「あっち、あっち、ねぇ、早く!!」
やや舌足らずな声と共に手を引かれる。
「もー、早くー!!」
興奮冷め遣らぬとは正にこの事。始終この調子で次から次へと興味を持った方へあっちへこっちへと連れ回される。同じ道を行ったりき来たりの繰り返し。
手を引かれている身としては、もう少し効率を考えればいいのにと思うが苦でも無い。
「しゅう、こっち、こっち」
「あー、はいはい」
「『はい』は一回!!」
大人の言うことを真似る様子は、幼子ゆえに微笑ましい。
「アイ、マム」
「?」
意味が分からず首を傾げて立ち止まる。その仕草は客観的に見て愛くるしい。
不思議そうに見上げてくる幼子へ
「『分かりました』っていう意味だよ」
と簡単に教える。
「へー」
本気で感心、本気で尊敬。
素直さが嫌味にならないのはこの年齢だけの特権だろう。
「ほら、あっちに行くんだろ?」
「うん!!」
満面の笑みで今にも駆け出さんばかりの勢いで前に出る。
手を引かれながら空を仰ぐ。
世界は平和だなー、とか思ってみたり。
天気は晴天。季節は梅雨前だが気温は初夏と言っても差支えない程だった。
地方の休日遊園地の賑わいは程々。余り待つことも無くスムーズに乗ったり入ったりできるのは有り難い。
カップルよりも家族連れや団体の方が多く感じるのは、目玉になるほどの大型アトラクションが無い為だろう。
その分、家族受けは良いようだが少子化の影響で先細りするのか、隙間産業として発展していくのか、興味深い。
「しゅう、しゅう、あれ買って!!」
新たに興味を引かれたのはソフトクリームのようだ。
「お腹が一杯になってお弁当食べられなくなるよ?」
「ほしーの!!」
考え直す気は無いらしい。
後先のことを考えず目先の欲望に忠実なのはどうしたもんか。
助けを求めるように後ろへと視線を向ける。
あっちの世界から来た、未だ帰れずのレージを含む大人四人。後は雪、桜、千夏、ヒロスケ、タスク、エン、そしてリエーテ。おまけでロキ(人型)の子供八人。中々の大所帯でその上多国籍。すごく目立つ。
レージが買ってやればいいとジェスチャーを返す。
子育て経験者の知恵を借りることにして、売り子のおばさんに声を掛ける。
「すいません。一つ下さい」
「はい、いらっしゃいませ。お味はどれにします?」
どれにする? 顔を向けると既に真剣な顔で悩んでいた。
「コレとコレ」
十種類の中から二種類に絞ったがまだ多い。アイスクリームじゃないんだから重ねる訳にもいかず。
「一個だけな」
「えー!?」
「そんなに食べたらお腹壊しちゃうでしょ? お腹痛くなったら楽しく遊べないよ?」
うーと唸りながらじゃぁ、コレと。イチゴ味をおばさんに頼む。それと
「あ、そっちのも一つ」
選ばなかったもう一種類の方―――ミルク味を頼む。
二つ分の代金を払い、ソフトクリームを二つ受け取る。その一つを渡してもう片方を自分で舐める。
甘くて冷たい。
ちょっと甘味が強過ぎかな。子供向けならこんなもんか。
両手で受け取ったまま、固まっている幼子へ食べないの? と視線を向ける。
促されるまま舐めて冷た〜いと子供らしい感想を述べる。
その嬉しそうな顔が三百円で買えるのはお得かなと思う。
後ろからゾロゾロついてきた面子に声を掛ける。
「みんなは?」
私買います。じゃぁ俺も、俺もと結局全員が購入。
ガタイのいいおっさん(と言うには少し若い)連中がアイスクリームを並んで買っているのはちょっとシュールだ。
一人その光景に苦笑して、再び幼子へ視線を戻す。
「はい、じゃぁ一個だけに我慢したご褒美に一口どうぞ」
差し出されたソフトクリームと自分の手に持ったモノと視線が行き来して
「・・・・・・いいの?」
「一口だけだよ?」
念を押すと頷いて舐める。一口だけの約束を破らぬように、けれど自分が舐めている時よりも広く舐める。
もともとそのつもりで買ったものだしそれをとやかく言うつもりもない。
タスクあたりだと殴るけど。
おいし〜いという感想と、ありがとうという感謝と。
その両方を笑顔で受け取る。
後ろの方では
「アァ、俺モ娘ニ早ク会イタイナァ」
「た、隊長、どこを見てるんですか!? 戻ってきて下さい!!」
「チョコチップ、超ウメー!!」
「抹茶こそ、至高!!」
「やぁねぇ、ロリコンよ、ロリコン」
「ウム、後で執拗に舐め回すのだな」
「お姉ちゃん、私も一口」
「じゃぁ交換ね」
とか。お前ら本当にフリーダムだな。
あと勝手にヒトを
疲れた息を吐くと幼子に肩を叩かれる。
サムズアップして真面目な顔で二度首を上下に振る。ドンマイということらしい。
どこで覚えたそのジェスチャー。
とりあえず頭を撫でて立ち上がる。
「行こうか?」
ゴミはゴミ籠に入れて次のアトラクションを目指す。
どうしたもんかなぁと思いつつ。
◇ ◆ ◇ ◆
大きめの木陰に、ビニールシートを広げて、手作りのお弁当を皆で食べ終わって。
午前中にはしゃぎ過ぎたのと、お腹が程よく膨れたのと。
そう言えば昨日の晩からすでに興奮気味で朝も起きるのが早かったよなぁと思い出す。
うつらうつらと船を漕ぎ出してから、横になるまでに時間は掛からなかった。
猫のように丸まって健やかな寝息を立て始める。
「ありゃ、寝ちゃったな」
「どーする?」
ヒロスケとタスクが覗き込みながら小声で話す。
幼子の寝顔を見て起こすのはちょっと可哀想かな、起こさなかったら後で怒るかな、一瞬だけ考えて前者を選択する。
「せっかくだから遊んで来いよ、俺がここに居るから」
荷物番も兼ねてな。
全員が残っても意味がないし、複数人を残せば話声で幼子の眠りを妨げてしまうかもしれない。
レージ達も久々の外出で気分転換もしたいだろう。ただこっちの世界の『いろは』を理解しきっていないので付き添いが居た方がいい。
そんな訳で眠り子に居残り一名を残し、他は遊びに。
ずっと寝かせておくと後で怒りそうなので二時間位したら再度集合することと、何かあったら携帯で連絡することを約束する。
「ふぅ」
静かになった場所で耳を澄ます。
遠くアトラクションのBGMや絶叫、歓声が聞こえてくる。
あー、うん、世界は平和だなぁとか本日二回目を思ってみたりしてみたり。
木漏れ日から注ぐ日差しは柔らかく、吹く風は暖かで。
「・・・・・・」
平和なんだよなー、この世界は。
悲観する要素など一つもなく、ただ過ぎていく今を謳歌出来れば、それはとても幸せなことだ。
「後ろめたい気持ちを無視すれば、ね」
思わず呟いた言葉に驚く。聞こえてはいまいかと幼子を見れば変わらぬまま寝息を立てていた。
その姿に安堵し思考に蓋をする。
気分転換には寝るのが一番。
一時間くらいで目を覚ますように携帯の
本当にどうしようもないない自分を自覚しながら。
◇ ◆ ◇ ◆
「?」
意識が浮上して最初に感じたのは違和感だった。
浅い部分で眠っていたため覚醒は早い。
その正体は姿勢の変化だと気付く。
木の幹に背を預けて座って眠っていたはずなのに、背中に掛かる圧が軽減され代りに尻や足に分配されている。
いつの間に横になったのかという驚きと共に、後頭部に当たる柔らかさを訝しむ。
分かりたくないような、分かるのが怖いような。
観念して目を開ける。
まず目に映ったのは夕映えにも似た山吹色。
その色は染色された布地の色。珍しい色の着物だなと軽く感想を加える。
そしてどうやらこの姿勢は膝枕をされているかららしい。
あー、うん。半分くらい気付いてました。だけど出来れば違ってて欲しかったです、絵面的に。
膝枕をしてくれている主が目を覚ましたのに気付き顔を覗き込んでくる。
丁度、上下が逆さまになった顔を見て息を詰めた。
「―――」
面影は、ある。見たことのない女性ではあったが誰なのか、それは分かっている。
分かっていて息を詰めたのは、自分の予想のかなり上の容姿をしていたから。もしかしたら斜め方向にもベクトルがかかっているかもしれない。
和風美人。歳は二十を少し過ぎたくらいか。
黒く艶のある髪はまさに烏の濡れ羽色。
それと同じくらい深い色の瞳。
瑞々しい白い肌。
膝枕をしてくれている女性が余りに美人過ぎて、自分の存在が居た堪れなくなってくる。
「目が覚めましたか? マスター」
落ち着きのある透き通った声に、周りの空気すら清涼なものに変わる。
ああ、そうかと。現実逃避をしているメイン思考に変わり、サブが判断を下す。
これが高位と言われる精霊なのかと。
下位の精霊は彼女に恭順し、その意を汲む形で環境を最適化しようとする。
彼女が居ることで力は増し、増した力で彼女を支える。調整された『場』は彼女の力をより先鋭化していく。
素晴らしいインフレ・スパイラルだ。
あー、こりゃぁ死んだかなと暢気に思う。
ヒトが挑んでいい相手ではない。仮に
「どうして?」
「?」
「マスター。私はマスターを害する気はない」
なのにどうしてそんなことを思うのかと。
「あ゛ー」
なんと言うか早合点。この場合は俺が。
目が泳ぐのを自覚しながら
「ほら? 契約不履行中じゃん、俺。だから怒ってそんな姿になったのかなーって」
実際に後ろめたい気持ちが有る。
彼女と。両親を一緒に探しに行こうと誘い、その代りに彼女は恨みの矛先を納め世界の崩壊を思い留まってくれた。
それが
だがその対価は本来釣り合わないものだ。
それでも契約できたのは偏に彼女が精霊としての矜持を忘れていなかったからだろう。
であるあるならば、可及的速やかに契約は履行されて然るべきである。
それなのにやっていることと言えば遊園地に遊びに来ている。
彼女がもっとも望んでいる事を理解した上での物見遊山。
そんな日和見な態度を取られたら俺なら間違いなく殴る。絶対殴る。最低でも半殺しで。
もしくは見限るだろう。冷めた笑みを浮かべながらああ、こいつはそういう奴なのだと。
彼女の下す判断の如何によって自分の命は左右される。もちろんそれも契約の内だ。
そこに恨み言を言う資格は無い。
どんな理由があろうとも先に裏切ったのは自分なのだから。
そういう意味でも不測の事態に備えて出来るだけ早く契約は履行すべきなのだ。
いつの間にか静寂しか存在しなくなった空間で彼女が首を横に振る。
「マスター、そんな事は気にしなくていい。今は―――」
一度言葉を切り、表情をほころばす。
「楽しい。あの場所に独りで居た時よりもずっと」
その笑顔は綺麗で、でも。
本当にそう思ってくれているのだろうか。そうであれば有り難いと思う。けれど気を遣ってくれているだけで本心はまた違うかもしれない。
「―――」
返すべき言葉が分からなくなる。
「本当に気にしないで、マスター」
そう言って微笑む彼女の表情は、しかし晴れたものではなかった。
「あの世界に戻ることが私も怖いから」
顔を上げ視線が遠く山の裾野へと向かう。その表情が見えなくなる。
「もしかしたらお父様もお母様ももう居ないかもしれない。居たとしても私のことは忘れているかもしれない」
それは本当に長い時間。ヒトの生では代を重ねても計るのが困難な時間。
その悠久ともいえる時は、たとえ精霊であっても寿命が尽きる可能性を否定できない。
制限のある無限。
だから答えを先延ばす。その結果、より手遅れになるかも知れずとも。
それでも、いつかその答えに向き合わなくてはならないだろう。
「ねぇ、マスター」
「なに?」
「もし、私を知っている
一息。
「契約を更新させて下さいませんか?」
問いかけに一瞬呆けた。別の部分は精霊王とヒトの不文律的には大丈夫だろうかと別の心配をする。高位精霊の個人契約は禁止のハズ―――ってそうじゃねぇだろ。
「―――いいんじゃないかな? よく分からないけど。俺は全然オッケー。むしろウェルカム」
「そう。ありがとう、マスター」
少し弾んだ声に、釣られるように笑みを返すと共に悲しませなかったことに対して安堵する。
「俺の方こそ助かってるよ。魔素と魔力の需給が正常に循環できて最近疲れ知らず」
魔力不足でその日暮らしを余儀なくされていた頃が嘘のように毎日捗る。今日もロキを人型で連れて来れる程度には余裕だ。
「私もマスターの助けになっているのなら嬉しい。幼い私もきっと喜んでる」
「そっか、なら良いんだけど。―――どっちの姿が本来の姿に近いの?」
幼い姿も、今の大人の姿も。どちらとも仮初の器に過ぎない。
精神世界で会った少女とこの世界で現界している少女の容姿はやや異なる。
「どちらが、と言うのは難しい。主従や正副の関係ではなくて、対の関係に近いから。あくまで対等。感覚の大部分を共有しつつ、表層化する一面が違うだけ」
それを必要な場面に応じて形を変えているだけなのだと。
「ロキがマスターの老賢人としての意識を基礎とするように、私は太母が基礎になっている。もっとも本来の器はスザクからのコンバートだけれど」
時に実家の縁側でロキと一緒に小鳥の姿で寝ているのを見かける。常時人型は燃費が悪い。
「マスター」
「ん?」
「焦る必要も急ぐ必要も無い。いつか、でいい。必ずなら」
それでいいと静かに語る。
「分かった」
そう答えながら心の中で思う。
でもそれは。そう遠くはないだろう、と。