意識を失った桜を自分の代わりにベッドに寝かせ、風邪を引かないよう布団を掛ける。
ベッドの横に立ち自問する。
(はて、俺ってこんな
頭を掻きながらさっきの自分の行動を省みる。
今思い出しただけでクサイ事をしたなぁと思うし、以前の自分ならあんな事はしなかったと思う。
(人間変われば変わるもんだなぁ)
と暢気に思考する。
もっとも変わってしまった理由は見当が付く。それは内的要因でもあり外的要因でもある。
ラシルへの過度なアクセス。
それによって生じた
むしろこの程度の変化で済んだのは僥倖と言えるだろう。
磨耗しきったシュウの人格では最悪、記憶と人格が完全に別の者へと変わっている可能性すらあった。
だがこの結果を鑑みる限りどうやら自分は、自分が思っている以上に生き汚いらしい。
(スザクの御陰かな?)
使い魔が上手くバックアップしてくれたのかもしれないが、ロキとは違い通常の使い魔であるスザクがそこまでのことをやったとは考え難い。
単に運が良かっただけ、と言うのが一番無難な線だろう。
「・・・・・・」
本当にそうだろうか?
何者かの作為があったのではないか?
頭振って疑問を消す。
重要なのは原型をキチンと留めているという点に尽きる。
(それにしても・・・・・・)
桜の寝顔を見る。
苦しむ様子も無く、魔素が無くなって意識を失い穏やかな寝息を立てている。
(魔力の
手の平に視線を移す。
体の隅々までを満たす充足感。
七年前の森での一件。
雪もそうだったが向こうの世界でも珍しい位の容量だ。
しかもあの後、自分のように魔素が無いことで体の不調を訴えるようなことも無かった。
それが個人的な資質に拠る物か、この世界の人間特有の遺伝的な形質に拠る物なのかは人体検査でもしてみなければ解らないだろう。理由が気にはなるが、生憎と人体検査をしたいとかそういう趣味は無いので真実は闇の中だ。
「さてと」
一人呟いてから壁に掛かった時計に目をやる。時間は日付が変わる少し前を指していた。
それから近くに置いてあった服に着替え、ハンガーにかかっていた黒い軍服に袖を通す。
そして影の中に手を突っ込んで武器を物色する。
影から引き抜いたのは装飾過多の実戦にはあまり向かない剣だ。
「まっ、いっか」
基本的に何でも良い。
若干長いが、大体この位の体格に合わせて作られているはずなので問題ないだろう、多分。
剣帯に剣を吊るす。
相手には悪いが負ける気が微塵もしない。
むしろ早く暴れたくてウズウズしている自分が居る。魔力不足から常に付きまとっていた倦怠感から解放され、久々に自分の意志で全力が出せる。
扉に手を掛けスライドさせ廊下に踏み出る。
「シュウちゃん、目は覚めた?」
そこには良く見知った女性が壁に背を預けて立っていた。
「美咲さん・・・・・・」
「『お母さん』でしょ?」
「あ、」
指摘されてそうだったと思う。自分は美咲さんの事を
「気分はどう?」
「特にこれと言って」
「そう、良かったわ」
笑みを見せる義母の様子が硬い。
「・・・・・・事件のあらましは月子から聞いたわ」
「そうですか」
「それとシュウ君が何故事件に巻き込まれているのかその理由についても」
「・・・・・・」
互いに逸らすことない視線が交差する。
「―――どうして最初から事情を説明してくれなかったの?」
憂いを含んだ声音には、教えてくれていれば力に成れたかもしれないのにという響きが混じっていた。
視線をずらして答える。
「こうなるとは予想していませんでしたから」
「それは雪が傷付いたこと? シュウ君が自我を失ってしまったこと? それとも自分以外の人を巻き込んだこと?」
「・・・・・・この世界の人間の手を借りてしまったこと、です」
答えを聞いて義母は小さく溜息を吐く。
「シュウ君。全てを話せとは言わないわ。けど少しも頼って貰えないのって寂しいものよ? 信頼されてないのかなって悲しくなるもの」
「・・・・・・」
確かに美咲さんの言うとは正しい。だが、だからと言って他人を危険に巻き込んで良い理由にはならない。
「ほら、そうやってすぐまた一人で背負い込もうとする」
見透かしたようなタイミングで考えを指摘される。
そう言えば色見と言う能力を持っていたなと頭の隅で思う。
「・・・・・・シュウ君。そんなに他人は信用できない?」
「・・・・・・」
答えはYesでもありNoでもある。
信頼したいとは思う。そして信用に足る人物だとも思う。でも最後の一歩を踏み込む勇気はもう自分には持てないし、持つつもりも無い。
そんな気持ちを知ってか知らずか、美咲さんは優しい声で言い聞かせる。
「でもね? シュウ君が信頼してくれない限りシュウ君の周りに居て、シュウ君を信用する人間は、常にシュウ君に裏切り続けられるのよ?」
それも分かっている。だからなるべく信用も信頼もされないように軽薄に振舞ってきたつもりだ。
少なくとも最後の一線は踏み込ませないようにしてきたつもりだった。
そうすれば裏切られても、痛みは伴うだろうが一生残るような傷痕にはならないはずだから。
その距離を見誤ったが故に必要の無い傷を雪に付けることとなったし、多分桜も傷付けた。
再び美咲さんが溜息を漏らす。
「相変わらずシュウ君は頭が固いわね」
仕方無さそうに微笑む。
およそ十五年。それだけの間、培ってきた考えをすぐに変えられるとは思っていないのだろう。
急に真面目な声で喋る。
「それでもこれだけは覚えておいて。雪と桜は、貴方の担い手と鞘になる」
降って湧いた単語に眉間に皺を寄せる。
「担い手と、鞘?」
義母は真顔で頷く。
「そう。黒河修司と言う抜き身の刃の」
その台詞に自嘲する。
「抜き身の刃と言うよりは、錆びた剣ですけどね」
必要な時に力を発揮できず、切ろうと力を籠めると違うものを傷つける。役立たずな錆びた剣。
「刃を磨くのも担い手の務めよ?」
そう言って悪戯っぽく微笑む。
それに対して軽く息を吐く。
「義母さんは運命論非支持者じゃありませんでしたっけ?」
「あら? これはれっきとした女の勘よ?」
そう言って今度は憂いに翳った微笑を見せる。
「ねぇ、だからシュウ君? 逃げることで得た回答に満足はしないで」
「・・・・・・心には留めておきます」
義母さんは仕方無さそうに眉を下げて答える。
「しょうがないわね。今回はその答えで満足しておくわ」
「ええ、御配慮痛み入ります」
そう言って頭を下げた。
美咲さんに他人行儀ねと拗ねた口調で睨まれる。
だが、軽い雰囲気を一変させ硬い声で尋ねる。
「―――行くの?」
「ええ」
「そう」
短い遣り取り。
だが予想外の言葉が義母さんの口から漏れる。
「リエーテさん達この病院に入院してるから、他の患者さんに迷惑かけちゃ駄目よ?」
「・・・・・・はぁ?」
眉を寄せて聞き返す。
「だからシュウちゃんと戦った人達は入院中で、今、夜だから他の患者さん寝てるでしょ? だから迷惑行為は禁止ね?」
「・・・・・・なんで」
入院なんかしてるんですか? と尋ねようとしたが、口は上手く思考に付いて行かない。
それに対して義母さんはニッコリ笑う。
「恩を売っておくのは悪いことじゃないでしょ? それに行方が分からなくなったら慰謝料取れないじゃない?」
「―――」
前から敵わないなぁと都度思っていた。
思っていたのだが、―――物凄く強かだと思うのは女性に対して失礼な感想だろうか?
こちらの考えなど何処吹く風といった調子で
「それから、シデさん・・・・・・だったかしら? 多分呪詛の一種だと思うんだけど神術じゃ治せないのよねぇ」
手を頬に当てて困ったわと呟く。
「シュウちゃんだったら治せるだろうから、恩を売ると思って治して上げなさい」
病院の冷え切った薄暗い廊下を歩きながら、先程の美咲さんとの遣り取りを腕組みしながら考える。
(うーん、分からん)
こっちの世界に来て約七年。
自分に出来る範囲で世界のことを調べてみたりもしたが、結局大した成果は上がっていない。
まぁ金も人脈も無い、ただの学生が調べられることなど高が知れている。
そして当然のように西暦から星暦への世界の流れは未だに謎に包まれており新説、珍説がそれこそごまんとある。
それでも、他人より詳しいのはラシルからの
そう言う意味では自分が居候している家は殊更に特殊だと言える。
その成り立ちも、構成する人達も。
家族の顔を思い浮かべて再び思う。
(うーん、分からん)
まぁ、世の中分からないことがあるから楽しいのも事実だ。
常に謎を孕み、謎が在るからこそ、それを確かめて見たいと思う。全てを知ってしまえばそれはきっと退屈な毎日になってしまうだろう。
そう自分を納得させようとしたが、それでも疑問は残る。
「―――担い手と鞘。そして抜き身の刃、か」
美咲さんが言った言葉を小さく口の中で転がす。
自分が抜き身の刃かどうかはこの際置いておく。そして美咲さんが言わんとしたことも何と無くだが分かる。
きちんと御することの出来る者が居れば道具は正しく使われる。そして、きちんと仕舞っておけば道具が間違った使われ方をすることはなくなる。
たがそれならば一方だけで事足りるはずだ。
にも拘らず美咲さんは両方を挙げた。
その真意が分からない。
(今後の課題だな)
思考を一時保留とし、現実に意識を向ける。
壁に背を預ける形で立っている人影に気付いた。