは普通では無いという事と近似だ。
 それでも脅威を感じる事は無い。こと暴力という分野においては森の中を除き脅威を感じることの方が珍しい昨今だ。
 必死に隠そうとしているが圧に晒されたその身が小さく振るえている。それを見せまいと気丈にも振る舞う姿は立派だが、それでは満足に戦えない。
 囮という可能性を考慮しつつ、油断だけはしないよう自分を戒める。
 嘆息と共に圧を消す。
「夜遊びが見つかったら怒られますよ、先輩」
「黒河君、それは君も同じでは?」
 詰めていた息を吐き、一瞬で持ち直してから軽口を叩く。なるほど、戦闘力はないかもしれないがその胆力は非凡だ。
「僕は大丈夫です。森へ入るときはもっと遅い時間まで動き回っていますから」
 前半は嘘。養親にバレたら怒られないまでも心配はされる。
 後半は本当。学業に支障がでないとイイナァ。
「私の方も、まぁ大丈夫だろう。バレた時はその時だよ」
「そうですか」
 適当な相槌を返し本題へ斬り込む。
「で、『待て』とはどういった意図で、ですか?」
 もし何か解決策を持っているのなら聞く価値は有る。
 だが若干の期待は相手の難しい表情に下方修正された。
「私も確信があるわけでは無いんだ。―――ちなみに黒河君は幽霊を信じるかい?」
「消極的否定派、ですかね」
 当然、肯定はしない。だって見えないし、感じないし。そもそもいたらいたで呪い殺されていないとおかしいし。
 でも積極的に否定はしない。その位の分別は持っている。
 自分の価値観に絶対の自信が持てるほど強くは無いつもりだ。
「私も基本信じていないんだ、そういった類のモノは」
 それでも
「少しだけ時間が欲しい」
「具体的には?」
「約半月。もう少し言うなら次の満月まで。それ以上は望まない」
 言って夜空を仰ぎ見る。
 浮かぶのは新月に近い欠けた月。
「さっきも言った通り私にも確信があるわけではないんだ」
 諦めの口調から、その予測の出所を聞いても教えてくれないだろうと感じる。
 確信の無い情報を鵜呑みにするくらいなら、動いてしまった方が無難なのではないかな、とも思う。
 握っている除草剤と言う名の聖水を撒く位なら大した手間でも無いし。そもそも文化、風習、風俗的に効果があるのかは甚だ疑問だ。
 一番困るのは状況が悪化することだが、さてどうすべきか。
 損得を天秤に掛ける。メリットとデメリット。
 メリットらしいメリットは無く、デメリットと言えば機会的損失と今日走った時間と労力くらいか。
 両方に言えることは確証が無いという点だ。
 運、という単語が浮かぶ。どっちを選んでも悪い方にしか転ぶ気しかしない。
「―――先輩の要求を呑むことによる僕のメリットってありますか?」
 問いを放った時の感情は、諦めが一番近いだろうか。
 自分の手を離れた方が万事上手くいく気がするのは、きっと気のせいじゃない。
 空回りの道化師。
 相変わらず自分を貶めるのだけは得意なんだよなぁと別の部分が思う。

「残念だが、無い」
 真顔での言い切りに対して一つの結論を得る。
「分かりました、じゃぁ待ちます」
「―――いいのかい?」
「いいんじゃないですかね?」
 疑問を疑問で返し来た道を戻る。
 呆然とその姿を追う先輩。その横を通り過ぎる時に「なぜ?」と擦れた声が聞こえた。
 聞こえなかったフリをしても良かった。事実、そのままで六歩進んだ。それでも
「気紛れです」
 待つことの理由と、問いに答えた理由との二重の意味で。
 相手が振り返ったのを背中越しに感じた。
「どうして?」
 言葉を変えただけでその単語の意味する所は同じ。それでも問う理由は一体なんだろうか?

「・・・・・・もし先輩が言辞を弄するだけなら即断で拒否しましたけどね」
 肩を竦めてみせる。
「『誠実で在れ』と。ソレを他者に求めるなら少なくとも自分がソレに準じないとお話にならないでしょう?」
 礼を逸する行為は、いつか必ず自分に返ってくる。その逆も然りだ。そしてその理論で世界が廻っているのなら自分は碌な死に方をしないはずだ。

 ああ、甘いなぁと再び思考の別の部分が思う。
 甘過ぎて反吐が出そうだ。
 でもその甘さが捨てられないからこそ、まだ自分は人間をやれていると、そうも思う。

「難儀なヒトだな、君は」
 他人からの感想は笑みを含んだもので
「そうですかね?」
 素っ気無く返す。
「ああ、とても」
 ふーんと。まぁ、そう言うんならそうなのだろう。自分の性格にケチを付けられのは慣れっこだし、格別の思い入れも無い。多少の自覚は持っていたりもする。
「でも今回は素直にありがとう、と言っておくよ」
「どういたしまして、と返しておきましょうか。半月後、何らかの決着が付いている事を祈ってますよ」
「その時は、また改めてお願いするさ」
 ヤレヤレとそんな感想を持って歩き出す。
「最後に一ついいかい?」
「はい?」
「眼鏡は?」
 一瞬、なんのことを言われたのか理解が追いつかなかった。
 そう言えば昼間会った時に眼鏡が無いと困るみたいな事を言ったのを思い出す。
 逡巡しひねり出した答えは
「・・・・・・僕、鳥目なんです」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 あの夜から約半月が過ぎた。
 四月も終わりが近付き、寒いと思う事はもう殆ど無い。
 春眠暁をなんとやら。欠伸を噛み殺しながら葉の茂った桜の樹を見上げる。

 結論だけ言うなら、何事も無く終わった。
 それが一過性のものなのか、永久に終わったのかは定かではない。
 だが終わったのだ。
 もう少し正確に言うなら自分の中では終わっていた。雪が何も見えなくなったと言ったその時から。

 やっぱり自分が手を出さない方が世の中上手くいくなと予想が当たって満足する反面、どこか寂しい。
 先に言っておくと断じて負け惜しみ等では無い。

 気分を入れ替える為に大袈裟に息を吐き出す。
 まぁとにかくめでたし、めでたし。世界は今日も平和です、マル。

「やぁ」
「ども」
 後ろから掛けられた声に驚くことも無く挨拶を返す。
 妙な縁で知り合った女生徒はなんと生徒会の副会長様だったのです。
 な、なんだってー!? と棒読みで脳内寸劇を終え振り返る。
 お辞儀を一つ、
「えー、本日はお日柄も良く晴天にも恵まれ―――」
「なぜ、そう意味不明なボケをかますのかね?」
「普段ボケさせて貰えないので偶には、と思いまして」
 呆れ顔で息を吐く。
「まぁ、いい。―――ところで無事に終わったらしいのだが相違なさそうかね?」
「ええ、多分。問題ないかと」
「そうか。それは良かった」
 そう言って満足気に微笑む。
「今回の件に関しては手を引いてくれて助かったよ。協力者に代わって礼を言う、ありがとう」
 協力者、とやらが今回の件を収めた人物、もしくは集団だろう。
「お礼なら現金がいいんですが、どうでしょうか?」
「学生の頃から金に拘ると碌なことにならんよ。金銭感覚を養うのは重要な事だと思うけれどね」
 まぁ、健全な中学生ならそうだろうし、ダメ元感覚なので落胆は無い。
「それに、それもボケだろう?」
「半々、位ですかね。金はいくらでも欲しいですよ」
「ふむ、それ困ったな。残念ながら黒河君が納得するほどの手持ちもないし、生徒会の予算から落とすわけにもいかんからな」
 それはそうだろう。桜の遅咲きが原因で何か実害があった訳でも無い。
「では貸しを一つということでどうだろうか? 私の権限の届く範囲でなら公私問わず最大限融通しよう」
「えー」
 微妙。そもそも学校という集団においてなら本当の意味での不自由はそうそう無い。
「では二つで」
 くそう。別に貸しなんか要らないのだから、数が増えた所で―――。
「あ」
「なんだい?」
 有るではないか学校特有の不自由が。
「分かりました、先輩。それでいいです」
「嫌に素直で不気味だな」
「ははは、何をおっしゃてるんですか、先輩」
「まぁ、いい。それでは用があるときは教室か生徒会室に出向きたまえ」
「了解っす」
 踵を返して颯爽と歩いていく先輩。その背中に感謝の念を送る。
 もう何に充てるかは決めている。あとはどうやって先輩の権限の届く範囲に押し込める形にするかだ。
 その為の下準備は怠らないつもりだ。
「よし」
 無駄に気合を入れつつ、桜から離れていく。余り時間は無い。
 急き立てる心に歩調も自然と早くなる。
 春風を全身で感じながら思考を巡らす。
 全力で宿泊研修を回避してやると、後ろ向きな決意を滾らせながら。



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