SS-2 12月30日

 年の瀬も極まる12月30日。
 今年私達は受験生。よって短い冬休みの間に、大量の宿題を消化することを余儀なくされていた。
 にもかかわらず明日、大晦日から三箇日は家の神社の祭りを手伝わなくてはならず宿題をこなす時間は大幅に削られる。
 辺鄙な場所に神社兼家があることも関係して、お祭りはしめやかに行われる。
 ニュースで騒がれるような忙しさは無いのだが、拘束時間がやたらと長いのは毎年の事だ。
(年末年始に暇な神社って一体どうなんだろう?)
 なんて思わなくも無い。
 もっとも表向きの年中行事は副業のようなものだとは理解している。
 ただ、そうでなくとも準備等で予定より宿題を消化できていないことに、休み中に全部終わらせることができるのかなと、不安が募る。

 いい感じに集中力が途切れてきたのを自覚して時計を見る。
 時間は午後九時過ぎ。
 同じように居間の掘炬燵(ほりごたつ)に集まって、お姉ちゃんと千夏ちゃんが宿題をせっせと片付けている。
 お父さんとお母さんはまだ明日の準備をしているだろう。
 そこでふと、さっきまで一緒に宿題をしていた少年の姿が消えていることに気付く。
 何時の間に消えたんだろうと軽く驚きつつ、二人の邪魔をしないようにそっと居間を後にした。

(どこに行ったんだろう?)
 うろうろと家の中を探し回る。
 とりあえず自室に帰ったのだろうかと声を掛けてみたが返事は無く、明かりも点いていなかった。道場も無人だったし、お父さんとお母さんの所にも居なかった。
 居間の炬燵の上に、宿題のプリントやノートなどは置きっぱなしにしていたのでその内帰ってくるつもりなんだろうけど、見つからないと却ってムキにになって探し出したくなる。
 一通り家の中を探し、最後に玄関の靴を見ると見慣れた靴が一足無くなっていた。
(・・・・・・外?)
 出歩くには遅い時間だし、特に用事があるとも思えなかったが靴を履いて玄関の戸を開けて、―――すぐ閉めた。
 寒い。
 とりあえず一度自室に帰り、上着をとってきてからいざ外へ。

 気温が一気に下がる。
 いつもより冷気がずっと鋭く感じられた。
 吐く息は白く曇り、やがて色を失って消えていく。
 その光景は冬だから当たり前のことなんだけど、それに加えて今は雪が積もっていた。
 一歩踏み出す度に、雪のこすれる音がする。
 この地域で、この時期に、雪が降ることはあっても積もるのは珍しい。
 毎年の祭事を思い返してみても、雪が積もっていた記憶は無い。
 天気予報では寒波と湿った空気の影響で雪が降り、年が明ければ少し緩むだろうと言っていた。

 空を見上げると、薄く広がった雲から月が見えた。
 朧月。
 そしてふわりと舞うように雪が降ってくる。
 こういう時、受験生って損だなぁと残念に思う。
 受験生で無ければ、珍しい時期に積もった雪に多分はしゃいたはずだ。
 とそんなことを考えながら少年を探す為に足を動かす。

 すぐに少年は見つかった。
 上着のポケットに手を突っ込み、門柱に背中を預けて夜空を見上げている。

 声を掛けようと口を開いた状態で固まってしまった。
 近付くことを躊躇わせる何かがソコにあった。

 雪の舞う銀世界で、ただ一人。
 何人たりとも犯させることの無い空気の中。
 目を細め、薄雲の掛かる空を見上げている。
 彼を覆う空気は雪の降る今この瞬間よりなお冷たく、纏う雰囲気は凄絶なまでに廉潔で。
 横顔からだと言うのに熱のない瞳だと、なぜか理解できた。
 そこに確かに居るはずなのに。
 雪と一緒に音も無く融けて、何処かへ消えていってしまうんじゃないかと。恐怖すら覚えた。

 その恐怖は金縛りに会う時に感じる怖さに、よく似ていた。
 夢か、現か、幻か。現実味は薄く、曖昧で判然としない。
 ただ自分ではどうすることも出来ない怖さがそこにある。

 唐突に彼が振り返る。
「あれ、桜? どうしたの?」
 驚いた顔に無邪気な声。
 その仕草に心底ホッとして気が抜けそうになる。
 私が見ていたものが、ただの錯覚だと思えた。
「―――シュウちゃん、どこ行ったのかなと思って」
 彼はキョトンとした顔を作る。
「んで、わざわざ?」
 はい、そーですよ? と答えると一瞬眉間に皺が寄る。
「風邪引くなよ? 明日から祭りなんだから」
 言葉とは裏腹に、その声音には労わりの色が含まれていた。
 悪戯っぽい笑みを返す。
「シュウちゃんも気をつけて下さいね?」
「ん、りょーかい」
 間延びした興味の薄い返事が返ってくる。
 そしてまた、ふと顔の向きを戻して夜空を見上げ始めた。

 無言。
 風は無く、ただふわりと舞う雪だけが時間の経過を告げる。
 しばらくそのまま彼を見つめて、そこから当分動くつもりのないことを悟った。
 一人きりの時間を邪魔するのが悪いような、無視されているような、もっと一緒に居たいような。
 立ち去るべきなのかなと思い始めた時、唐突に
「・・・・・・門の下、入れば?」
 素っ気無い口調で提案。
 ここに居てもいいよと、遠まわしに言われた気がして嬉しかった。その反面、邪魔にならないかなと少し尻込みしながら門に近付く。
 肩を並べたほうが暖かいのは分かっていたけど、それはちょっと気恥ずかしくて、だからもう片方の門柱に同じように背を預ける。

 熱を感じるには遠く、手を延ばしても触れ合うことのない微妙な距離。
 まるで自分たちの関係にそっくりだと思う。

 秋の一件以来、劇的な変化はない。  強いて上げるとすれば、お姉ちゃんとシュウちゃんの距離が元に戻ったくらいか。
 一歩進んで一歩戻る。ちょっとおかしい。
(それでも―――)
 拒絶はされない。
「―――」
 思い出すのは病室でのやり取り。
 あの時、彼は最後にこう言った。『だったら精々頑張って下さいよ』と。

 月明かりに照らされる横顔を盗み見ながら色んな想いが渦巻く。
 他人事ですかー!? とか、意地悪ー!! とか、その卑怯な答えはなんだー!? とか。
 ネガティブなんだけど、ネガティブになりきれない想い。
 持て余し気味の感情。
 しかもその後、唇に―――

 顔が一瞬で火照る。
 慌てて視線を戻し、思い出しそうになったことを即座に遮る。
(今、顔を見られたら絶対顔が赤くなってる)
 冷えた手を頬に当て、熱を冷ます。
 バレていないだろうかと、恐る恐る再び横目で盗み見る。
 その横顔を見て、気持ちが平常に戻った。

 相変わらず月を見上げた格好のまま、少しだけ楽しそうに、笑っているように見えた。
 穏やかな幸福に身を浸すような、小さなゆっくりとした笑み。
(気のせい・・・・・・じゃないですよね?)
 きっと、他の人だったら気付かないようなほんの些細な表情の変化。けど間違いないはずたと、そんな自負がある。
 その表情になぜか自分も嬉しくなって、同じように無言で夜空を見上げ続けた。
 それから三十分して家に入った。
 寒いけどなんだか暖かいまま眠りについた。



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