4-6

 ぼんやりとした形の雲が浮かぶ空を、屋上で寝転んでぼーっと見上げる。
 今日は特に予定も無く、無為に時間を過ごすことが出来た。
「―――焼ける」
 別に日焼けを気にしているわけでは無いのだが、なぜかこんがり焼けたベーコンのような気分になってくる。
 夕方も近いのに日差しはまだまだ元気だ。太陽さん、頑張り過ぎやろー。
 遮るものがないと少々では無いくらいに熱い。
 一応、梅雨入りをしたと最近の朝のニュースで言っていた記憶があるが、今夏はあまり雨が降っているイメージが無い。
 まぁこれから嫌でも降るだろうと楽観的に思う。

 温い風が吹く。
 湿気を含んだ清々しさとは程遠い風だ。
 それでも
「―――」
 熱が風に流されていく様は気持ちよかった。
 余計な思考は働かず、ただ風の音に耳を澄ます。

「いいよなぁ、こういうの」
 静かに日常の自然を楽しめるのは、凄く有り難い気がするのだ。
 七年前は忙しすぎて、何かを感じることに鈍麻していた。
 余裕って大切ですよねーと囃す声に対する意識は冷ややかだ。
 思い出したように呟いた名前は擦れて消えた。

 気付けなかったんだよなーと、そう思う心は重く沈み込んでいく。
 鈍麻していたから。そんなのはただの言い訳で。
 そう思う一方で万能的に他者のことを思い続けるのは無理があることも理解している。
 ああ、ウジウジと過ぎたことを悔やみ続ける自分は本当に格好悪い。
 溜息一つで自虐ネタを切り上げ、かつての友人の顔を思い浮かべる。
 思い出すのは別れ際の『ありがとう』という言葉。そしてつい一月程前の援護砲撃だ。

 古代遺物(アーティファクト)―――サイズ的には遺跡か―――である『星を廻る環(スターゲイザー)』から紅い魔想機(グレン・ノヴァ)へ放たれたあの一撃が無ければ今頃、自分を含めこの場所すら存在していないだろう。

「無茶するよなー」
 左手を天に伸ばす。
 『樹木型世界統括制御式基幹量子計算機(ユグドラシル)』へのアクセスは著しい負担を掛ける。肉体的にも精神的にも。
 全能を付与されるかわりに自我が消滅していくあの感覚は、壊滅的な愉悦か、快楽的な破滅か。
 言葉遊びだよなーと思う。
 碌でも無いという感覚だけははっきりしているのが救いと言えば救いだ。
 理性が残っていればそれを恐れることができるのだから。

 だから思う。何やってんだよと。
 自分に関係の無い世界の危機を助けるために『(カルマ)』を使うなんて馬鹿げている。しかもそれを成したのは『英雄』でも『勇者』でもない『魔王』だ。本当に世の中間違ってる。
 君のことを顧みもしない、知らない世界なんて憎んでなんぼだろうに。

「君の最後を救えなかった『救世主』なんてゴミ同然じゃないか」
 交わした言葉と視線は不自然に穏やかで。
 全てを受け入れていた訳では無いだろう。封印されることに少なからず恐怖があったはずだ。
 それを気丈に振舞うことで隠していたのではないかと、そう思うのだ。
 そしてそれに気付こうともしなかった自分は、ただの自己満足で。
 感傷に付き合わせていただけなんなんだろうなと、自嘲を唇に刻む。
 だから、それらを悼む資格を己は持ち合わせていない。
 結局は見捨てて、逃げて、君の封印を決めた彼らと一体何が違うというのだろうか。

 知らず作っていた拳を息と共に緩める。

 償えるとは思わない。
 帳消しにすることも出来ない。
 それでも、僕は―――。

「何がしたいんだろう?」
 いや、違う。
「―――どんな結末を望むのか、か?」
 その為に
「さて俺はどう動くべきなのか」

 その答えの、半分くらいは既に出ている。
 後はお決まりの優柔不断と、事なかれ主義が能動的に動くのを躊躇わせる。
 他の誰かがパパッと解決してくれないかなー、なんて都合のいい妄想を考えないでは無い。
 ただその望みが叶う可能性が限りなく低いことに大きな溜息を吐く。

 この世界に来てからの七年以上の月日を思い出す。
 ただ、過ぎていくだけの日常が、どうしようもなく幸せで。
 まるで夢をみているようだった。幸せな夢を。
 そして出来る事ならこのまま、ずっと―――
「ってそりゃ幾らなんでも、高望みしすぎでしょ?」
 呟く声に自嘲の色が混じる。

 錆びた鉄扉が音を立てた。
 誰だ、と疑問に思う間もなくその人物が分かってしまうのは。
 ああ、根本的に違うんだなーとそんな感覚からだ。
 それと同時に自分も今まで他者からこういう風に見られてきたのかなと、ここ半月ほど感慨に耽ったりもする。
 何が、どう、根本的に違うのか。はっきりとした言葉では言い表せない。ただ纏っている空気が明らかに異なる。

「少しいいか?」
「―――」
 近付いてきた相手に対し、無言で身を起こす。
 会話らしい会話はあの夜以来。それに応じるかどうかは話の内容次第だ。徹頭徹尾無視を決め込むほどの感情を、―――少なくとも今は―――持っていない。
「元気にやってたのか?」
「それなりに」
 冗談抜きで何回か死にかけたが、今は元気だ。
「・・・・・・いい町だな」
「そーだな」
 平和でいい町だ。あっちの世界とは違う。
「―――」
「・・・・・・」
 横滑りしていく会話に沈黙が落ちる。世間話すら真面に出来ない溝がそこにあった。
「今日は―――」
「本題に入れよ、英雄」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 放たれた言葉に熱は無かった。
 どこまでも他人に接するような熱の無さだ。
 拒絶の色が無かったのは、果たして僥倖だろうか。
 愛情の反対は憎しみで無く無関心だと、そう言っていたのは確かサイだ。

 せっかくの呼び水を無下にすることなく本題に切り込む。
勇者(サイ)魔王(ケン)に敗れた。これは前にも言ったな?」
 否定が返ってこないのでそのまま続ける。
「今、サイは絶対安静の状態でベットの上だ。恐らく動けるようになるまで半年。完治するには一年近く時間が掛かる」
「そりゃぁ大変だ。ご愁傷様」
 棒読みな軽口に眉を顰める。
「それが何を意味してるか分からない訳じゃないだろう」
 語調が荒くなるのを堪える。喧嘩をしに来た訳ではないのだから。
 だが目の前の相手は軽くて薄い、冷めた笑みを浮かべる。
「いいんじゃないか? 自業自得だろ? 『誰かさん』に無理矢理不幸を七年以上も押し付けてのうのうと暮らしてたんだ。因果応報ってもんだろ?」
 一度口を閉ざしてからああと合点がいったように言葉を付け足す。
「そんなに報復が怖いのか?」
「―――俺たちの国はそうかもしれない。けど」
 意図的に論点をずらす。
「この問題は俺たちの国だけで済む問題じゃない。すでに他の国でも影響が出始めてる」
「へー、そうなのか。それは深刻だな」
 気付いていてわざと指摘せずに相槌を打ってくる。胸の内を見透かされているようで居心地が悪い。
「で?」
「―――だから一緒に帰ってくれ、シュウ」
 名を呼ぶと嫌な笑みが返ってきた。片側の唇の端を上げただけの、嫌な、笑みだ。
「なぁ、知ってるだろ『英雄』? そういう上辺の名分で『救世主』が動かないってことは。それとも会わなかった七年で耄碌しちまったのか?」
 返す言葉に詰まる。
 予想はしていた。こうなるだろうと。だが一縷の望みを掛けたというのともまた違う。
 もっと甘い現実を期待していた。
 もう少し真面な会話が出来るんじゃないかと、そんな甘い考え。だが実際は
「―――」
 冷めきった視線。
 相手を皮肉る時だけ饒舌になるのは七年前と変わらないんだなとぼんやり思う。

 話は終わったと立ち去ろうとする背に
「シュウ!!」
 反射的に名を叫ぶと、相手は歩みを止め振り向く。振り返った時、彼は微笑んでいた。
 感情を読ませない柔和な笑みに絶句する。
 その笑みには冷気が漂っていた。初対面ならまず気付けないような完璧な笑みだ。なまじ親交があったからこそ気付けてしまう。
 黒い瞳は一切の熱を宿さず、笑顔というテクスチャーを張り付かせただけの無表情。そこに親しみなど在ろうはずも無く、分厚い氷で出来た壁を感じさせた。
「ああ、そうだ。一つ言うのを忘れてた」
「―――なんだよ?」
 キツイ言葉を覚悟する。心を折られぬように気を正す。
「のこのことよく顔を見せにこられたね」
 場違いなアルカイックスマイルに肌が粟立つ。
 それと同時に途方もない怒りで肩が震えた。
「ふざけるな!!」
 どいつもこいつも。勝手なことばかり言いやがって。
「俺がどんな気持ちでこの場所に来たか!! 分からないわけじゃ無いだろう!?」
 七年前のシュウも、ケンもサイも大佐も。
 どうして、いつも一人、蚊帳の外で。それなのに!!

「憤ってるとこ悪いんだがな?」
 飄々と冷たい声が響く。
「だったらお前は。どんな気持ちで、俺が、ココに、居るのか。―――考えたことがあるのか?」
「!?」
 静かに。その怒りを写す鏡のよう。
「所詮その程度なんだよ、お前は。―――否、お前らは、か」
 嘲りを隠そうともしない友人に、どうしようもなく心が軋む。
「・・・・・・俺は、お前にとって。そんなに!?」
 否定の言葉を恐れながらも口にせずにはいられなかった。
「―――遠い存在だったのかよ?」
 絞り出すように放った問いに、けれど返す言葉はどこまでも軽やかだ。
「ああ、遠いね」
「ッ!?」
 のどがつっかえたような音に
「『そんな事は無い』『違う』と否定して欲しかったのか?」
 一層の嘲りを混ぜて告げる。
「甘えた上に自惚れんじゃねぇよ、糞英雄」

「本当に大切なモノを、自分の無力さ故に、目の前で失った事の無いお前に―――」



「何が分かる」






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