EX3-38

 春。
 穏やかな日差しと暖かくなり始めた風が濃緑の香りを運んでくる。
 そんな四月上旬。
「だりー」
 やる気のない声を上げるのは、まだ真新しい制服に身を包んだ少年だ。
「入学式から揺るぎ無いね」
 そう言って呆れた声を返すのは隣を歩くやはり同じ制服を着た少年。こちらの少年の方が上背がある。
「そう、その入学式が面倒なんだよ。どうせ放送室とかあるんだろうから教室で流せばいいじゃん。立ったまま寝るのは難しいんだぞ」
「寝ることを前提で考えるからおかしな結論に達するんだ。式を通じて―――ほら、こう、なんか思い立ったりするんじゃないの?」
 後は保護者向けの体裁とか。

「じゃあヒロスケはなんか思い立ったりするのかよ?」
「それとこれとは話が別」
 つまり思い立たない訳ね。全く都合のいい男だな。

「いやー、でも無事に高校入学と言う晴れ舞台に立てて良かったなぁ」
 しみじみと呟く優男に
「よく言うよ」
 コイツの頭の出来はかなりいい。それこそもっと上を目指せる程度には。

 これから三年間お世話になるであろう学び舎は一応進学校に分類される。
 では学業に力を入れているのかと言われればそうでもなく、ならば部活動が活発なのかと聞かれればそれもそこそこ。
 取り立てて宣伝する事の無い平凡中庸を絵に描いたような高等学校である。
 まぁあくまで学校案内での感想でしかないので、蓋を開けたらまた違った感想を持つかもしれない。

 ヒロスケは分かってないなぁと肩を竦める。
「いやいや、タスクに学業を教え込むのは困難を極めたね。何度挫けかけたことか」
「ああ、なるほど」
 すごく納得してしまった。
 タスクの勉学に対する不勤勉さは小中学校計九年間の集大成とも言えた。
 そして不勤勉であるがゆえに授業への不熱心さは致命的であり、宿題の提出率は三割を切っていた。
 唯一誇れる教科があったとすれば体育だろうが、それも学年トップとはいかない。
 美術は人並み。音楽は残念。
 教師も匙を投げたタスクの面倒を試験前日まで見続けたのはこのヒロスケだった。
 そんなヒロスケだからこそ晴れ舞台なる言葉をしみじみ呟くのもまぁ得心が行く。

 完全に余談だが、平均を地で行く自分は人並み以下の努力と労力しか支払っていない。
 つい十日ほど前から訳有って実家から離れての暮らしを始めているが、その実家の特異性により他の生徒よりも評価が甘い。
 具体的には授業中に寝ていても(いびき)をかいたりしなければお目溢ししてもらえる。後は出席と提出物と試験の点数さえクリアしておけばなんとかなる、といった具合だ。
 それを差し引いた上での特異性は『生命の危険』なのだから常人には理解し難いだろう。

 もっとも授業態度はともかく生活態度にはお目溢しがない為、内申書の内容はあまりよろしくないだろうことは予想の範囲内だ。それをカバーする分だけ試験をいつもより頑張ってみた。
 後は去年の秋に三人で武術大会なるものに参加して見事優勝。でも進学勉強に忙しいのと怪我をしたら大変だからと、もっともそうな(ある意味で嘘臭い)理由で上の大会への参加は辞退した。それでも優勝という事実は評価してくれたんじゃないかと思う。
 ああ、地道な努力って大切だよなーと思ってみたりしてみたり。

「うぉーい」
 道の先で小さい体で大きく手を振る学生が一人。
 なんだろう。流石に小学生と言うには無理があるが高校生と言うのも無理がある。
 それはつい一ヵ月前まで中学生だったという時間的な問題ではなく、本人の内面に由来する雰囲気がそう見せるのだろう。
 高校一年生と言うよりは中学一年生と言われたほうがしっくりする。―――口に出すと面倒なことになりそうなので言わないけれど。
「よぉ」
「おっす」
「うぃーす」
 低燃費な挨拶を交わして同じ方向へ歩き出す。
「あーもう、なんかワクワクするな!!」
 タスクの発言にヒロスケと顔を見合わせる。
「なんで?」
 ヒロスケが疑問を代弁してくれた。
「え? だって入学式だよ? クラス分けだよ? 新しい出会いにトキメクじゃん?」
「ああ、まぁね」
 控えめな同意は俺に気を遣ってか。
 それが面倒なんだけどなーとは水を差すので口には出さない。
 タスクのこの社交性の高さは生涯追い越せないだろう。

「いやー、でも三人無事に入学できて目出度し目出度し。これも努力のタマモノだな」
「そうだな。―――主にヒロスケの」
「お、俺、頑張ったよ!?」
「なぁタスク、頑張りは認めるけどせめて『日々の』努力の賜物にしてくれ」
「う、ういー」
 詰め込み勉強は懲りたのか、以前では考えられない返事をする。前向きでないのが残念だが。

 そう言えばと歩きながらタスクが口を開く。
「シュウは雪や桜と一緒に登校しなくてもいいのか?」
「大丈夫だろ?」
 たかが通学。問題が起こることの方が稀だろう。
「はぁ、相変わらず乙女心の分からん奴だね。黒川君は」
「ほほう、男の癖に女心の分かる柳君は流石だなぁ」
 嫌味を返すと浅く溜息をする。
「そこは察してやりなよ。乙女心云々は置いといてサ」
「―――」

 だってなぁ、美人ってだけでも目立つのにそれが二人も居たら余計に目立つじゃん。目立ちたくないんだよぅ、俺個人は。
 ただまぁ注目を浴びるのが余り好まない二人だからこそ、一緒に居た方が良かったのかな? と思わなくもない。
 そういう所を察しろとヒロスケは言いたいのだろう。
 どこまでも自分本位だなぁと空を見て現実逃避してみたり。
 どちらにしろ今からの合流は時間的に無理がある。後の祭りかと気楽に結論付ける。

「そういうお前等はエンはどうしたんだよ?」
「ああ、誘ったらさ『アンタ達と一緒に登校なんかしたら高校生活が暗黒時代に突入するから絶対、嫌』だってさ」
「手厳しいなぁ」
「ですなぁ」
 男三人しみじみと語る。
 そんなに嫌なら同じ高校を選択しなければ良かったのに。
 記憶が確かなら、最初は結構いいとこの女子高を選択肢に入れていたハズだ。学力の方も楽勝とまでは言えないが、タスクに比べれば全く無理の無いレベルだった。
(どんな考えがあったのやら)
 それが自分たちと同じ、もしくは近似の思惑なら喜ばしいなぁと思う。

 取りとめの無い話をしながら歩いていけば高校の校門が見えてくる。
 門の横には紅白の造花で彩られた看板があり、墨字で入学式と書かれている。
「おー、おー!!」
 よく分からない感嘆を上げるタスクを他人のフリで無視して人だかりに向かって進む。
 人だかりの先には予想通りクラス表が張り出されているのが遠目に分かる。そしてそのせいで場が停滞しているのも。
 中々先が空かない理由は、見知った顔が居ない教室が不安だからだろう。
 中途半端に、顔見知りが居る『かもしれない』。そういう小さな期待が場を遅滞させている。
 そんな他人を、迷惑極まりないなと思う自分は馴染んだ顔の絶対数が少なすぎるからだ。
 例え同じ中学の出身だとしても顔と名前が一致し、かつ気軽に話の出来る奴は両手で事足りると胸を張って言える。いや内容自体は全く誇れないのだけれど。
 後ろからヒロスケ達が追い付いてくるより早く横からの視線に気付く。
 その先を辿れば楚々とした雰囲気をした女生徒が二人。
 全てと言って良いほど似通った顔の造りは正真正銘双子の姉妹だ。
 命の恩人兼、つい一月前までは同じ屋根の下で暮らし同じ釜の飯を食った仲だ。
 笑顔で近付いてくる二人に、周りの男の何割が気付き等しく目を奪われる。
 そしてその笑顔を向ける先が冴えない男と言うだけで小さくとも確実に敵意が芽生えた。
「―――」
 ああ、今自分は一体どんな表情をしているのだろうか。

 好き嫌いの単純な二択なら間違いなくその針は好きに振れる。
 人柄も容姿も、ついでに料理の腕前も。人並みか、人並み以上のものを二人ともが持っている。であるならば一般的に見ても嫌う方が難しい。
 ただそれに付随するエトセトラに尻込みしてしまうのだ、自分は。

 ケツの穴が小さい男だねぇと揶揄してみる。
 それで何が変わるわけでは無いけれど自己認識は大切です、多分。
 だから一緒に登校したくなかったんだよなーと、言い訳がましい思考に一旦リセットを掛ける。いくらなんでもその思考は命の恩人にとる態度では無い。それに
(本心とも言い難い、か・・・・・・)
 一番自分自身が面倒なのかもしれないなと漠然と感じる。

「おはよう、シュウちゃん」
「うん、おはよう」
「おはようございます」
 ちゃん付けは未だ去らず。
 呼び捨てにして欲しい訳でなく、ただ何となく適切な距離感が掴めていない気がする。なんと言うかお年頃だけに。
「なんだか新鮮ですね、朝の挨拶だけなのに」
「そう?」
 少し困った顔で雪と桜が頷く。
「学校で朝の挨拶をするのは初めてじゃないですか?」
「ああ、成程ね」
 納得、納得。
「もうクラス割は見た?」
「ううん、まだです」
「一緒のクラスになれると良いですね」
「望みは薄そうだけどね」
 中学よりも更に2クラス増えて8クラス。
 中学時代は二年でタスクと一緒になったきりで他はバラバラだった。親しくなる前のエンとは一年の時に一緒だったが、まぁそれはノーカンでいいだろう。
「おいーっす」
 ヒロスケ達が追い付いてそれぞれが挨拶を交わす。
 それにプラスしてヒロスケはそつなく、制服姿が可愛いとか似合うとか口説いているのかと半眼を向けたくなるような科白をいい、雪と桜も社交辞令としてそれを上手く受け取り、受け流す。

 ヒロスケの場合は女性の髪形や衣服、アクセサリーを褒めるのは男として当然といったノリだし、雪と桜に至ってはそういうヒロスケという男の気質を理解しているから必要以上に本気にはしない。それでも『お世辞だと分かっていますが、褒められるのは嬉しいですよ』というニュアンスを言葉に混ぜるので場がお寒くならない。

 いつからここはどこぞの上流子弟の通う学校になったんだ?
 極々普通の公立高校だったと思ってたんだけどなぁ。
「あ、エンとリエーテさん発見!!」
 目敏く人混みの中からエンとその横にすごく目立つリエーテを見つけたタスクが走っていく。
 そしてすぐにしょげた様子で戻ってくるタスクと嫌そうに顔を顰めるエンを見て大体経緯は推測できた。
「うぉぉぉ、俺は今人生の厳しさについて谷よりも深く悩んでいる」
「残りの実り有る人生に活かせるといいね」
「ぬぁぁぁ、ここでも冷たいあしらいを受ける俺は、それでもめげない!!」
「ああ、うん、頑張れ」
 心の籠らない声援にいじけて地面にのの字を書き始める。
 やれやれ先が思いやられる。幸い周りが特にタスクの奇行に意識を向けていないのが有り難い。
「あれ?」
 一早く気付いたのは桜だった。
 視線の先を追えば上級生かと見間違う程大柄な男子生徒が二人。こちらに向かって歩いてくる。
 一人は髪を短く刈り込んだ凶悪そうな男。
 もう一人は髪を伸ばし後ろで括っている凶暴そうな男。
 結論、どっちもロクな人相をしていない。なるべくなら係り合いを持ちたくない類の人種だ。だが残念ながら相手の顔を覚える程度には係り合いがある。
 偏見って酷いですねーと内心ツッコんでみるが
「オイ」
 低い不機嫌な声でいきなりの言葉に溜息を隠しきれない。
 ヒロスケに対応を丸投げしようかと思った矢先に桜が身を強張らせ、それを守るように雪が半身で隠す。
 無意識で一歩前に出ていた。
「なんだよ?」
 険悪な雰囲気に周りから視線が集まりだす。
「覚悟しとけよ、テメェは絶対負かす」
「そんな出来もしないことをわざわざ宣言しに来たのか? もう少し時間は有意義に使え」
 軽いジャブに相手の拳が動く。それを止めたのは
「オイ、兄貴!!」
 弟の清十郎だった。まだこっちの方が理性的なのは昔から変わっていないようだ。
「フン」
 鼻を鳴らし、物凄い勢いで見下ろしてくる。
 大抵の人間ならばそれで委縮するのだろうが、生憎とそんなしおらしい感覚は持ち合わせていない。

 周りから囁かれる声は
 おい、アレ。えー、いきなりケンカか?
 見ろよ、島岡だぜ。ウソ、本物? なんで? 学校側が手に負えなくなったらしいぜ。やだねぇ、せっかくの高校生活が。
 ねぇあれ誰? 島岡に睨まれるなんてついてない奴。
 なぁ、もしかしてあれクロカワじゃねぇの? クロカワ? だれ?
 あ、知ってる。血で黒い川を作っちゃうんでしょ? え? マジかよ? 島岡よりやべぇじゃん。ほら、秋季大会で・・・・・・。

 ウンザリする。
 なぜかこの脳筋野郎より問題児みたいな扱いなのが納得いかんのだが。
 無言の睨み合いの結果、先に断十郎が去っていく。
 流石に衆人環視の中で先に手を上げることの不利を学習したか。
(なるべく係らないようにしよう)
 小学生のノリで喧嘩をふっかけてそれを相手にしていたら停学になりかねない。
 桜が詰めていた息を下す。
「大丈夫?」
 問いに力の無い笑みで頷く。
 それこそ小学生の頃、あの筋肉馬鹿にいじめられていた経緯から大柄の異性に対して苦手意識を持っている。
 単純な格闘戦なら引けはとらないだろうに。心理面の克服は難しい。

「お、そろそろ時間だな」
 校舎の大時計を見たヒロスケが呟く。
 人混みも少し収まってきたことだし
「それじゃぁクラス分けを確認しに行きますかね」
 呟き空を見上げる。
 楽しくなればいいねと。



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