2-4 日常3

 体を遠慮がちに揺さぶられることで目が覚める。
 どうやら草の上に寝かされているらしい。
「隊長、大丈夫ですか?」
「・・・・・・ええ、大丈夫です」
 そう言って頭を軽く振り、身を起こす。
 身を起こしたのは金髪の女性だった。
 雰囲気から二十くらいの歳に見える。
 意志の強そうな真っ直ぐな青い瞳。そこには一種の使命感も感じられた。もしかしたらその雰囲気が彼女の歳を少し上に見せているのかもしれない。
 その女性は変わった白い服装をしていた。
 一見中世の騎士のようなデザインだが、よく見ると機能面を重視した軍隊の制服のようでもある。ただ腰の帯剣がよく映える姿なのは間違いない。
「状況は?」
 自分を起こした青年に簡潔に尋ねる。
「七名全員、無事(ゲート)の通過に成功しました。まだセイルとシデ、それとリックが寝ていますが、直に目を覚ますでしょう。ライオットとイゼアルが情報収集に出ています」
「そうですか」
 緩く傾斜のかかった位置から町の灯りを見つめる。
「ここに―――この世界に、あの救世主が居るんですね」
 金髪の青年は頷く。
「ええ。生きた伝説と化したあの救世主が」
 その頷きに改めて自分達の任務を再確認する。
「セイルとシデが目を覚ましたら私たちも情報収集に動きます。一刻も早く救世主を捕縛し、あの方の元へ連れて帰る」
「了解です。隊長」
 敬礼を返す青年に苦笑を漏らす。
「ばか者。今は班長だ」
「いえ、自分にとっては隊長が隊長であります」
 緊張をほぐすために笑って答える部下を頼もしく思う。
「ならば好きに呼んでください。ただし他の班員がいるときは班長と呼ぶこと」
「了解です」
 青年の言葉に満足気に頷き、もう一度町の明かりを見て寂しそうに呟く。
「必ず見つけて、連れて帰ります」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 結局一睡もできないまま自室で朝を迎える破目となった。
 さっぱりするために早朝からシャワーを浴び、けれど少しも気分は晴れなかった。
 体調不良を理由に朝の修練をサボり、朝食も辞退して一人学校へ向かう。
 一時間目からの授業もサボり、屋上でスザクの作ったレポートを読みふける。

 内容をまとめるとこうだ。
 現在、自分の魔力残量がデッドライン上にあったため、昨夜の僅かな精霊に反応して肉体が急激に魔素を欲した。
 それに相まって、過去の救世主の記憶がフラッシュバックし、あの異常な思考に結びついたのではないか、ということだった。

 だが結局は推測の域を出ていない。
 寝転がって空を眺めながら想いを廻らす。

 フラッシュバックが起こるのは、大抵何かの出来事を鍵にそれに関連付いた過去の記憶が蘇る。つまり過去の救世主が何らかの意図で何かを急激に欲したと言うことだ。
 昨夜の感情がただのエロガキの性欲なら問題ない。健全な青少年の心理として実に結構なことだ。
 だが、あの感情は尋常じゃなかった。
 今思い出しただけでも胸糞が悪くなる。
 圧倒的な飢餓。
 満たされることのない渇き。
 底知れぬ闇。
 自分が普通だなんて口が裂けても言えない。だがあれは異常であるはずの自分から見て、更に異常だった。
 あそこまで人は欲望に純粋になれるものなのなのだろうか?
 あんな獣じみた知性の欠片も、理性の光も見えない暗い欲望は初めてだった。
 深く暗い闇の欲―――

 乱暴に屋上の床を拳で叩きつけることで思考を断ち切る。
 痛みが脳を刺激し、内に篭った熱を吐く。
(止めよう、深く考えると引きずり込まれる)
 自分の中に、自分でない何者かが居座り、そのまま違う何者かになってしまう空恐ろしさを感じた。

 流れる雲をぼんやり見つめる。
 やはりあの家に居続けるのはマズイ気がする。
 いつ、また昨夜と同じ状況になるとも知れない。
 それに追手が動き出したのは明白だ。これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。
「潮時、か」
 左手を空に伸ばす。
 なんの変哲も無いただの左手だ。
 手の甲に何も浮かび上がったりはしない。二対の白と黒の翼も。黒い円も。世界樹の紋章も。
「・・・・・・」
 逃げてばかりじゃ始まらない。だが、ならば一体自分は何に立ち向かえばいい?
「・・・・・・」
 青く澄んだ空に答えは無い。



 ◇ ◆ ◇ ◆

「おー、いたいた」
 能天気な声で目が覚める。
 起き上がって声の主を寝ぼけ眼で探せば予想通りタスクの姿と、ヒロスケとエンがいた。
 ボーっと記憶手繰る。
 日差しが強い。
 どうやらいつの間にか眠っていたらしい。
「一時間目からサボりか?」
 歩いて来ながらヒロスケが尋ねる。
「シュウはどっかの崖っぷちとは違って余裕だね」
 座りながらエンも軽口を叩く。
「どっかの崖っぷちって俺のことかー!? 俺はやれば出来る子って言われるんだぞー!!」
 賑やかな会話を聞きながら思うことが一つ。
「・・・・・・腹減った」
「お前、言うことに欠いてソレかよ・・・・・・」
 ヒロスケが肩を落とす。
「もしかして俺、給食、食い損ねた?」
「そりゃまぁ昼休み入ってんだから、お前の分も既に食い尽くされてるだろ」
 ヒロスケの台詞にタスクとエンが頷く。
 朝食抜いたのは失敗だったなと激しく後悔。 しかし後悔しても自分の分の給食は既に誰かの腹の中。ならば後悔するだけ無駄。
「今日は早退すっかなぁ―――天気いいし」
「いや、天気は関係ないでしょ、アンタの場合」
 的確なツッコミをエンが入れてくる。
 それぞれが苦笑して気分が紛れる。
「そう言えばタスク、古語の宿題は?」
 昨日嘆いていたことを思い出す。
「はっはっはっ、言っただろ? 俺はやれば出来る子って言われてるん、痛っ!?」
 ヒロスケがタスクの頭をはたく。
「馬鹿かお前は? 息抜きに屋上来ただけだろうが!? 今日も放課後残りの宿題やるぞ!!」
「ええぇー!? だって今週中に一学期分終わらせるって言ったから、一学期分終わらせたじゃん!? だから今週はもういいだろ?」
 抗議と不満の混じった声を上げる。
「阿呆かっ!? 終わったんなら、さっさと次取り掛かるぞ!? そうやってお前は後回しにするから次から次へと・・・・・・」
 ヒロスケの説教タイムが始まる。こうなると10分はこのままだ。
 地雷を踏んだタスクに心の中で合掌。
「ねぇシュウ、聞いた?」
 当分相手にしてもらえないだろうヒロスケ、タスクを放置しエンが話し掛けてくる。
「何を?」
「謎の金髪集団の話」
 胡散臭そうに聞き返す。
「謎の金髪集団?」
「そ、結構話題になってるんだけど一時間目からサボってたら聞いてないでしょ?」
 ふふんと鼻を鳴らし、勝ち誇ったようにエンは腕を組む。
「どう、聞きたいでしょ?」
「いや、別に興味ないし」
「ちょっとシュウ、アンタ食いつき悪いわよ。せっかく情報提供してあげてるんだから少しは食いつきなさいよ」
 結局喋りたいだけらしい。
「うわー、それどんな話? 気になるナー」
「く、その棒読みのリアクションがそこはかとなくムカつくんですけどっ」
「的確な状況説明ありがとう。んでどんな話なの?」
 エンは最初からそういう反応しなさいよねと口を尖らせる。
「何でも不良が髪染めてるんじゃなくて本物の異人さんらしいのよ」
 『本物』と『異人』という単語に目を細める。
「・・・・・・へー、この大障壁時代にご苦労なことで」
「でしょー? いったいどこの国の金持ちかしらねぇ」
 うんざりしたようにエンは一度息を吐く。
「しかも帯剣してるって噂なのよ。どこの野蛮な国なのかしらね、まったく」
 今度は武器の所持に憤慨する。
「けど、なんでその人達が噂になってるの?」
「よくぞ聞いてくれました。そこよ。なんとその人達美形揃いなんだって!!」
 妙に力説するエンの顔をより目を細めて見つめる。
「・・・・・・」
 視線に気付きエンがたじろぐ。
「うっ、な、何よ?」
「・・・・・・いや、エンのキャラを見誤っていたなぁ、と」
「し、失礼ね!! あ、アタシだって普通に噂話くらいするわよ!!」
 フムと軽く唸る。
 ヒロスケやタスクに比べて付き合いが短い分まだまだ知らないことが多い。
 もっともヒロスケとタスクのことだって多くを知っているわけではない。
 何となく訳ありっぽいのが分かるのは付き合いの長さ故だろう。
「ま、いっか」
 知っていても知らなくても困らなければそれでいい。
 知っていければいいと思う。でも知らないからと言って今の関係が偽りのものだけでもない。
 ならばそれで十分だ。
「何が『ま、いっか』よ!? 勝手に一人で納得すんなっ!!」
 物凄い勢いでエンが睨んでくる。
「あー、ごめん、ごめん。自分の勝手な勘違いをエンさんに押し付けてました。ごめんなさい」
 素直に謝罪する。
「それで、他に何かその集団についての情報ある?」
 もっと情報を引き出そうとエンに尋ねたところで強引にタスクが会話に割り込んでくる。
「ハイッ、ハイッ。―――そいつら人探ししてるらしいぞ」
 ヒロスケの説教から抜け出す機会を窺っていたタスクが会話に割り込む。
 説教はいいのか? とヒロスケに視線で尋ねると、これ以上何を言っても無駄だからと言うようにヒロスケが頷く。
 ヒロスケの了承を得たのでタスクに尋ね返す。
「・・・・・・なんでそんなことタスクが知ってるんだ?」
「ああ、物珍しいから金髪集団を見てた奴がそいつ等に話しかけられたんだって。なんでも七年前に失踪した王子様を探してるらしい」
 それにエンが異を唱える。
「え? アタシは婚約者を探しに来たって聞いたよ?」
 更にヒロスケが異を唱える。
「は? お忍びの観光って噂じゃ・・・・・・」
 それからあーでもない。こーでもないと三人で噂の議論を展開しはじめる。
 その様子を尻目に考える。
(噂が交錯してるな)
 ここまで噂が広まっていては元を辿るのは難しいだろう。もしかしたら複数人が噂の元となっている可能性もある。そして相手は堂々と聞き込みをしていることから姿を隠すつもりは無いらしい。
(こちらへの牽制のつもりか? それとも何か意図があるのか?)
 いくらなんでも、この世界に来てすぐに自分が救世主だとは特定できないはずだ。それとも何か特殊な手段でもあるのだろうか?
(とにかく今はまだ動くべきじゃない、か?)
 情報が足りない上に、真偽もあやふやだ。
 理想としては相手が動く直前に自分が動くこと。早すぎれば正体がすぐ露見し、遅すぎれば捕獲される。
 だがそれはあくまで理想だ。
 理想を追い求めるあまり機を逃しては意味が無い。何事も臨機応変に。そして常に最悪の事態は想定しておく必要がある。
(・・・・・・難しいな)
 あっちの世界でなら、業の特権とも言えるラシルからのバックアップで相手の動きなんてほぼ筒抜けだったのだが。
 首を軽く振る。
 無いもの強請(ねだ)りをしても始まらない。今ある駒で切り抜けなければならないのだから。
(そう言えば切り抜けられなかったらどうなるんだろう?)
 連れて帰られるのは絶対として、その後はどうなるんだろうとふと思う。
 殺されるのか。それとも投獄されるのか。はたまた洗脳でもするつもりなのか。
(マジで笑えねぇなぁ)
 自嘲が漏れる。

「シュウ?」
 ヒロスケが怪訝そうな目で顔を覗いてくる。
「ん?」
「何・・・・・・笑ってんだ?」
 労わりと優しさとそして心配の混じった笑顔。
 その微妙な物言いに、しくじったなと軽い後悔を覚える。
 タスクは空気を読むのが不得手だし、エンは付き合いが浅いから多分バレてないだろう。
 これ以上、顔に出さないよう注意しながら話を逸らす。
「いやぁ、今日の晩飯を想像してな」
「ふーん」
 ほんの少し―――それこそタスクやエンに気付かれない程度に―――悲しそうな相槌をうった。
「あんま腹減ってるからって拾い食いすんなよ」
 タスクが横から口を挟む。
「はいはい。崖っぷちの状況になっても拾い食いはしねぇよ」
「崖っぷち言うなー!!」
 タスクが怒り出すのを無視して話を戻す。
「それでその金髪集団に他になんか情報ない?」
 他? とエンが聞き返し腕を組んで考える。
「んー、他に目ぼしい噂って言ったら四人組だったことくらい? 一人が女で他は男」
 そう言ってエンはヒロスケに視線を向ける。
 ヒロスケは数秒唸ってから手を叩く。
「あ、そう言えば、美形ってのに隠れてあんま言われてないけど全員変わった白い服着てたるって聞いたぞ?」
「・・・・・・へー」

 多分、今回はヒロスケにもバレていないよう無表情で相槌をうったが、危うく舌打ちして顔に出るところだった。
 天を仰ぐ。
(よりによって白服かよ)



 それから他愛ない会話が昼休みの終わりまで続いた。



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