ぼんやりと情景が流れていく。
(ああ、夢だ)
自分に宿って居るらしい過去を夢見る能力。
その所為なのか、たまたまそういう体質なのか。
何時の頃からか、夢の中でこれは夢なのだと認識できるようになった。
シュウちゃんが何故かお父さんと闘っている。
斬られた後、意識を失って、またその後に意識が少しだけ戻った。
ただシュウちゃんとお父さんが闘っている理由がわからず、これは夢かも知れないなー、と暢気に考え、夢じゃないんなら、このまま死んじゃうのかなー、と血がいっぱい出ているのに他人事のように思っていた。
打ち合う度に咲く火花も綺麗だと思ったが、それよりもシュウちゃんが手にしている蒼剣の方がもっと綺麗だった。
その蒼さを私は一度だけ見たことがある。
それはシュウちゃんをシュウちゃんだと知る少し前。
祭りの夜道に、血まみれで倒れていた少年の夢の中で。
場面が変わる。
御伽噺のような一風景。
蒼い、蒼い空の下。
幼い少年が泣きながら笑っていた。
背後に鋼鉄の巨人を従えて。
青く、広く、どこまでも続く空を見上げて。
少年は嬉しかったわけではない。
けれど悲しんでいたわけでもない。
確かにその時、悲しい出来事はあったのだけれど。
泣いていたのはまた別の理由。
分からないけど、解ってしまった。
分かりたくないのに、解ってしまう。
そんな矛盾。
救われない残酷な世界がとても優しいモノだと。
救いのある優しい世界がとても残酷なモノだと。
蒼穹の空の下。
空色の涙を流しながら少年は笑っていた。
幼い少年が仰いだ空の色と、シュウちゃんの握った剣の色は同じだった。
『蒼』とはくすんだ『青』のことを指す。ならばあの色は『蒼』ではない。
でも確かに『蒼』なのだ。澄んだ『蒼』。それは矛盾。
けれど彼の心の中には矛盾を孕んだ蒼い“世界”が確かに存在する。
むしろ彼にとって“世界”とは矛盾を孕んだ蒼い色なのかもしれない。
再び場面が変わる。
今度はシュウちゃんが近い。
倒れている私にシュウちゃんが術を掛けている。
神術とは違うので魔法かなとまた暢気に思う。
そこからまったく繋がりのない夢を見た。
その夢は酷く断片的で不鮮明だった。
ただその映像はきっと全部彼に関係のあることなんだろうと、何の根拠もないのに変な自信があった。
◇ ◆ ◇ ◆
場違いかもしれないが、素朴な疑問が浮かぶ。
(はて? 死んだ後、人は夢を見るもんなのか?)
多分
(死ぬ直前に散々、
見る度に胸が押し潰されそうになっていた過去の記憶。
だがそれにも見飽きた。
いや、慣れた。
人間は慣れる生き物だ。
最初は鋭い痛みでも、同じことを何度も繰り返せば徐々に鈍痛へと変わっていく。
それが人間。
(ああ、だからこんなの見せたって意味なんか無いのに)
『生きて、シュウ・・・・・・』
姉であり母であった大切な
『戦えるなら戦え!!』
戦うことを決意させた上司。
『ならばこれが契約の証だ』
人を憎む妖狼。
『貴方が貴方の想いに沿えるよう、力を・・・・・・』
赤い瞳と翼を持った少女。
『みんな、みんな、お前の所為だ!!』
怨みに満ちた目を持つ名も知らぬ少年。
『いつか、平和になったら皆で遊びにいきたいものだな』
果たせぬ約束を交わした友。
(うわぁ、思ってたよりキッツイなー、コレ)
慣れたと思っていた過去の記憶は、改めて見ると予想以上に心に響く。
(んー、これって地獄の罰だっけ?)
アハハハー、と乾いた笑みを溢し溜息を吐く。
ずっとこの夢を見続ければ、いつかは何も感じなくなるだろうか?
そして何も感じなくなった時、自分はどうなるのだろうか?
(まぁ、なんつーの? 時間は大量にあるだろうし)
罪が多ければその分、罰の時間も長いだろうからゆっくり考えればいい。
だが意識とは裏腹に誰かに呼ばれているような妙な感じがする。
(あれ?)
眠りから覚める時に良く似た浮遊感。
そして消えていく世界で最後に一人の少年を見た。
『力があればさ、大切な人を守れると本気で信じていたんだ』
世界の一部を知ってしまったのは―――自分?
ゆっくり目を開ける。
どこからか漏れた光で天井が見慣れない物だと分かる。
(―――家じゃ、ない?)
白い清潔な天井と特有の薬品臭さから病院、そして個室だと断定する。
(えーっと・・・・・・)
原因不明の倦怠感から脳の働きが鈍い。
(なんで・・・・・・)
記憶を辿り現在の状況を推測する。
(・・・・・・)
何かおかしい。
ここに自分が存在していること自体が、酷く矛盾しているような気がする。
「―――」
疑問に思い至り血の気が引く。
「なんで・・・・・・生きてるんだ?」
思わず漏れた呟きに答える声があった。
「シュウちゃん!?」
うっすらと涙を溜めたまま顔を覗き込んでくるのは
「さく、ら?」
擦れた呟きに桜は二度大きく頷く。
「も、もう目を覚まさないんじゃないかと思って・・・・・・良かったです。本当に良かった、です」
桜は左手だけで溢れそうになる涙を拭う。
右手を辿ると自分の左手を握っていた。
(ずっと、握ってくれていたんだろうか?)
今、疑問に思う所はそこじゃないと働きの鈍い頭で考える。
「――― 一夜さんと雪は?」
「お父さんもお姉ちゃんも大丈夫です。お姉ちゃんの意識はまだ戻ってないですけど、体に異常はないってお医者さんは言ってました」
心配は無いですよと桜は静かに微笑む。
「―――そっか」
疲れきった返答に桜は困惑する。
「シュウ、ちゃん?」
「―――ん?」
桜が恐る恐る尋ねる。
「大丈夫、なんですか?」
それに対し、笑みさえ浮かべて答える。
「―――ああ、多分大丈夫」
じゃない。
目を閉じる。
正体不明の倦怠感の理由がわかった。
魔素がない。
(このまま放置しとけば死ねるかなー)
差し迫った『死』に対して思考はどこまでも暢気だ。
強硬な手段だったとはいえ活動には十分な量を回復したつもりだったのだが。
(あぁ、ちょっと回復魔法に気ぃ張り過ぎたな)
心の中で自分を嘲笑う。
でもまぁいい。
(別に生き延びたかったわけでもないしね・・・・・・)
わざわざ好き好んで死のうとは思わない。けれど生き続けたいとも思わない。
それが自分。
大切な人の変わりに死ぬのなら悔いは無いし、死ぬ理由としても悪くない。約束を破る理由にしては十分だろう。
(やっと・・・・・・)
楽になれる。
そう思うと不思議と穏やかだった。
『生きて、シュウ』
耳の奥、微かに残る優しい響き。
死の間際に姉が残した言葉は酷く身勝手で、一方的な約束。
呪いにも似た、純粋過ぎる切なる願い。
その約束は、人が人としての生を全うするには当たり前で、けれどとても大切なことのように思う。
けれどその反面、それは自分にとって重荷でしかなかった。
今まで死ななかったのは『業』に対する保険。そして、なにより身代わりとなって死んだ姉の生を、無駄にしたくはなかったから。
だから何処かで望んでいたのかもしれない、価値ある死を。
もしそれがこの結果だと言うのなら、実に滑稽だ。
意味が無い。
意味が無い。
本当に何の意味も無い。
存在理由。存在意義。存在証明。その全てに於いて、全てが無価値。
それでも悔いは無いと満足している自分は異常だろうか?
(異常なんだろうなぁ)
意識の中だけで苦笑する。
(・・・・・・相変わらずだ)
七年前、いやそれよりも以前から常に中途半端。
死ぬことで約束は全て反故となり、しかしそれもいいかと開き直っている。
だがそれも終わりだ。
下らない問に悩むことももう無い。
体の感覚は既に無くなっている。
まだ手は握ってくれているだろうか?
(大切な人に最後を看取って貰えるってーのは、幸福なことだよなぁ)
泣くだろうけど、泣かなければいいと思う。泣いて欲しくないなとも思う。
それでも、自分の死に対して自分以外の誰かに泣いて貰えることは等しく幸福な事だろう。
意識が沈んでいく。
(これで、終わり、か)
そう思うと同時に、意識は内に沈んでいった。