2-12 そうで在るからこそ

 雪が救えると聞いた時、頭を鈍器で殴られたようなショックを受けた。
(救える―――のか?)
 僕が?
 もう三度も間違いを犯した、この僕が、か?

 乾いた笑いが咽から漏れる。
「―――無理に決まってんだろ?」
 今更、この男は何を言うのか。
「言ったはずだよ? ―――無理じゃない、と」
 真っ直ぐな瞳は嘘を言っているようには見えない。
 だが、それがどうした?

 本当に今更だろ?
 救えるのなら最初からそうすべきだった。
(一度見限ったくせに、手の平を返したように救って一体何になる?)
 自問した答えは、まるで心を見透かしたように男が答える。
「少なくとも、人一人の命は救えるさ」
 誠実な響きが心を揺さぶる。
「もし、シュウ君が僕の言うことを欺瞞(ぎまん)(わら)い、救うことを良しとしないならば後から僕の首を()ねればいい。そして心赴くままに殺し続けなさい」
 男は自分に目もくれず歩き出す。
「だけど、もし雪を救いたいと願うなら僕が保証しよう」
 擦れ違いざま、男は自信に満ちた声で断言する。
「君は雪を救うことができると」

 無防備に背を向けて歩いていくその姿を、斬ることが出来なかった。
(くそっ!!)
 心の中で悪態を吐く。
 相手の言葉に上手く乗せられそうになっているだけだ。
 思い違いをするなと自分に言い聞かせる。
 中途半端に希望を持つと裏切られた時の絶望は余計に深くなる。
 だから希望なんて持たないほうがいい。
 そして自分が望んだことは救済ではなく殺戮だったはずだ。だから・・・・・・

(―――けど)
 本当に救えるだろうか?
 雪を。
 義父さんが言った通り。
 僕が。
 いや、僕じゃなくてもいい。
 生きるべき彼女の命を。

 別に彼女を救えたとしても過去は変わらない。
 罪は消えない。
 免罪符は得られない。
 許されることはない。
 そして―――救われることも、ない。

 でも、それでいい。
 それでいいんだ。
 許されて『過去の事』にして風化させるくらいなら、ずっと罰として苛んでくれればいい。
 救われず、罪として一生背負っていくから。

 でも、彼女は違うだろ?
 真っ直ぐに、光に向かって、生きていくことを許される側の人間だろ?
 陽の当たる場所で笑う事を許された人間だろ?
 俺とは違う。
(だったら―――)
 救われるべきだ。
 救われる過程は俺じゃなくてもいい。
 結果として救われるのなら。
 例え、歪なだけの僕の力でも救いと成り得るのなら。

 振返り倒れている少女へと視線を向ける。
 義父さんが懸命に神術で雪の傷を癒している。
 だが確か義父さんの神術は自己へ向けられるのに適しているが、他者に向けるのは不向きだったはずだ。
 それでも我が子が死の運命へ向かうことに抗っている。
 世界を信じ、そして諦めていない。
 だから最後に僕も信じてみても良いだろうか?
 世界ではなく、あの男性(ひと)の言葉を。
(甘いな)
 自嘲が漏れる。
 だが足は彼女が倒れている方へ踏み出している。

 裏切られるのを恐れるなら、信じなければ良い。
 簡単なことだ。
 でも出来ない。
 それは自分が自身に甘く、そして弱いから。
(あぁ、でも・・・・・・)
 それで誰かの命を助けられるなら捨てた物じゃないのかもしれない。

「義父さん」
 倒れている雪を挟み義父に向き合う。
「なんだい?」
 神術を雪に施しながら目を合わす余裕の無いまま義父は答える。
「後は僕が何とかします」
「大丈夫なのかい?」
「救えると断言したのは義父さんですよ?」
 大丈夫のニュアンスが違うのだろうがこの際無視。
「命に代えても何とかします。ですから―――」
 迷いはない。
「一つ目の約束を果たしてください。事の成否に拘らず」
「・・・・・・嫌だと言ったら?」
 懸命に神術を掛けながら義父は問う。
「義父さん、残念ですけど問答してる暇はないです。義父さんの神術じゃ雪の命は助けられない。そして結界の外に出て義母さんに頼るには時間が掛かりすぎる。だったら取るべき道は他にありません」
「―――参ったな。二人とも同時に助けられると思ったんだけどね」
 苦笑。
「美咲さんを泣かせたくはないんだ」
 とても自分勝手な、けれど優しい呟き。
 その言葉に小さく笑みを返す。
「人生そんなもんですよ。出会いも、別れも、選択も。全て突然で、そして時に二者択一を迫ります。ここで貴方が選択するのは愛娘の命か、世界に有害な男の命か、です」
 義父さんは黙って言葉を聞いている。
「煩い世間は不条理な選択を決断するとき、無茶な公平性を求めます。けれど今の場合、愛娘を選択したとしても誰も非難はしないでしょう。無害か有害。それだけで事の善悪は判断してくれます。ですから貴方が決断を気に病む必要はありません」
 淡い神術の光だけが辺りを包んでいる。
「―――それでも二人を一緒に助けたいと願うのは僕の思い上がりかい?」
「ええ。思い違いに勘違いを重ねた上に考え違いを塗りたくった最悪な自惚れです」
 シュウ君は厳しいなぁ、と義父さんは呟く。
 いやいや、義父さん程じゃないですよ、と謙遜を返す。
 短く乾燥した笑いが重なる。
 先に口を開いたのは自分だった。
「さて、本当に時間がありません。完全に手遅れになる前に僕に場を譲って下さい」
 義父さんは眉を寄せている。
「―――本当に他に道は無いのかい? みんなが笑って終われるような道は」
 本当に優しい男性だなと心の中で思う。
 けれど優しさだけでは世界は回らない。

「幸、不幸はコインの裏表ですよ。誰かの幸せは誰かの不幸。残念ながら世界はそういう風に出来ています。それにどちらにしろ・・・・・・」
 一瞬、言葉に迷う。
「恐らくこれが最後です。『シュウ』と言う人間の意識が保つのは。ですから義父さんは約束を果たして下さい。将来、決断を後悔することがあると思いますが、最悪の結果にならなかったことを誇りにすれば小さな疼きで終わります」
 義父さんは奥歯を噛み締め逡巡している。
 早くと決断を急かす。

 観念したように呟く。
「―――わかった」
 苦渋の選択をした義父は場を譲るように立ち上がる。
「ありがとうございます。約束ですよ? あ、多分大丈夫でしょうけど周りから邪魔が入らないようにして下さいね」
 笑いながら言葉を付け足す。
「シュウ君。最後に一つだけ聞かせて欲しい」
 頭の上から義父さんの言葉が降ってくる。
「手短にお願いします」
 雪を中心として地面に白く輝く線が踊り出す。
「―――後悔は無いのかい?」
 主語の無い問い掛けにどんな? や、何の? と言った問い掛けは返さなかった。
 なぜなら答えは決まっていたから。
「ありませんよ」
 キッパリと明るい声で答えた。

 白く輝く線で陣を引いてから此処からが本番だなと気を引き締め、呪文を唱える。
「癒しを司る水の精霊と命を育む地の精霊よ。
 其等(そら)が力を持って()の者の傷を癒し、再び生の活力を与え給え」
 手から暖かい光が溢れ出し傷にかざす。
 ラシルのバックアップにより強制的にとは言え精霊が溢れ、活動が活発化しているので反応は上場。
 なるべく世界が傷付かないように陣を敷いて補強もしてある。
 残りの魔素は十分とは言い難いがなんとか保つだろう。
 助けられそうだ。そう安堵した瞬間、脳に激痛が走る。
(づっ)
 一瞬目の前が真っ赤に染まる。
(来たか・・・・・・)
 無感動だった時とは違い、ラシルの望みに背く形で明確な意識が存在する。それを機械(ラシル)は許さない。
 続いて口の中に鉄の味が混じる。
「くっ」
 余りの激痛に呻き声が漏れる。
(集中しろ!!)
 手から溢れる光が弱くなっていた。
 自我がノイズとなりラシルからの情報と混線する。
 脳がこれ以上の情報を拒絶する。だがそれを無視して情報は流し込まれる。
 神経が焼き切れていくような錯覚。それに伴い嘔吐感が込み上げる。
 血の混じった痰を地面に吐き、それだけで嘔吐感を無視―――しようとして倒れた。
「つ」
 体が意志に付いて行かない。想いだけが空回りしている。
 もう無理だと諦めかける心を叱咤する。
(もう十分、後悔して嘆いただろ?)
 思い出すのは三度の絶望。
(だったら立てよ!? 悲しみも、痛みも、絶望も、その全てを飲み込んで!!)
 四肢に力を籠める。
(そして誓え!! 二度と同じ過ちを繰り返さないと。もう二度と失わせたりしないと)
 限界を超えた身を起こす。
(もう過ちを三度も犯して、絶望も同じ数だけ味わった。それなのに今から四度目を味わうつもりなのか?)
 焦点の合わない目を必死に凝らす。
(あれを味わうくらいなら死んだ方がマシだろ?)
 ああ、確かにそんな事はゴメンだと萎えた心が返事を返す。

 流し込まれる情報に逆らい、逆にこちらからラシルの中に保存されている情報を引き出す。
(確かあったはずだ)
 整理し切れていない過去の記憶。その中に見た覚えがある。
 最高位の回復魔法。肉体の完全な修復。
 流石に蘇生は不可能だが肉体の損傷なら傷跡すら残さず完全に回復できる。
 回復と言うよりは復元に近いかもしれない。
(どこに・・・・・・)
 痛みで飛びそうになる思考を必死に繋ぎとめる。
「ぐっ」
 人格の侵蝕。
 過去の記憶(データ)を意図的に引き出すことは結果的に意識の同化を早めることになる。
 記憶に(まつ)わる自我(アイデンティティー)個性(パーソナリティー)がドロドロに溶け合い同化していく。
「気色悪ぃ・・・・・・」
 口に出しても拭い切ることのできない嫌悪感。
 幻聴まで聞こえてくる。
 老いた声で、若い声で、男の声で、女の声で。
(無理。無駄。諦めろ。羨ましい。憎い。殺したい。壊せ。死ね・・・・・・)
「・・・・・・黙れ、よっ!!」
 唯でさえ処理の追いつかない脳に流れ込んでくる負の感情。

 救世主として、正しき存在だった者達の成れの果てのその残滓。
 理想を叶える為に力を望み、得て、それでも果たせなかった願い。
 理想と世界の摩擦に耐えきれず、誤解を生み、信じることを忘れ、諦めようとして―――それでも追い続けた願い。

(嫌、黙らない。死ね。憎い。お前が黙れ。くたばれ。しね。シネ。死ね? 死ネ。お前なんか死んでしまエ)
「俺、は。・・・・・・過去の、妄執と、戯れる趣味なん、てっ、ないんだよ!!」

 己の理想に屈することが出来れば良かった。
 もう無理だと諦めて投げ出せれば良かった。
 これが限界だと受け入られれば良かった。

 纏まらない思考の中で必死に叫ぶ。
「―――無様にも、程があるってんだ!! 別に諦めなくたっていいだろ!?」
 誰にとはなく向けた言葉。その中に自分は含まれて居るだろうか?
「理想を抱いて、それに裏切られても信じ続けたんなら最後までそれを誇りに生きていけよ!! 自分(てめぇら)が、無理だからって、他人(オレ)まで無理だなんて勝手に決め付けてんじゃねぇ!!」
 求めていた情報を手繰り寄せ展開。
 更に術式を解析し分解。
 そして自分に合った形に再構築。

 激痛の走る体に鞭を入れ、口を動かす。
「Exceed elements ready!!」
 世界への干渉を告げる一文。その一文を持って己の意志を世界に伝える。
『聖位精霊から反応を確認中......』
 上手く情報が処理しきれていない。
「光の精霊よ、死に群がる・・・・・・闇を払い、魂を導く―――(しるべ)と、なれ」
 息は絶え絶え。自分でも言葉を上手く紡げているか確証がない。
 目の前の少女のことに集中しようとしても意識が霞む。
 意識を手放そうとする思考を強引に働かせる。
「―――刻の精霊よ。()の者の傷を消し・・・・・・」
 耐えきれず吐血する。
 視界が歪む。
 最後の一文が言葉に出来ない。
 それでも力を振り絞り最後一文を紡ぐ。
「在るべき姿へ!!」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 娘の治療中。
 彼の敵は襲ってこなかった。
 正確には襲えなかったと言うのが正しいか。
 あちらも無傷ではない。体勢を立て直す必要があるだろう。

 ただ本音を言えば、敵が反撃してくることを望んでいる自分が居るのも、また確かだった。
 少なくとも家族を傷付けられて温厚でいられる程、自分は出来た人間ではない。
 それでも追い討ちをかけなかったのは、シュウ君の意志を尊重してだ。
 敵を殺すことも容易かっただろう彼が、激情に駆られてなお人の尊厳を失わなかった。自暴自棄になっても最後の一線で理性がストップをかけた。
 その意思を無意味な物にしたくはなかった。一度敵に手を出せば抑える自信が今の自分には無い。

 治癒の光が一際大きく輝いた後、光は徐々に小さくなり消えた。
 そしてその場には微動だにしない傷付いた少年と、弱くとも規則正しく呼吸する娘の姿があった。
(良かったのかな・・・・・・これで)
 苦すぎる感情と割り切ることの出来ない想い。
 煮詰まりそうな思考と共に息を吐く。
「・・・・・・さて」
 刀を握り直し少年の横に立つ。

 後悔は無いと彼は言った。
 なのに彼との約束を果たすことに躊躇(ためら)いを覚える自分は卑怯だろうか?
(卑怯なんだろうな)
 彼からこの後起こりうる事は聞いている。
 だから彼が望まぬ結果にならぬよう、僕が彼を殺す。
 それが彼との約束であり、彼の願いでもある。
「―――」
 刀を構える。
 心臓を一刺しで葬るつもりだ。
 痛みが無ければ良いと思う。
「・・・・・・」
 自らの死を望んで他人に委ねるのはどんな心境だろうか?
 いや、本心から望んだわけではない。
 もしかしたら、何事も無く目を覚ましてくれるのではないかと淡い期待が脳を過ぎる。
 美咲さんからは責められ、娘達からは嫌われるだろうなと寂しい未来を予測する。
 けれど、一番寂しいのは自分が殺せばどんなことがあっても彼が笑っている未来が失われるということだ。
 それでも刀を振るう。
 罪悪感と約束と謝罪を胸に。



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