EX3-36

「んー」
 オーダー用紙を前に唸っていた。
 場所は受付カウンターの脇で、提出の締め切り時間まであと十分を切っている。
「そんなに悩むことか?」
 様子を見ていたヒロスケが呆れた調子で口を出す。
「だってなぁ、千夏にも言われちゃったしー」
「『しー』じゃねぇよ、『しー』じゃ。ホンッとシスコンなんだから」
「は、可愛い妹の居ない僻みにしか聞こえんね」
「―――うわぁ」
 洒落で返すと、本気でドン引きしやがった。
「とまぁ、この話題は今後も引っ張るとしてオーダーどうする?」
「待て、引っ張るのか?」
「引っ張りますとも」
 答えに今度は半眼の視線を送る。
「うざー」
「お前が言うな、お前が」
 際限無く脱線している事にお互い気付き咳払いをしてから話題を元に戻す。
「で、オーダーどうするんだ?」
「流石にそろそろ注意されそうだし、来賓の顰蹙買うのもアホらしいから真面目に組もうと思ってる」
「じゃぁそうすればいいだろ?」
「俺がなー。どこに持っていけばいいと思う?」
 先鋒か中堅か大将か。どこに持って行っても微妙な気がする。
「普通に大将でいいんじゃないか?」
 試合する気無いんだろ? と。
 有るか無いかで問われると無い。心証としては無いことも無いくらいか。
「いやぁ、大将ってなんか偉そうじゃね? 裏で糸引いてる方が好みなんだよなー」
「ほんとどうでもいい好みだな」
 ヒロスケは半分呆れつつ、手元から用紙を奪うとヒロスケ、タスク、俺の順に名前を書き込みさっさと受付へ提出してしまう。
「あーあ」
「別にいいだろ? 他に明確な案があったなら謝るけど」
「いや、無いです」
「何がしたいんだよ・・・・・・」
 肩を落とすヒロスケ。
 別に何をしたいというか、単に渋るフリをしてみたかっただけなので愛想笑いで誤魔化す。
 あとは試合まで待機なので選手控用のパイプ椅子に座って待つ。
 流石に四回戦にもなるとチーム数も絞られ、人数もかなり減っている。一回戦の直前と比較すれば閑散とした印象さえ受ける。
 試合前のトラブルを避けるために対戦チームとは反対側に出入り口が指定されている。その方が入場の時、見栄えがするというのも理由の一つだろう。

「あ、そうだ」
「どうした?」
「なに?」
 さっきの休憩時間に考えていた内容を伝えてない事を思い出した。
「次の試合から第二段階解禁で」
「マジで!?」
「よっしゃー!!」

 ・・・・・・嬉しそうだなお前ら。

「いや、だってホラ? 片手落ちってストレス溜まるじゃん?」
「なるほど。その論に従うと俺はいつもストレスを溜めているから次回から訓練の時は全力でやって良いよと、そう言うことか?」
「いや、全然違うし」
 ヒロスケが律儀にツッコミを入れてくる。

「あんまりはしゃぎ過ぎるなよ? 相手に怪我させてもアレだし」
「いや、さすがにそこまでは。なぁ?」
「うんうん、シュウじゃないんだから血達磨にしてヒャッハーとか叫んだりしないよ」
「俺だってしたことねぇよ」

 お前ら俺を何だと思っているのか。つーかヒャッハーってどこの人種だ。

「うわぁ、シュウの奴本気で言ってるよ・・・・・・」
「これだから真性は―――」
 おもむろに二人の頭をそれぞれホールドし手に力を込める。
「あだだだ、ギブギブ!! マジギブ!?」
「ちょ、ちょっ、出ちゃう!! なんか出ちゃう!? 出ちゃうー!!」
「静かにしろ」
 周りの目が痛くなってきたので手を離す。

 涙目で頭部を押さえる二人を放置して席に座る。
「ちくしょー、パワハラで訴えてやる」
「はいはい、頑張りなよ」
「ぐぬぬぬぬ・・・・・・」
 意味のない唸り声を上げるタスクを横目に、記憶を巡らす。
 はて、血達磨にしたことはあったかなぁ。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 小柄な少年と大柄な少年とが対峙している。
 互いに距離を空け、肩が大きく上下していた。
 二人とも呼吸を整えることに努めている。

 四角く切り取られた線上の中で。
 互いの意地をぶつけ合う場所は。
 果たして戦場となりえるだろうか。

 負けたくないという矜持。
 勝ちたいという欲望。

 感情と理性を。意思へと統合し、力に変換する。

 観衆が息を呑んで見守る中、試合が最高潮に達した。

 二人は咆哮と共に己の肉体を強化する。
 力場(フィールド)を練り、展開し、収束させ、大柄な少年が攻へと転じる。対し小柄な少年は動けていない。
 戦いの結末を見守る観衆は小柄な少年の不利を思い、決着を予測した。

 体躯の小ささが有利に働くときと不利に働くとき。
 有利なのはその速度。特にその初速はアドバンテージとしては大きい。
 しかしその一方で、攻撃、防御、スタミナそのどれもが不利となる。
 ましてや小柄な少年は連戦を重ねている。すでに試合数だけなら大柄な少年と比較して三倍を超えていた。
 後の先を狙うカウンターでさえ、体躯の小ささは不利になる。そして大柄な少年もそれを警戒しているだろう。防御など言わずもがな。それ故の敗北。

 小柄な少年が先手を取れなかった時点で勝敗は決していた。
 だれもが大柄な少年の勝利を確信し、惜しみない喝采と健闘を称える拍手を心の中で準備する。

 そんな中で全く逆の結末を予測していたのは小柄な少年と同じチームの二人。

 小柄な少年は動けなかったのでは無い。動かなかったのだ。
 力場の収束を終えた後、更に一工程を加える。
 肉体を強化するのが力場なら、その力場を強化するのが加圧(ブースト)だ。

「オオオォォォッ!!」

 力場密度が上昇し、より強固に、よりしなやかに、相手が展開した力場を上回る。
 攻撃を仕掛けてくる相手を正面から迎撃する。

 拳を拳で打ち払い、脚を脚で弾き飛ばす。
 望むだけの力。
 負けない為に、勝つ為に。
 力が欲しい。
 欲に溺れる為じゃ無く、他者を蹂躙する為でも無く。
 己が意思を貫き通す為に。
 力が。

 策の無い、愚直なまでの拳打の応酬。
 力で打ち負けるはずの局面を力によって圧倒する。
 それを可能にするのは加圧と、本来持って生まれた速度。
 短所を補う技と長所を生かす戦法。
 攻撃と防御と、そして速度で勝るのなら体力が零になる前に相手を倒す。

 速度を乗せた攻撃が徐々に相手を追い詰める。
 ついに完全に手数が上回り、小柄な少年の拳が大柄の少年の体に届く。
 大柄な少年は、くの字に曲がって膝をつき―――倒れた。
 審判が勝敗を高らかに告げる。
 一瞬のしじまが広がった後、少年の勝ち鬨が武道館に響いた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 帰り道。タスクを先頭に五人固まって歩く。
 ニヤニヤと主観的に見て気持ち悪い笑みを浮かべるタスク。
 その手には優勝トロフィーが入った箱が握られている。
「おい、ヒロスケ。あれをどうにかしろ」
「まぁ今回は大目に見てもいいんじゃない?」
「ふひひひ」

 エンはどん引き、千夏も甘引きしている。
「もうあれだね、俺は今、人生で一番輝いている!!」
「ああ、うん。そうだな。人生最高の瞬間が今なら後は落ちていくだけだから簡単だな」
「お、お前。そんなに人の喜びに水を差すのが楽しいかっ!?」

 どうだろう? 楽しいかどうかで問われるなら―――

「どちらかといえばイエスかな」
「さ、最悪だ!?」
 まぁまぁとヒロスケが割って入る。
「明日からまた勉強漬けの毎日なんだから今日くらい浮かれても良いじゃないか」

 ヒロスケは魔法の呪文を唱えた。
 タスクは石化した。

「ああ、そういえばタスク。今日言った宿題忘れるなよ?」

 俺は追い打ちを掛けた。
 タスクは砕け散った。

 おおタスクよ、この程度で死んでしまうとは情けない。

「でもこれで大会に出場した目的は果たせたんじゃない?」

 エンは復活の呪文を唱えた。
 なんとタスクが生き返った。

「そうですね、特に最後の試合なんか見応えのあるものでしたし」
 格好良かったですよと。

 千夏は回復の呪文を唱えた。
 タスクは完全に回復した。

「うへへへ」
「駄目だ、こりゃ」
「完全にイっちゃてるわね」

 エンと同時にヤレヤレと溜息を吐く。
「ま、二人とも今日はよく頑張った。後はタスクがどこまでお勉強を頑張るか次第だな」
「一試合も出て無い割にナチュラルに上から目線ね」
「はいはいー、役立たずでスミマセンねー」

 嫌味っぽく返すとエンが眉間に皺を寄せた。これは不味いとばかりに踵を返す。
「あ、そう言えば俺お遣い頼まれてわ」
 三十六計逃げるにしかずと、駆け足で来た道を戻る。
「気をつけて帰れよー」
「あ、おい、ちょっと!?」
「千夏ー、くれぐれもよろしく頼むなー」
 困った顔の妹に申し訳なく思う。

 追ってきていないことを力場探索(フィールド・サーチ)で確認した上で足を止める。
 千夏が上手く誘導してくれたのなら
「ありがたいな」
 よく出来た義妹だ。不出来な義兄と比べるまでもなく。
「という訳でお待たせしました」
 軽薄な笑みを浮かべて、誰へとも無く声を掛ける。
 その声に合わせてぞろぞろと現れるのは大会での敗北者達。その中でも腕っぷしだけは自信の有りそうな輩だ。
 暇人共めと、悪態を口の中で転がす。

 別に内申点の底上げを狙って大会に参加するのはタスクに限ったことではない。
 そういう馬鹿は世の中吐いて捨てるほど居る。
 それでも負けたら『チクショー』とか叫ぶだけならまだ辛うじて愛せる馬鹿だ。

 そんな中で今自分を囲んでいる集団は一等下衆な集まりだ。
 敗北の理由を自分以外に求めることしかしない。
 たまたまクジ運が悪くて。
 たまたまオーダーの順番が悪くて。
 たまたま油断していて。
 そんな偶然の産物。
 ある意味においては正しい。否定はしない。
 そしてその腹癒せに勝者を数で嬲り、自分と同格に引き摺り下ろそうと画策する。

「―――」
 ああ、懐かしいなと。そんな的外れな感想を得る。
 どこにでも居るのだ、こういう輩は。
 他人の足を引っ張ることしか考えない性根の浅しさ。
 そこまで堕ちることが出来る潔さに。憧れるべきなのか、憎くむべきなのか。

 それは大会の理念を―――真面目にやっている者達の努力を汚す行いだと、なぜ理解しようとしないのか。
 ヒロスケもタスクも、才能に胡坐をかいていた訳ではない。
 時間を掛けて、汗を流し、試行錯誤の先に今があるのなら。
 それはきっと褒められても良いことだ。

 分かっている。
 恨みと妬みと嫉みと。
 それは人類の総意では無いが、ヒトが持つ可能性の一つ。

 いいじゃないか、それも。他人を羨むだけの人生でも、それが悪とは限らないだろう? とそんな自問に対して
「・・・・・・だよなぁ、同意できちゃうんだよなぁ、碌で無しの黒川君は」
 だって今持っている力はなんだ?
 他者の犠牲の上で得た人外の力を。ヒトはそれを幸運と呼ぶのだろうか。
 なんの因果か。あの時勢なら似た境遇の者は他にも居ただろうに。
 あの時から少年の運命は大きく変わってしまった。
 身の丈に合わぬ力で、救世主と祭り上げられ、表向き正義の為に戦ったのだと。

 背中に薄ら寒いものが走る。
 あれは復讐に近い何かだったというのに。

 力を失うことで、失ったモノが還るならとそんな幻想を何度も夢見た。
 得た力を迎合したことは無かったが、その力に一度も酔わなかったのかと聞かれればイエスとは言えない。
 高潔さも無く、さりとて酔い痴れることも出来ず。
 分かったのはただの小心者で俗物な、どこにでも居る一市民だったということだけだ。
 滑稽だなと自己評価を再確認する。

 そんな自分に気付き、暗澹とした気分を振り払うように首を振る。
 頑張ってみようと、そんな努力中の身だ。
 明確な約束ではないけれど、『黒川修司という存在』を守ってくれた二人へのささやかな誓い。
 出来れば反故にはしたくない。

 そう言えばと周囲に意識を向けると左手で男を殴っていた。そのまま勢いよく宙を舞って吹っ飛んでいく。
「?」
 もっときちんと周囲を見れば死屍累々たる有様になっていた。
 どうやら半自動(セミ・オート)で反撃してしまっていたらしい。手加減の仕方を間違えていなければいいけどと、特に深刻になることも無く思う。

「うん。こんなもんかな」
 今、この場に立っているのは自分を除いて一人もいない。
 何人かは途中で逃げ帰ったようだが追いかける気は更々無い。元気になった屍共に、私刑(リンチ)に掛けられるかもしれないが、それこそ知ったことではない。
 暇つぶしにもならない雑事だが、ヒロスケとタスクには任せたくない類の荒事だ。
「過保護かなぁ」
 どうだろう? と自問してみる。
 醜い世界を見せないように隠すのは、当人たちへの侮辱にあたるだろうか。

 いつか知っていくだろう。
 感情に綺麗も汚いも無いと。
 それでもと、そう願う想いは自己満足に過ぎない。
「それでいいさ」
 軽い呟きで決着を付ける。
 成るように成るだろうし、成るようにしか成らないだろう。
 友人に対して責任を負ってしまったらそれは対等でなくなる。無責任大いに結構。

 あと一つ、面倒事を片付ければ帰れるな。そんな考えで声を風に乗せる。
「さっさと終わらせようぜー」
 視線の先、そこに居るのは鋭い目付きをした少年と言うのが難しい大柄の男だ。
「相変わらずだな」
 低い怒気の籠った声。一体何を指して相変わらずなのか。面倒臭い。
 わざわざ一対一になるまで待っているあたりストーカーの域に達しているんじゃなかろうか。全く嬉しくないけど。
 むしろこういう相手こそヒロスケ達に戦って貰いたいものである、マル。

 島岡断十郎。三年間地区大会個人戦で優勝し続けた中学生男子である。
 近年、稀にみる逸材だろうとも聞いた。
 全国大会で優勝経験こそないものの入賞常連で、対戦相手が異なっていたらまた違った結果を残しただろう。
 ギョーカイの中ではそんな感じで割かし有名人だ。
 だからこそ一小市民である自分に粘着してくる理由が、最早意味不明だったりする。

「スカした顔しやがって」
 言葉と同時に拳が飛んでくるあたり文明人とは言い難い。
 それなりに武術を嗜んだレベルでも即病院送りにする威力とういうのが始末に悪い。
 右、左、蹴り。
 必要最小限の動きと力場だけでそれを躱す。
「ッ!? この!!」
 ダンの言葉ではないが相変わらずだなーとぼんやり考える。すぐ熱くなるのはコイツの明らかな短所だ。
 力場で強化された拳に対し半歩身を引き、その力を左手で受け流す。そのまま背後に周り掌底で背面を強打する。
 ダンは咄嗟に防御力場を背面に展開。ダメージを低減するもたたらを踏む。
 外道な黒川君は当然追撃。
 不安定な重心を整えようとするダンに対し、脚を蹴る。さらにバランスが不安定になったところへ、腕を掴み宙へ放り投げる。自分より大きな体が軽々と宙へ舞う。
 投げる瞬間に回転を加えてやったのできりもみ状態で落下に入る。
 なんとか姿勢制御をとろうと頑張っているところへ指弾を四セット。計二十発。
 もちろん一面からの飛来なんて芸の無いことはしない。全方位から叩き込む。低速、低威力なのはなけなしの慈悲だ。
 着地に失敗し地面に二回バウンドする。最低限の受け身と万遍なく広げた力場で死んではいない。
 流石にやり過ぎたかと昔なら思っただろうが、生憎とコイツのしぶとさは身に染みている。
 満身創痍で起き上がる。
 寝ておけば良いものを、とんだマゾヒストだ。
 こっちはこっちで弱い者虐めに飽きている。両者の利害は一致しない。どちらにしろ足に無視できないダメージを負っている時点で戦闘機動はもう無理だ。
 それでも目が死んでいないのは、ある種賞賛に値する。

「はい、終いな」
「ふざけんなッ!? まだ勝負は終わってねぇ!!」
「いやもう、お前の勝ちでいいから」
「ッ!?」
 視線で人を殺せるなら。そんな目で睨み付けてくる。
「そんな勝ちいらねぇ!!」
「ああ、そう? じゃぁ、どうでもいいか。俺は帰る」
「待ちやがれ!!」
 静止の言葉には付き合わない。
「テメェは絶対負かす!!」
 背に届く声。それは精一杯の挑発か。何の為の宣言か。
「ちくしょおぉぉぉ!!」
 響く絶叫は夕闇に消える。
 もうちょっと苦戦した振りをして適当に満足させれば良かったと後悔したのは高校入学の、もう少し先の話。



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