EX3-16

 寝静まった町。
 街灯の少ない道を歩く。
 断じて深夜徘徊が目的ではない。
 そもそも、寝るのが好きだ。
 故に苦行以外の何物でもない。
「このくらいでいっかなー」
 決められたルートの散策を終え一人呟く。
 そのルートは森の外周を一回りするよう決められている。
 結界にも特に異常は無く、明日の学校に備えるかと帰路に足を向けた。
 見回り当番の場合は、翌朝の修練には出なくてもいい。
 だが居候の身としては出た方がベターだろうなと、溜息付きで思案する。
 自分の帰りを寝ずに待っている養父母の為にも、なるべく早く帰ろうと足を速めた時、
「―――」
 微かにヒトの声が聞こえた。
 それも言い争うような荒立った声だ。
「・・・・・・」
 花見の時期も終わったのに、どこの輩だろうか。
 聞こえなかったことにして家路を急ごうとも思ったが
「―――」
 再び聞こえた声に足を止め、耳を澄ます。
「・・・・・・」
 近い。そしてその声が
「女性、か?」
 話の内容は全く聞こえていないが、痴話喧嘩なら他所でやれよと、苛立ちに似た感情が沸き起こる。
 そう思う一方で足は声の方に向けて走り出していた。
 ただの痴話喧嘩ならそのまま無視すればいい。
 だが万が一のこともある。
 力場検索(フィールド・サーチ)で正確な距離と方角をつかむと
「―――」
 加速する。
 脚に力場(フィールド)を集め一歩で進む距離を稼ぐ。
 走るというよりも、水平方向に跳ねる。そんな動きだ。
 現場にはすぐ到着する。
 そこは細い路地だった。人工の光が届かない暗い路地。
 そんな場所へ、こんな時間に、用も無く入ることはまず無い。
 月の光で、辛うじて男女が対峙しているのだと分かる。
 大人の男と、赤い帽子を被った女が無言で睨み合っている。
 やはり痴話喧嘩か。そう判断し踵を返そうとした所へ
「とにかく一緒に来い!!」
 低い大人の男の声と
「嫌!!」
 若い女の声。それも自分と同世代くらいの若い声だ。
 あー、もー、ややこしいなぁと嘆きたくなる。
 親子か、スリと被害者か、年の差カップルか。
 他にも考えるのが面倒になるほど理由は多岐に渡るが、結論としては
「どうでもいいか」
 浅く溜息。
 さっさと終わらせようという考えの元、
「オイ」
 不機嫌を隠さない、怒気を込めた声で
「近所迷惑だ」
 男女の動きが止まるがそれも一瞬だ。
「何だ、お前は!?」
 少女を挟む形で男からの怒声。
 そうとう会話に熱が入っていたようで、こちらとしては面倒臭さが鰻登りだ。
 吐きたくなる溜息を堪え
「夜間警邏だ」
 答えに対し返ってきたのは嘲りの声だった。
「お前見たいなガキが警邏? ごっこの間違いだろ?」
 あー、んー、まぁ常識的に見ればそれが正論ですよねーと、心の中で客観的に同意してみる。
 ただ、それを素直に言葉にしたところで意味も無いので、無視して話を進める。
「アンタ等、この辺の住人じゃないね?」
「・・・・・・何が言いたい?」
「こんなガキが警邏してるのはこの辺じゃ周知の事実だから、それを知らないアンタ等は余所者。OK?」
 相手が言葉に一瞬詰まったのが気配として伝わってくる。だが
「ああ、そうだ。だからどうした?」
 開き直られた。
「・・・・・・別にいいんだけどね」
 嘆息。
「ただこの辺、夜間の妖物の被害が多いから気を付けた方がいいよ、って忠告」
 軽い言い回しだったが、妖物という単語に後ろ姿の少女の肩が震える。
「―――忠告をわざわざありがとう」
 皮肉のこもった声で男が礼を寄越す。
 男は視線を少女へと向け
「さぁ、そう言うことだ。帰るぞ」
「嫌」
 小さく、だがはっきりと拒否を告げる少女。
「絶対、嫌。私は―――」
 続けるべき言葉を迷い、選び
「とにかく嫌」
 理論では無く、感情で我を通す。
 その言葉を聞いて参ったねと、他人事のように思う。
 どっちの味方をするべきか。そもそも介入の必要性があるのかどうか。
 無駄に終わる気しかしないが、とりあえず事情を尋ねてみよう。
 そう方針を決めた時、少女の髪が突然翻った。
 体の向きを反転させ、走り出し
「こっち!!」
 擦れ違い様に右手首を掴まれ
「っと?」
 引っ張られる形で走り出す。
 止めようか一瞬だけ悩んだが、とりあえず流れに身を任せてみる。
 少女が六歩目を踏む頃には、練っていた力場を開放し速度を上げている。
 後ろの男も追って走り出してはいたが、力場を練っていなかったため、距離が開いていく。
「こら、待て!!」
 焦って叫ぶ声に、若干の申し訳なさを感じたり―――
「しないなぁ」
 こっちに対する態度が横柄だったしねと、心の中で付け足す。
 走りながら溜息を吐いて夜空を見上げる。
「寝不足確定か・・・・・・」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 膝に手を当てて、息を整えようと努めている少女を横目にボタンを押す。
 真夜中であっても光による自己主張の激しい自動販売機だ。
 小さく電子音が鳴り、缶が一つと幾枚かの小銭が吐き出される。
 今度は釣銭が返ってこないよう小銭をインサートし、再びボタンを押す。
 そうして手に残るのはよく冷えた缶が二つだ。
 適当に視線を巡らせ、座る場所を探す。
「何で、全然、息、切らして、ないの?」
 整いきらない息に、返す声は軽い。
「だって、ほら? 一応男の子ですし?」
 言って缶を差し出す。
 結局、あれから闇雲に逃げ回った挙句、少し離れた距離にある運動公園の敷地内で足を止めた。
 来た事は何度かあるが、頻繁に来る場所でもないので敷地内の配置はかなりうろ覚えだ。
 少女は差し出した缶を前に躊躇いを見せたがそれも一瞬。
 乱暴に奪い取られる。
(・・・・・・何か不機嫌?)
 疑問には思ったがまぁ、虫の居所が悪いのだろうと詮索もせず、こっちはこっちで缶のプルタブを開ける。
 一口飲んで息を吐けば、少女の方は缶の中身を一気に呷っている。
 この年代の平均的な体力からすれば、息が切れて疲弊する程度には走っただろう。
「―――何?」
「いえ、別に」
 男前ですね等と思った通りのことを口にすれば、余計に機嫌を悪くするのは火を見るより明らかだ。
(勘だけど・・・・・・)
 経験則的にお約束だろう。
 そんな少女は赤い帽子を目深(まぶか)に被り、表情は口元からでしか判断できない。今は横一文字に閉じられている。
 スカートを穿いているが、赤い帽子にスニーカーは活発な少年のような印象を受ける。
 背は自分と同じくらい。年齢は―――不明。
 ほとんど会話もしていないのに解れと言われても無理がある。
 年下と言われれば年下の気もするし、年上と言われればそんな気もする。精々自分の年齢±2と言った所か。
 街灯に照らされた長い髪の色は亜麻色で、学校で煩く言われないかなと、的外れな心配をしてみる。
 地毛なのかどうか判断の難しい所だが、それを好奇心で聞くのも野暮だろうと思い口を噤む。
 そこで生まれるのは沈黙。
 話す話題が無いわけでは無いのだが、浮かぶ話題はどうしても質問ばかりだ。
 出来ればさっさとお別れしたいので詮索するようなことは躊躇われる。

 深く繋がらないための最良の方法。
 聞けば何かを思うだろう。それがどんな感情に結びつくかは分からないが。
 少なくとも夜中に出歩くという、その行為の理由自体がすでに地雷なのではないかと思ってみたり。

 避けられる危険は避けるに限る。
 相変わらず主体性に乏しい人格だ。そして、そこに満足しているあたり底が知れる。

 そんな自己分析に浸っていたところへ唐突に
「ありがとう」
 意識が内に向いていたこともあり、感謝の言葉に反応が遅れた。
 見れば少女の口元が弧を描いている。
「―――どういたしまして」
「お節介だった気も、しなくはないけど」
 続いた言葉は意地の悪いものだったが、声音はさっぱりとしていて悪意は感じられなかった。
 本当にそう思ったから、口に出た言葉なのだろう。
 自分でも半分以上そう思っていたことだったので
「今度からは自重します」
 慌てたように否定する。
「え、いいのよ!?」
 ふと息を抜く。
「困っているヒトを見て、それを見て見ぬフリをするヒトの方がよっぽど酷いもの」
 言って笑みを深くする少女に対し
「ああ、それは」
 と口にしてから自分の迂闊さに嫌気が差す。
「それは?」
 逡巡し、諦めの境地で言葉を紡ぐ。
「・・・・・・単に管轄内で問題ごとが起こったら嫌だなぁと」
「へー」
 案の定、熱の無い相槌が返ってきた。口元の弧も消えている。
 だがそれも長くは続かない。
「ま、いっか。どんな理由だったにせよ、助けてもらったことには変わりないし」
 再び口元に笑みが戻る。
「ねぇ、君。本当に警邏やってるの?」
 割かし好奇心旺盛で人見知りしないタイプのようだ。こちらとしては沈黙に気を遣わなくて済むのは有り難い。反面、慣れない相手への応答は苦手な訳で。
「半分、本当」
「半分?」
「そう」
「もう半分は?」
「嘘」
「半分って何よ?」
「半分は本当で、半分は嘘ってこと」
 腰に手を当てて、呆れたように息を吐く。
「要領を得ないわね。ちゃんと説明してよ」
「断る」
「なぜ?」
「口下手なんで勘弁して下さい」
 実は面倒なだけですと心の中で思ったが、今度はちゃんと建前を行使する。
「ふーん?」
 いかにも疑っていますという感じだったが深く追及はしてこない。
「じゃぁ、名前は? そのくらいならいいでしょ?」
「ヒトに名を聞く時はまず自分から」
「うっわー、細か!? みみっちい男ね」
 みみっちいとか言われましたよ、自分。
「放っといて下サイ」
 憮然と返すと、ごめん、ごめんと明るい声で返ってくる。
「まぁ、『男』としてその態度はどうかと思うけど、確かに礼儀を欠いてるのは私だったわ」
 言葉の一々に険あるのに嫌味っぽく聞こえないのが不思議だ。これが人柄というやつか。
 少女は軽く咳払いを一度して
「―――」
「?」
 一瞬変な間が空いた。
 それを誤魔化すように
「芙蓉。うん、それが私の名前」
 うん、うんと一人納得している所へ半眼で視線を送る。
「な、何かな?」
「・・・・・・別に」
 自分の名前を名乗るとき、そこに躊躇いを得る理由は多くない。
 よほど恥ずかしい本名か或いは
「人間誰しも後ろ暗い事の一つや二つ、ありますよね?」
「ヒトを犯罪者みたいに言わないでくれる?」
 違ったか。もっとも自己申告なので疑いだせばキリ無いが。
 少なくとも先程の名乗りは
「んで、偽名の芙蓉さんはあんな時間にあんな場所で一体何を?」
「コイツ・・・・・・」
 握り拳を作ってわなわなしだす相手を見て、いかん、つい遊び過ぎたとか思う自分は多分ヒトとして駄目系だ。
 慌てず、落ち着けのジェスチャーをする。
「失礼しました。名乗られたのなら名乗り返すのが礼儀。ええ、例えそれが偽名であっても」
 少女の口元が引きつる。
 それを無視した上で
(わたくし)、佐藤秀一と申します。この春を持ちまして目出度(めでた)く中学二年生へと進級致しました。趣味は盆栽。特技は手品で御座います。今は不肖の身なれども巡回警邏の手伝いをして(そうろう)。以後お見知りおきを」
 言って笑みを見せる。胡散臭さ極まりない作り笑いだ。
「とりあえず、ヒトをおちょくってるのだけは理解したわ。売られた喧嘩は買う主義なんだけどどう思う?」
「今後の人生の為に、矯正することを強く推奨しますヨ?」
「―――」
 静かな怒りを笑みに乗せ
「ふっ!!」
 短い呼気と共に左ハイキックが放たれた。



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