4-3

「おっちゃーん、たい焼き二つ!!」
 小さな暖簾屋台に元気な声が響く。
 それに気さくな声を返すのは四十後半、小腹の出た男だ。
「おお、坊主久しぶりだな。高校はどうだ?」
「まぁまぁかな。中学の頃よりは勉強頑張ってるよ」
「ほー、そいつはスゲェじゃねぇか。俺は勉強はからきしだったからなぁ」
「ははは、大丈夫。俺も半分も分かってないから」
 ガハハハと豪快に笑い飛ばす。
「それじゃ駄目だろーが」
「いや、まぁ、そうなんだけどさ。高校入試の時は友達に迷惑かけたからなぁ。分からないなりになんとかもがいてる最中」
「へー、そいつはそいつは」
 感心だなぁと焼きあがったたい焼きを袋に入れて渡してくれる。
「そう言えば今日は一人なんだな? 同じ高校通ってるんだろ?」
 代金を渡してから
「へ、男だったら四六時中一緒って訳にもいかないぜ!! たまには一人でぶらつくのも乙ってもんだ!!」
「ほー。今度は誰の受け売りだい?」
「べ、別に受け売りじゃねぇし!! ほんとだし!!」
「あー、そうかそうか。格好いい、格好いい」
「俺、これでも客なのに扱い酷くねぇ!?」
「自分で『これでも』とか言ってるうちはこのままだな」
「くっそー」
 笑ってまぁ頑張れよと声援を送ってくれる。
「あ、そういえばさっき異人さんが客として来たぞ。ついさっきだからもしかしたらまだ近くに居るかもな」
 珍しいねぇと暢気な感想。
「―――」
「いやー、異人さんってのはみんなあんな美男美女なのかねぇ。だとしたら異国もいいかもしれねぇなぁ」
「それって二人組じゃね? それだったら俺その人達知ってるかも」
「なんだ、知り合いか? 世間も狭いな。あ、もしかして神崎先生の所のか?」
「いやー、ちょっと、違うかな?」
 師匠のとこに居るという意味では違わないのだけれど。
「おっちゃん、サンキュー」
「おう、今度は仲良くダチと来いよー」
「りょーかーい」
 慌ただしく駆け出す。
 思うことは一つ。近くにいるんだろうか。
 話をきちんとしてみたいような怖いような。
 見つけたら声をかけてみようかと漠然と決めた所ですぐに見つけてしまった。
 まだかなり距離があるのにグランさんはもうこちらに気付いている。
 自然体なのにこの距離で感知するのは師匠とシュウで三人目だ。

 片手を上げて挨拶してくる。
(なんか普通に良い人そうだ)
 隣にリエーテさんも居ることだし、いきなり取って食われたりはしないだろう。
 近付いて挨拶を返す。
「こんにちは」
「こんにちは、ユウ」
「こんにちは。タカミネ・・・・・・ タスク君じゃなかったっけ?」
「タスクは綽名で、ユウが本名です。楽な方で呼んでくれればいいです」
 というかMOBキャラ扱いされそうなのに俺のこと覚えててくれた。やっぱりなんか良い人そうだ。
「ああそうなのか」
 にっこり。
 うわー、すげえ美形。ヒロスケも格好いい方だとは思うけどグランさんは輪を掛けて格好いい。―――たい焼き食ってるのに。
 いいよなー、背が高くて。おまけに
「グランさんって強い?」
 一瞬きょとんとした顔をして
「それは喧嘩で、って意味?」
「武術全般で」
「うーん、まぁ多分。そこそこには」
 予想通り。けれどそれは言葉通りでないだろう。
「シュウと比べたら?」
「そういうタスク君は?」
「シュウと比べるなら鼠と象」
 真顔で言い切る。実はもっと差があるかもしれない。
 困った顔でシュウと比べるならか、と呟く。
「三割、いや二割がいいとこかな」
「勝負して勝てる?」
「五回に一回、勝てればいいだろうね」
「そっか」
 それがどうかしたのと水を向けられる。
 その言葉を聞いてなんとなく、ぼんやりとしていた想いの形が見えてきた。
 グランさんが来てから、いやリエーテさんが来てからか。ずっとモヤモヤしていた形の疑問。

 何故と。
 でもそれはとても単純な理由。
 力が有るから。

「だからシュウを頼るの? だからシュウに―――重荷を負わせるの?」
 他意の無い真っ直ぐな疑問にグランさんの笑みが凍った。
「ユウ!!」
 一瞬遅れて鋭い言葉を放ったのはリエーテさんだった。
 強い非難の目を向けられる。
 生まれて初めてと言っていいくらい、強い怒り籠った視線。
 それにどう対処すればいいか分からない自分がいて、でも相手を見つめ返す。

 それぞれにそれぞれの立場がある。だからリエーテさんが俺の言を非難するのもしょうがないと思う。それは俺とリエーテさんが大切に想うもの、守りたいものが違うから。
 だから仕方ない。
 恨まれるのも憎まれるのも悲しいことだけれど。
 ふとそんな感情にいつもシュウは晒されていたのかと思うとまた少し悲しくなった。
 でも。
 だったら。
 シュウは?
 シュウが大切に想うもの、守りたいものがグランさんたちと同じなら、俺が口を挟むことじゃない。
 けど違う。
 少なくとも俺はそう思う。
 シュウの願いは多分、きっと別にある。それがなんのかは分からないけれど。

「俺は、グランさん達ほど何かを知ってるわけじゃない。何か想像もつかないようなスゲー理由が有るんだと思う。それでグランさん達も多分、シュウに押し付けるような真似をする人たちじゃない・・・・・・と思う」
 同意が欲しくて相手の表情を探ってみるが答えは見えない。
 だからそのまま思いの丈を口にする。
「けどやっぱりおかしいよ。だって―――」
「幸せに暮らしているのを壊すのはおかしい、と?」
 グランさんは冷めた目で肯定の言葉を放つ。
 そうだね。ああ、おかしいよ、と。それでも
「一人の幸せを壊すことで大多数の幸せが得られるのなら、僕たちは一人を切り捨てる。僕らはそれを躊躇しない」
 なぜなら
「その選択を過去に選んでしまっているから」
 それが
「かつての友人だったとしても」

 ちりりと脳の奥で焼けるような音がする。
 なんだよ? かつてとか、友人だったとか。
 なんで過去形でばっかり話すんだよ。
 そんな寂しそうな顔をして。
 グランさん、アンタは強いんだろ?
 なのに。
 どうして。
 過去の間違いを繰り返そうとするんだよ。
 その時、間違った選択をしたのなら今度は正しい選択をすればいいじゃないか。

 こういう時、頭の悪い自分が嫌になる。
 言いたい言葉ばかりが頭を巡って纏まらない。
 知りたいことと、知らなければいけないことと。
 何を訊ね、何を話、何を考えなければならないのか。

 まるで知恵熱の熱が腹に溜まっていくように。

「タスク君、分かって欲しいとは言わない。けど僕たちには僕たちの志しと覚悟がある」

 なんだよ、それ。
 ココロザシとか、覚悟とか。
 そういうのは正義の味方が使う言葉だろ?
 もっと格好よく、胸を張って言ってくれよ。
 そんな悔いた表情じゃなく、もっと。

 腹に収まり切らなかった熱が全身に巡る。
 握りしめた拳の痛みでそれが熱ではないことに気付いた。
(ああ、これは・・・・・・)
 怒りだ。

「分かるかよ、バカチン」
 押し殺した声に場の空気が止まる。
「ユウ、この方への侮辱は―――」
「知らねぇよ!!」
 事情も立場も、その悔いた表情の意味さえも。
 何も分からない。
 頭の悪い自分には、話を聞いても理解できるかどうかも怪しい。
 それでも
「シュウは本ッ当に、めんどくさい奴だ。物臭だし、暴力的だし、おまけに腹黒で嬉々としてスパルタな特訓課すような性格ドSだ。けど!!」
 一息。
「昔の間違いを他人に押し付けたりはしねぇ!! 他者にそれを求めるなら少なくとも自分の間違いを正してからだ!!」
「綺麗ごとだよ、それは」
「だから力を求めたんだろ!? 綺麗ごとを貫くために!! 」

 レージのおっちゃんが言っていた。
 捨てるのではなく失うことで力を得たと。
 そんな不幸なんじゃね? って思うような訳分からん力で、世界を救った男の話をしてくれた。
 その話の中には英雄や勇者と呼ばれる物語に出てくる単語があった。

 ―――知ってるよ俺は。
 自分がヒーローには成れないことを。
 そういうのに憧れる自分を、周りが馬鹿にしてる程度には知ってる。
 そういうのに憧れるのは幼稚だってのも分かってる。
 だって世界は優しさや善意だけでは廻せない。
 悪とは悪単体でも成立するが、正義とは対立する悪という概念がなければ正義とは成り得ない。
 だけど、それでも―――
(違う)
 そうじゃない。そうじゃないんだ。
 友達が正義のせいで泣くのなら、俺はそんな正義いらない。欲しくない。成りたくない。
 悪でいい。―――黒い全身タイツを着て『イーッ』とか叫ぶのは勘弁して欲しいけど。

「じゃぁ、君はどうするんだい?」
 綺麗ごとだと知った上で、それでも異を唱えるなら。
「グランさん、アンタを止める。俺がここで」
「無理だよ」
 冷然とした声が告げる。
 そしてそれは覆しようのない現実だ。
 それでも半身をずらし構え、臨戦の構えをとる。
 深く深く息をする。
 溜まった熱を排出し、思考を冷ます。
 力場を練り収束させ、それを三度繰り返す。
 一層目は身体の強化に。
 三層目は加圧に。
 二層目は身体強化と加圧の調整に充てる。

 こちらの本気を感じたリエーテさんが前に出ようとするのを、グランさんが手で制す。
 そして静かに力場を纏う。
 恐ろしく薄く、見惚れるほどの高密度。
 力量の差は最早疑うべくも無い。

「力なき正義は無力だ」
 憐れむような視線に、負けじと言い返す。
「確かに力なき正義は無力かもしれない。けど、」
 同じ暴力を振るう者として
「無力な正義を否定してしまったら後に残るのは力有る僅かばかりの正義と駆逐不可能な悪意だけだ。そんなの―――」
 溜めた力を解放する。
「悲しすぎる!!」



 ◇ ◆ ◇ ◆

「いってー」
 気付いたら空の色が変わっていた。
 西日が眩しく空には星が輝いている。
 道路の上で大の字で寝転んでいる自分はさぞ薄汚い格好をしているだろう。
「―――」
 鼻の奥がツンとして目から流れそうになるものを慌てて隠す。
「ちっくしょー」
 全然敵わなかった。
 考えられるすべての技を出し切ってそれでも傷一つ、汚れ一つ付けられない。
 これが現実。歴然たる力量の差。
「―――」
 奥歯を噛みしめる。
 相手は一度も先手を打たなかった。それは後の先が戦型というのではなく、ただ単純に先手をこちらに譲っていたに他ならない。
 一瞬でケリを付けられたであろう戦いは、こちらの心を折るための戦いですらなかった。
 それは
「やっぱり、優しいヒトじゃねぇか」
 全力を出してはいない。けれど侮られてもいなかった。ただ真っ向から向かい合い本気で相手をしてくれていたのだ。
 目の奥から溢れてくる液体が煩わしい。
「・・・・・・ちっくしょー」
 負けた悔しさだけでない複雑な呟きを聞いたのは、誰もいない。



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