2-16 一つの答えと可能性

 真剣な表情でシュウちゃんは
「俺を追うのはもう止めろ」
 と、そう言った。

 余りにも唐突で、一瞬何の事を言われたのかよく理解できなかった。
「俺の自惚れなら、笑い飛ばしてくれよ」
 シュウちゃんは眉を下げ、まるで冗談みたいに喋る。

 手足が急速に冷えていく。
 さっきの暖かみがまるで嘘だったかのように。会話になんの脈絡も無く、いきなりそんなこと言われたって頭が付いていくわけがない。それに私はまだ何も―――

「あー、その表情(かお)は遠からずってとこ?」
 笑おうとして、上手く笑えない。そんな微妙な表情で、嫌な予感だけは良く当るんだよなぁと小さくぼやく。
 溜息を吐いて
「雪もだけどさ・・・・・・趣味悪い上に、人を見る目が無さすぎ」
 落胆の色を隠さない視線に身が竦む。
「―――選りに選ってまた俺かよ」
 俯いて自虐的な笑みを漏らす。

 違うと言いたかった。
 でも何を否定したいのか、すればいいのか解からない。
 心の準備もできていないのに、いきなり振られるなんてそんなのイヤだ。
 けど、何を言えばいい?

 彼は今、壁を作っている。
 もう誰も踏み入らないように、誰にも踏み込ませないように、壁を。
 ただここで何か言っておかなければ、この先ずっと思いを伝えることが出来なくなることだけは理解できた。

 早く何か言わなければと、焦る思考で必死に言葉を探す。
 そして必死になって探し出した言葉は―――

「だって好きなんだもん!!」

 理由の無い子供じみた感情論。
 シュウちゃんは一瞬目を丸くしたがすぐに落ち着いた声で我儘を正そうとする。
「―――諦めろよ?」
「嫌です!!」
 間を空けずに言葉を返す。
「だって、だってしかたないじゃないですか!? いつから好きか分からないくらい好きで・・・・・・」
 さっきも沢山泣いたのにまた涙腺が緩くなる。
「諦めろなんて言われた位で簡単に諦めれるなら、人を好きになったりなんかしません!!」
 些細な出来事に一喜一憂。
 体が軽くなるほど幸せで、胸が押しつぶされそうなほど怖くて。たった一言を伝える勇気が持てなくて。煮え切らない想いと、単純な答えを抱えて。毎日に目が回りそうだった。一日会えないだけで世界の色彩が霞んだ。
 それでも好きになったことを、なることを止められなかった。
 不安と期待で息が詰まりそうだったけれど、その想い自体を否定したいとは一度も思わなかった。

 思いは伝わらずシュウちゃんは暗い笑顔を見せる。
「でも、多分また同じ事を繰り返すから―――桜だって死にたくはないだろ?」
「お姉ちゃんのことはシュウちゃんの所為じゃ・・・・・・」
「俺の所為だよ」
 言いかけた言葉を遮るように断言する。
「俺と言う存在が居なければ雪が傷付くことはなかった」
 一切の否定を許さぬ強い視線。
 その瞳に消しきれぬ後悔が浮かぶ。
「いつも同じことの繰り返しさ」
 そう寂しそうに語るシュウちゃんにまた少し腹が立った。
「―――そうやって『自分の所為だって』自分で自分を責めてれば満足ですか?」
 穏やかでいて優しいいつも通りの微笑みがどうしようもなく頭に来た。
「『傷つけたくないから』って孤独に過ごして居れば幸せですか!?」
「満足だし、幸せだよ」
 予想と反した答えに感情が理性を上回る。
「シュウちゃんの馬鹿っ!! そんなの幸せでも何でも無いです!!」
 気に入らないからと言ってヒステリックに叫ぶなんて、自分は可愛くないなぁと頭の隅で思った。
 それでも言葉は止められない。
「『誰かの幸せを願うなら、自分の幸せを願え』って、そう教えてくれたのは嘘だったんですか!?」
「嘘じゃないよ。世間一般には真実(ホント)の話」
 あくまでも穏やかで、それでいて自嘲の滲む声音で言い切る。
「でも俺は自己中だから世間一般なんて関係無いね」
「嘘吐き!!」
「嘘じゃ無いって」
 呆れたように溜息を吐く。
「違います!! ―――シュウちゃんは自分本位なだけの人じゃ無いです!!」
「勘違いだな」
「っ!?」
 冷たくあしらわれ言葉に詰まる。それでも、
「それでも―――好きなんだからしょうがないじゃないですかぁ・・・・・・」
 堪えていた涙が頬を伝う。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 嗚咽が止むのを待ってから、大きく息を吸って盛大に溜息を吐く。何をやっているのだろうか、と。
 機を逸したからなのか、桜は病室から立ち去ろうとはしなかった。
 先に口を開いたのは自分だった。
「・・・・・・あのさ、桜?」
「?」
 目蓋を拭いながら桜は顔を上げる。
「桜達の気持ちはスゲー嬉しいけど、自分勝手な希望を言わせて貰うならやっぱり諦めて欲しい」
「それでも私は!!」
 再び感情的を昂らせそうになる桜を片手で制する。
「うん、それは分かった。だから桜達の気持ちを否定はしない。だからこれから先、どんな風に僕のことを思おうが好きにすれば良い。もちろん嫌いになることも」
 怪訝な顔をする桜に言葉を続ける。
「でも、実ること無い想いは不毛だってことは覚えておいて」
「―――はい」
 悔しそうに俯き唇を噛みながら小さく答える。
 重苦しい雰囲気の中、もう一度溜息を吐く。
 言うべきことは言った。
 これからその想いとどう付き合っていくのか。
 それはもう彼女次第だ。
 諦めるのか、努力するのか、完全に破棄して基から無かったことにするのか。
 無限に分岐し、際限なく増大する可能性の答えを知る術を自分は持たない。

 さらにもう一度溜息を吐く。
 今現在でさえ家庭内の雰囲気が微妙なのに、これからもっと微妙になるのかと思うと少し憂鬱だ。
(・・・・・・まぁ、しゃーないか)
 それが自分の出した答えの結果だ。
 いざとなれば家を出ると言う選択肢もある。
 その為の資金も十分に稼いでいる。

「シュウちゃん・・・・・・」
「ん?」
 取留めもないことを思考していたら桜から声が掛かった。
「あの、シュウちゃんはどうして・・・・・・その、恋人になってくれないんですか?」
 やや恥ずかしそうに言葉を選ぶ桜の質問の意味が良く分からない。
「? 危ないから」
 理由は直接ではないが言ったし、そこまで物分かりの悪い少女ではないはずだ。もっとも少女達のことで触れてない理由は他にもあるが。
「それだけなんですか? 他に好きな人が居るとか・・・・・・」
「とか?」
「あーっと、えーと、その・・・・・・」
 より顔を赤くし、聞き取り難い小さな声で恐る恐る尋ねる。

「変わった趣味を持っているから、とか?」

「・・・・・・」
「・・・・・・」
 しばしの無言が病室を支配する。
 そんな中、思考だけは高速に流れていく。
 これはアレか? 山無し、落ち無し、意味無しとか、ベーコン、レタス、トマトからトマトを引いたやつか? 『普通』を公言する男には到底理解不可能なアレですか?
「あ゛ー・・・・・・」
 何と答えればいいのか分からず変な声を出す。
 焦って否定すると返ってドツボに嵌りそうだが、かと言って冷静に返すのも違う気がする。
 と言うか桜さん。そう言う物に興味をお持ちだったんですか? と尋ねたくなる気持ちをグッと堪える。
(うぅっ、なんか汚されちゃった気分)
 果てし無くブルーな気持ちを味わっていると、沈黙を間違った方向に捉えた桜が
「あ、あ、あ、アノですね、恋愛はここ、こ、個人の自由で、旧世紀のたたた、大国でもそういう人は大勢いたと聞きますし、せ、西欧のお、お肉屋さんではそういう人達の肉を・・・・・・」
 なんだか頓痴気(とんちき)なこと言い出す桜に頭が痛くなる。
「桜、違うから落ち着け」
「大丈夫です!! 例えシュウちゃんが人に言えないような特殊な趣味を持っていても私の気持ちは変わりませんから!! 寧ろ私が問題視したいのは相手が誰のかと言うことで・・・・・・」
 パニックになって前後不覚になっている桜を怒鳴る。
「人の話を聞けー!!」
 病室に響いた声でやっと桜が黙る。
 どっと疲れて溜息を漏らす。
 疲れ果てた自分を尻目に、桜は静かにそして少し寂しそうに微笑む。
「―――こう言う関係ですよね? 私達」
「―――」
 どうやら気を遣ってくれたらしい桜に絶句する。

 多分、今の遣り取りが無かったらギクシャクしたままの関係が続いただろう。
 そうしない為にわざと雰囲気を変えてくれた・・・・・・のだと思う。
(もう少し、手段は選んで欲しかったなぁ・・・・・・)
 と胸の中で愚痴ってみるも気遣いはありがたい。

「今度は真面目に聞きますけどどうしてなんですか?」
 真剣な表情で同じ意味の問いを重ねる。
 さっきから四度目になる溜息を吐いてから口を開く。

「好きになってくれてもそれに見合った物が返せないんだ」

 桜はキョトンとした表情で尋ね返す。
「―――それだけですか?」
 頷く。
「基本的にはね。一番は危ないってのが理由だけど、もし危険が無くなったとしても付き合うことは無いと思う」
「・・・・・・」
 不思議そうに人の顔を見つめた後、桜が小さく溜息を吐く。
「そんな理由でお姉ちゃんも私も振られちゃったんですか・・・・・・」
 口調には呆れた声音が含まれていた。
「個人的には大切な要素だと思うんだけどね」
 もう一度桜がわざとらしく溜息を吐く。
「そんなの、私なら同じ気持ちを返してくれるだけで満足なのに・・・・・・」
 桜らしいねと小さく笑い、首を横に振る。
「今はそうでも、いつかそれだけじゃ満足出来なくなる日が来る」
「そんなの分からないじゃないですか!!」
 桜は怒りに似た強い否定の視線を送ってくる。
「うん、そうだね。ただの可能性の話。桜が必ずそうなるとは限らない。もちろん雪も。―――でもね? 可能性なんて都合のいい言葉を信じきれるほど、僕は育ちが良くないんだ」
「・・・・・・」
「この世界はギブ・アンド・テイクが基本なんだよ。そして誰かから送られた好意を、同じだけ返すなんて僕には出来ない」
「どーしてですか?」
 相変わらず恨みがましい視線に笑って答える。
「僕の方こそ逆に問うよ? どうして目に見えもしない、形さえもわからないような感情(モノ)を信じ続けようと思うの?」
「・・・・・・それは―――」
 言葉に詰まった桜に微笑む。
「それが、僕が誰かを好きにならない理由。不変の想いへの憧れなんてとっくの昔に捨ててしまったから」
 俯いてしまった桜に明るい声で喋る。
「別に雪や桜に問題が有るわけじゃ無いんだ。要するに僕の心の問題」



 お母さんが昔言っていた言葉を思い出す。
『シュウちゃんはね、自分が傷付くことに勿論怯えているけど、それ以上に自分が自分以外の誰かを傷付けることを恐れているの』
 いつの頃の話だろう? シュウちゃんと出会ってからそう間もなかった頃の気がする。
 その時はお母さんの言葉の意味が良く飲み込めなかった。
 でも今なら何と無く解る。
 そう、シュウちゃんが自分で言った通りだ。
 自分の心の問題。
 相手のことを信じていないからでは無く、自分の心が変わりその結果、裏切ってしまうことを恐れているのだと。
 理解した途端にまた涙が溢れそうになった。

 シュウちゃんは誠実だ。本人は否定したがるけれど不器用な位に。
『好きになってくれてもそれに見合った物が返せないんだ』
 だからこその台詞だろう。
 与えられた物と同じか、それ以上の物を返したいと願う。
 まるで一宿一飯を仁義とする博徒みたいだ。
 少し違うのは、そうしたいと思う相手はシュウちゃんにとって大切だと思える人に限定される。
 望んだ形とは違うけれど、彼の中で特別な席を用意されていると自惚れでなく実感する。
 そのことが私に自信を与えてくれる。

「やっぱり私はシュウちゃん事が大好きです!!」
 彼は眉を寄せて怪訝そうな顔をする。
「桜、人の話聞いてた? なんでそういう結論に達するんだ?」
 多分彼はその想いを自覚してはいない。
「いいんです!! 私は諦めないことに決めましたから!!」
 そのことを指摘すればきっと彼は否定するだろう。だから今はまだ伝えないでいておく。
 眉を下げ彼は浅く溜息を吐く。
「こんな情けない、甲斐性のない男、さっさと見捨ててくれればいいのに」
「それでも、私達にとっては掛替えの無い大切な男性(ひと)です!!」
 満面の笑顔で断言すると一瞬驚いた顔をして、困った顔で不敵に笑う。
「だったら精々頑張って下サイヨ。それと・・・・・・」
 耳元で小さくそっと囁かれる。
「ありがと」
 不意打ちに顔が赤くなる。
 次いで唇に暖かいものが少しだけ触れた。



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