2-8 前哨戦

「やっと会えましたね、救世主」
 そう言って眉を下げたのは四人の内、左中央に立つ二十歳くらいの金髪の美女だった。
 長いストレートの金髪を飾り気の無い紐で結っている。変わった形の白い軍服は自分も袖を通したことのある物で、見慣れていた物だ。
 その毅然と立つ姿は闇に中にあっても存在感を放ち、美しいと表現してもなんら問題ないだろう。
(ヒロスケが喜びそうだなぁ)
 どこまで本気か知らないが『金髪は男の浪漫』とほざいていた友人のことを思い出し、口の端を上げる。
「何かおかしなことでも?」
 眉を下げたまま丁寧な口調で女性が尋ねてくる。
「―――いや、何、白々しい台詞だと思ってね」
 怪訝そうに眉を寄せる敵に怒気を籠めて睨む。
「何が『やっと』だよ? アレだけ盛大に戦略級を展開、しかもご丁寧にわざわざ穴まで作りやがって、どういう了見だ?」
 眉をフラットに戻し抑揚の無い声で女性は答える。
「それについては素直に謝罪します。救世主に止めて頂かなければ、無関係な方達を巻き添えにするところでした。ですがその一方で非常に有効な手段だったと思っています。結果はご覧の通りです」
 どこか結果に満足するように胸を張る。
 自分の中で何かが欠けるのを感じた。
「んな事聞いてんじゃねぇよ!! もしあの時、俺が止めなかったらどうするつもりだったんだ!?」
 臨界ギリギリまで展開された魔法陣。
 果たしてそれを止める手立てはあったのか?
 その問の答えはある意味では予想通りであり、そしてまたある意味では裏切りだった。
「その時は己の行動を悔い、しかたなかったのだと諦めます。むしろ民を見捨てて身を隠すような救世主ならば、さりとて危険を冒してまで連れ帰る意味はありません。その意味において我々は少なくとも貴方を連れて帰る意味があると言うわけです」
 何故か嬉しそうに女性は喋る。
 目の前の敵を静かに見つめる。

 ああ、わかってる。この女の言うことは正しい。極力無駄を省き、最も効率的で能率が良い。

 目を閉じ、心を落ち着かせる。
「・・・・・・その指示を出したのは勇者か?」
「いえ、私の独断であり、処罰は覚悟の上です」
 勇者の指示ではないと聞いて少しだけ安堵する。

 だがその正論が気に食わない。そもそもその身に纏った白き出立ちは何を意味しているのか?

「お前等、その服は聖騎士団の所属で間違いないな?」
 女性は一瞬怪訝そうな顔をした後、はっきりと告げる。
「はい。確かに私は第一聖騎士団所属。リエーテ=グゥリ=シスハ中尉です」
 ミドルネーム持ちとは恐れ入った。その歳で一体どんな功績を立てたのやら。頭の中で冷笑する。
「ならその軍服はお飾りか?」
 こちらの問に女性は慇懃な雰囲気だけを崩し批難を込めて問いを返す。
「それを言うなら貴方とて同じでしょう? 我々の品位を嗤う資格など貴方にはないはずです。今、貴方が国を捨て、この異世界にいることこそ歴代の救世主への冒涜に他なりません」

 ああ、居るよね。自分の幻想(りそう)を勝手に他人に押し付けて、なのに自分の行動を省みない。挙句それが『正しい事』だなんて思い込んでる頭のイタイ奴。

 小さく笑う。
「だったらなお更だな。何時から聖騎士団は悪意には悪意で立ち向かうなんて低俗で俗悪なやり方に方針が変わったんだ? その服の色は悪意に屈すること無く高潔さを持ってそれに立ち向かう純真な意志の表れじゃなかったのか?」
 金髪の女性は小さく呻く。
「『何が処罰は覚悟の上です』だ? 団員一人一人が誓いを立てそれを守っていたからこそ価値があったものを―――どっかの考えなしの所為で聖騎士団の理念は穢れたな」
 ヤレヤレとジェスチャー付きで大袈裟に溜息を吐いた後、睨みつける。
「テメェが救世主に幻想を抱くのは勝手だがな、所詮それは幻想にすぎないんだよ。―――あぁ、それともアレか? 『私がもし救世主として選ばれてたら〜』とか、夢見ちゃうアホですか?」
 怒りに任せて口を開きかけたが、女性士官は冷静に言葉を紡ぐ。
「―――私は私であることに誇りを持っています。そのような俗物的なことを考える暇があれば鍛錬に精をだします」
 すぐ挑発に乗らないあたり流石腐っても聖騎士団だなと頭の隅で感心する。
 だが挑発を止める気はない。
「じゃあアレだ。聖騎士団率いる勇者様の信者か?」
 回りが色めき立つ。
「口を慎みなさい!! 所詮、国を裏切る程度の救世主が、あの方を侮辱することは許しません!!」

 ああ、図星か。ウンザリするし呆れる。色呆け勇者め。隊員―――じゃなくて団員か―――くらい(しつけ)とけっての。

 勇者や英雄と言ったネームバリューはあの世界では必然的に信者を作り出し易い。だがそれでは隊や団が私物化してしまう。そうならないためにも信頼して(いさ)めてくれる仲間は必要だが、信者は必要ないというのが俺たちの中では暗黙のルールだったわけだが・・・・・・

(ま、世界に不変はないしな)
 それだけ足場が確立してないという事だろうか? だったらなお更国を捨てて正解だったなと冷ややかに分析する。

 そう思考しながら、もう一方の冷静な部分が一瞬の殺気を捉えていた。
(7時方向にもう一人っと)
 いつの間に背後に回られたのやら。だがせっかく気配を断って背後に移動してもあの程度の挑発で殺気を放つようでは意味が無い。
 これで五人。まだいるはずだ。

「所詮で、程度か・・・・・・」
 邪悪に笑い、低い声で尋ね返す。
「誰が誰を許さないって?」
 嘲りを隠すことなく、お前等など歯牙にもかけぬと言外に匂わせて。
 敵が気持ち怯む。
 そう、それでいい。今自分に出来ることは敵と切り結ぶ時間を少しでも先延ばしすること。
 その為に友人を巻き込み、打ちたくも無い布石を打ったのだから。
 切り札を手にすることができるかどうか。
 それは切り結ぶ時間を先延ばしにすればするほど手にする率は高くなる。

「だいたい、なんでこの程度の挑発に乗る奴が聖騎士団にいるのか理解に苦しむな。どうせ勇者様に媚でも売って取り入ったんだろ?」
「―――貴様っ!?」
 必死に押さえていた理性の箍が外れるのを見逃さない。

 分かっている。聖騎士団はそんな甘い場所ではない。
 そこは家柄よりも、高潔な精神と他の追随を許さぬ武の才があって初めて潜ることのできる狭き門。
 それは二十歳そこらの士官が媚を売ったからといって入りこめる場所ではない。
 血の滲むような特訓と、己の才を信じ一心不乱に打ち込んだ努力の賜物だ。

 だが敢えて侮辱の言葉を口にした。
 今までの言葉が挑発であったことを明かし、己の精神の矮小さを知らしめる。その上で騎士とって最大の侮辱とも言える罵詈を口にすれば、大概回りが見えなくなる。
(精神が高潔すぎるのも考え物だなぁ)
 まぁ自分のようにひねくれ過ぎるも問題あるけどと、そっと心の中で付け足す。

 理性を振り絞って女性は喋る。
「確かに私の行為は、第一騎聖士団に籍を置くものとして恥ずべき行為だったでしょう。その事については弁明することもできませんし諫言については甘んじて受け入れます。―――しかし、今の言葉は聞き捨てなら無い!! 撤回してもらいましょう!!」
 食って掛からんばかりの勢いを冷静に見つめる。
 実力行使に出られれば勝機は薄い。

 そこで今まで黙って控えていた青年が一歩前に出て女性に話しかける。
「落ち着いて下さい。隊ちょ―――じゃなかった班長。我々は救世主殿と口喧嘩をしに来たわけではないのですから」

 厳しい表情を崩さず、内心ほっと溜息を吐く。
 彼女を止めてくれなかったらどうしようか焦っていたところだ。
 最初から唯一冷静に成行きを見守っていたのがこの青年。
 穏やかな笑みを張り付かせる青年の年頃は二十代後半。
 あっちの世界では珍しくない金髪で、身長は180くらいの長身。柔和な笑顔と眼鏡からフィールドワークよりもデスクワークの方が似合いそうな雰囲気だが、それだけでない事は白い団服からも一目瞭然。
 一歩前に出て敬礼してから口を開く。
「お初にお目にかかります、救世主殿。僕はアレックス=ライゼール。階級は准尉です」
 笑みを絶やすことなく自己紹介する敵を油断無く睨む。
(コイツ、多分厄介だ)
 厄介だと思ったのは勘に過ぎない。
 だがその勘が馬鹿にならないのが問題だ。
「救世主殿。貴方とて一度は聖騎士団に籍を置いた身。あそこがどんな場所か、知らぬ訳ではないでしょう? それを理解した上での挑発でしたらお人が悪い」
 困った顔で笑いながら、揚げ足を取られないようあくまでも冷静にそして丁寧に言葉を重ねる。
「しかし、彼女の努力まで否定する言い方は止めていただきたい。僕にとっては誇れる上官なのです」
 背筋を伸ばして臆面も無く言い切る姿は事実、彼女を敬っているのだろう。
 そんな風に感じ取りながらも、話が続けられるのなら相手の思惑に乗っておくことを油断無く思考する。
「確かに言い過ぎたな。―――だがアンタ等が行おうとした行為は褒められることじゃないだろう? 例えそれが任務の達成であっても騎士の道から著しく外れていては意味が無い」
 弁解があるなら言ってみろと強い視線を送る。
「ええ、その事については救世主殿の仰る通りです。ですが彼女の策に異を挟まなかった我々にも責任があります。ですから彼女を責めるのでしたら同じように我々も責を負う義務があるのです」
 言っている事はもっともなのだが、反省の念が読み取れないのは気のせいだろうか? 表情から本心が読みにくい。だが明らかに騎士としての本分よりも任務の達成に重きを置いているように見える。
(偏見か?)
 一人頭の中で可能性を考慮しつつ相手の言葉に耳を傾ける。
「また騎士の道から外れた我々の行為に救世主殿がお怒りになるのも無理なきこと。聞けば、救世主殿はあの大戦の最中、誰一人、敵味方問わず、命を奪わなかったとか。いやその腕前も然る事ながら志も立派なものです」
 変わらず堂々とした態度で話す騎士に嘲笑したくなる。その気持ちを抑え猿芝居に付き合う。
「―――それは誇張が過ぎる。大体あの戦いの最中に一々敵の生死を確かめる術なんてないだろう? ましてやそれが誰に倒されたかなんて知りようも無い」
 大仰に否定してみせる。
「ええ、ですが(まこと)しやかに噂は流れ、今や救世主殿は生きた伝説となって語り継がれております。ですが―――」
 その目がすっと細められる。
「何故か救世主殿は大戦の後、混乱の中姿を消します。世界を救うことを業とする救世主殿は一体どんな理由で姿を消されたのですか?」
 なるほど大戦の結果とは切り離して、逃げた過程にケチを付けようと言う算段か。
 それで会話の主導権を握るつもりなのだろうが考えが甘い。
「その理由なら勇者なら知っているはずだが?―――尋ねなかったのか?」
「残念ながら教えてはいただけませんでした。自分で尋ねてみろ、と」
 相手が苦笑する。
「へぇ、そうか」
 手を顎に当てて思案するフリをする。

 さて相手は俺がどう返答してもいいように思考を巡らせているだろう。口を噤むと思っているか。それとも激昂すると思っているか。どのような返答をしても恐らく糾弾の言葉を投げてくるのは目に見えている。

「そうか、お前等は教えてもらってない・・・・・・か」

 だがこの返答は考えていただろうか?

 わざとらしく間をおいてからニヤリと小さく笑う。
 その笑みは持つ者が持たざる者に対して見せる愉悦と優越、そして憐憫の表情(かお)

「なんだ、大して信頼されてない(・・・・・・・)んだな」

 敵の息遣いが止まる。そして一瞬遅れて唇を噛む。
(ああ、可愛いねぇ。この程度の(ブラフ)に引っかかっちゃって)
 意地の悪い策略だと自分でも思うがしょうがない。
 なんせ非戦闘地域を焼こうとしたのだ。この程度の仕返しなら軽いものだ。
 もし勇者に直接会うことがあったら顔面に一発と絶対告げ口してやろうと心に決める。

 ショックから立ち直れないまま最初の女性が弱く口を開く。
「確かに―――我々は信頼されていないもかもしれません。・・・・・・ですが、それならば信頼を勝ち取れるように精進するまでです!!」
 真っ直ぐ上げた視線には強い意志が宿っている。
(―――いい瞳だ)
 ただ妄信するだけの信者では無いことに、ほんの少しだけ安心する。

 剣の柄に手が掛けられる。
「まずは貴方を連れて帰る使命を果たします!!」
 女性の動きに合わせて前の三人と後の一人も同じように手をかける。
 一触即発。
 そんな雰囲気の中、あくまでも尊大に余裕のあるフリで口の端を歪める。
「おいおい、慌てるのは良いけどな、こっちはまだ理由を教えてやってないぜ?」
 相手の雰囲気が僅かに鈍るのを見逃さない。
「こっちの質問に答えてくれたら教えてやってもいいぞ?」
 こちらの提案に疑念を抱きつつも、敵は心が揺れているようだった。
「―――良いでしょう。その質問とは何です?」
 手を柄に掛けたまま意を決したように女性は尋ねる。
 これでまだ時間が稼げる。
 そのことに小さく安堵しながらも聞いておくべき疑問を口にする。
「なぜ今頃になって救世主(おれ)を連れ戻すことになった?」

 あの国の連中が潔く諦めるなんて(はな)から思っちゃいないし、ついに来たという思いはある。だが白服(こいつら)が来るのは腑に落ちない。勇者(サイ)なら、もう救世主(おれ)を当てにはしなはずだ。来るなら貴族連中の息のかかった第五部隊辺りだと思っていた。

「それは我々の(あずか)り知らぬ事情です」
 きっぱりと女性騎士は答える。
「推測できる情報すらないのか?」
 嘲りを隠すことのない口調は相手の誇りを刺激する。
「―――いいでしょう。私なりの推測で宜しければお話します」
 肯定も否定もせず黙って金髪の女性を見据える。
「大戦以後、英雄の御陰で各国との関係は―――完全にとはいきませんが―――比較的良好だと言えます。ですがここ一、二年、教会に不穏な動きが見えるようになりました」
「んでそれに対抗するための戦力増強手段として救世主ってわけか」
 ヤレヤレと肩を竦めて見せる。
「はい。現在、我が軍には勇者、英雄の両雄が揃っています。それに加え救世主が復軍したとなればまず手出しはできないでしょう。もっとも有効で効率の良い方法です」
 女性の肯定の言葉を聞いた後、説明は耳に入っていなかった。
 そして体の不調とは別の吐き気がこみ上げてくる。
 久しく忘れていた感覚。
 体温は沸騰しそうなほど熱いのに思考は黒く冷え切っている。いやその逆かもしれない。
 その温度差は脳に、体に、不快感を与える。

「・・・・・・出るっ」
 小さく噛み砕くように漏れた呟きに
「? なんです?」
 怪訝そうな声が問い返す。それに対して吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
「反吐が出るって言ったんだよ!! ―――お前等はまだ戦い足りないのか!?」
「!? それは誤解です!! 我々とて教会とことを構えるつもりはありません。ですが防衛のための準備はしておかなければ要らぬ害を被ります。そうなればまた民は戦火に焼かれるでしょう。それを防ぐために―――」
 慌てて言い繕う女性の言葉を遮る。
「それはいい訳だな、リエーテ=グゥリ=シスハ」
 敵を圧倒する重い声と強い視線。
「既に勇者、英雄の駒が揃ってるんだ。いくら教会の勢力が強かろうが先制攻撃で壊滅的な打撃を与えられない限りあの国はまず負けない。それでいてなお救世主の力が必要なのは別の意味があるはずだ」
 少しの動揺も見逃すまいと視覚に神経を集中させる。
 その視線の強さに身動ぎしたものの、同じ強さで睨み返される。
「―――それこそ我々の与り知らぬことです。我々はただ救世主を連れて帰れと勇者から命を受けただけです」

(勇者から・・・・・・)
 暴走しそうな思考で、ヒントを得て一つの仮説を打ち立てる。
 真実は分からない。だがもし仮説が正しいとしたら、それは・・・・・・

 疑問は生まれるが容赦なく状況は進み続ける。
「さてこちらの理由は話しました。次はそちらの番です」
 思考から現実に意識を向ける。考えるのは後だ。

「笑わせるな、アンタの話しは理由にすらなっちゃいない。答えが欲しかったらもう少しマシな回答を用意しろ」
 こちらの不遜な態度に対し、敵は柄を握る手に力を込める。
「ならば言葉を交わすのは次で終わりです」
 殺気が強くなる。
「貴方は復軍する気はないのですね?」
 射殺しでもするように睨まれる。
「在るわけ無ぇだろ?」
 鼻で笑って答える。
「ならば実力行使になりますが?」
 これが最後通告だと視線が語る。
「最初からそのつもりだろうが」
 こちらも自然な動作で柄に手を掛ける。
「そうですか―――残念です」
 最後にポツリと、今までとは違う響きが含まれていた。
 だが今はそれに構っている暇はない。
 ここにきて会話を続けるのは無意味。
 双方、力場(フィールド)が展開される。
 相手は本気。
 こちらは必死。
 そしてここは命を奪い合う戦場だ。ならば
(己の敵は切り伏せるのみ)
 思考を完全に戦闘用に切り替え腰を落とす。
「神藤流、無位無段、黒河修司―――参る」
 それが戦いの合図となった。



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