3-7

 漂う意識の中で夢を見る。
 とても遠く、ずっと遠い昔。
 まだヒトと精霊の距離が近かった頃。そして世界が幸福だった頃。
 星が創りなおされて、ヒトが絶望を忘れた頃。
 栄華を極めた王国は滅びた。
 たった一度の間違い。けれど致命的な間違い。
 再び広がる絶望。蔓延する不幸。
 それはまるで病のように伝染し、星は痛み、軋み、涙を流す。
 だから世界は間違いを犯したヒトに咎を与え、そして救いを求めた。

 ―――救いという名のイケニエを。


 ◇ ◆ ◇ ◆

 目が覚める。
 布団の中でグズグズするようなことはせず、身支度を整える為、体を起こす。
 その動きが不意に止まった。
 体を走る痛みに眉を顰め苦悶の声を噛み殺す。

 なぜ自分がこんな状態なのか、記憶はハッキリしている。
 無理の利く状況でないのは分っているが今は時間が惜しい。
 痛みを無視して起き上がり、枕元に置いてあった服に袖を通す。
 袖を通すときに見た自分の体には何十にも包帯が巻きつけてあった。
 痛々しい光景だなと他人事のように思いながら、着替えを済ませ障子を引く。

 場所は神崎家の座敷。
 陽の高さから時間は朝の九時くらいか。

 早足で廊下を歩きながら今後の大まかな予定を考える。
 まずはレージ達の居所を突き止めて合流。その後、あの紅い機体を追撃。
 その為には情報を収集しなくてはならない。
 危険だがラシルへのアクセスも止むを得ないかと結論付け、廊下を曲がった所で人とぶつかった。
「きゃっ!?」
 水の入った洗面器を抱え倒れそうになる人物を
「っと!?」
 咄嗟に支え、立たせる。
 その後で堪えきれず廊下に蹲る。
「お、お兄さん!?大丈夫ですか!?」
 先程よりも驚いた声に、無様な格好を晒しているなと自棄っぽく自嘲する。
「―――ああ、大丈夫」
 千夏も同じように屈み込み、息を呑む。
 そんなに酷いだろうかと、視線の先を辿るとの二の腕の部分が赤く染まっていた。傷が開いたらしい。
 傷が開いた事よりも、着替えたばかりの服を血で汚してしまった事に眉を顰める。
(流石にアレだけ貰ったら、一日じゃ回復しきらないか)
 泣きそうになっている千夏に、心配しないよう笑みを返す。
 そこでふと違和感を覚えた。
「・・・・・・あれ? 千夏、学校は?」
 平日のこの時間に千夏が家に居るのはおかしい。
 暢気な問いに
「学校は休校になってます」
 怒ったように返し、神術の光を傷に向ける。
「自主休校とか言う落ちは?」
「ありません」
 キッパリとした口調は昔の千夏からでは考えられない。その成長振りに兄としては嬉しいような、寂しいような。
 ただ、その顔は泣く一歩手前のようで意味の無い罪悪感を覚える。
「あーっと、えーっと、ごめん?」
 なんとなく雰囲気で謝ると千夏は顔を伏せた。
「千夏?」
 呼びかけてから千夏の体が小さく震えている事に気付く。
「―――お兄さんが無茶するのはいつもの事ですけど」
 零れるものを堪えるように言葉を切る。
「もっと、自分を大切にして下さい。じゃないと、また・・・・・・」
 懸命で泣きそうな言葉に、参ったなぁと空いている方の手で頭を掻く。

 無茶するのがウリというか何と言うか。
 最終的に相手の骨を斬った方が勝ちな訳で。  だとしたら肉を(えぐ)られる位は我慢せねばなぁと考えてしまう。
 別に自傷行為が好きな訳じゃないし、痛いのが気持ちイイとか思っている変態さんでもなく。―――むしろ嫌いだし、楽して勝てるならそれに越した事はない。―――だったら、自分は客観的に見て正常な思考の持ち主だよなぁと一先ず安心。
(・・・・・・違うよなぁ)
 千夏が言いたいのはそう言う事じゃないと分っている。
 だが傷付く事を恐れていては前に進めないのは哀しいかな、経験則によって導き出した答えだ。
 無論、場合によりけり(ケース・バイ・ケース)だと言う事も理解してはいる。けれど自分が身を置いているのはそんな生易しい場所ではない。
 だからと言って千夏の言い分を蔑ろにしてもいい理由にはならないが、少なくとも優先順位的に見て自分の事は後回しだ。
 そんな考えを欺瞞臭いなと結論付けてから言葉だけを受け取る。

「ん、心配してくれてありがと」
 薄っぺらな口先だけの言葉。相手を騙し納得させる為だけに笑みさえ作る。
 それでも千夏は安心したように眩しい笑みを浮かべた。
「・・・・・・」

(あ、あっれー? なんか今、スッゲー痛くなかった?)
 グッサリ来た。なんかもう深々と。
 眩しすぎる笑顔から目を逸らす。空は青いなぁと思考が半分現実逃避に走る。
 自分にそんな感情が残っていた事実に、ちょっとビックリ。
 弱くなったモンだと内心溜息を吐く。

「千夏?」
「はい?」
 笑顔のままキョトンとした表情が返ってくる。
 なんと言えば過不足無く伝わるのか逡巡し
「―――心配はしなくて大丈夫だから」
 困った笑みを向けると千夏の表情が曇った。
 予想通りの千夏の反応に、言い訳の言葉が続きそうになったが結局口を閉ざす。
 俯いてしまった千夏から疑問が零れる。
「また、行くんですか?」
「うん」
「お兄さん、死に掛けたんですよ?」
「うん」
「それでも―――」
「行くよ、必ず」
 遮るように断言する。
 どれだけ引き止められても。自分の行動が無駄になろうとも。

 顔を上げた千夏が声にならない声で尋ねる。どうしてと。
「多分、それが世界に望まれた僕の(やくめ)だから」
 言葉の意味を考え、理解しきれず、未消化のまま千夏は口を開く。
「そんなの―――ただの自惚れです!!」
 感情的な声に対し、そうだねと苦笑を返す。

 本当に千夏の言うとおり、どうしようもない自惚れだ。
 自分の忌避する感情の一つ。
 それでも行かなくてはならないだろうと、漠然とした義務感がある。
 少なからず今回の事件に関わりある人間として。
 そしてあの時、己の甘さ故にゼツ=オブライエン(あの男)の狂気を―――息の根を停める事の出来なかった自分に対する責任(ツケ)の為に。

「あー!! シュウが千夏ちゃんを苛めてる!!」
 突然、降って沸いた能天気な声。
 千夏は驚いたように声の主を見、気付いていた自分は冷やかな目を向ける。
 こちらの向けた視線に気付かずにタスク(アホ)は続ける。
「妹にモエモエするだけでは飽き足らず、苛めてニヤニヤするとは何事かッ!?」
 正義の味方宜しく人差し指を付き付けてくる。
「そんな変態鬼畜野郎を、例えお天道様が許そうとも俺は決して許さゴフッー!?」
 庭に立っていたタスクに向けて放った跳び蹴りが綺麗に決まった。
「おはよう、高峰君。良い転機だね―――寿命的な意味で」
 片足をタスクの腹において踵をグリグリと捻る。
「む、無駄に笑顔が爽やかー!! イダダダダ!?」
 しばらくは頑張っていたタスクだが痙攣をおこして動きが止まる。
「ふぅ、馬鹿のせいでまた傷が開いちまった」
 無言で立っていたヒロスケとエンが半眼を向けてくる。
 先に口を開けたのはヒロスケ。
「・・・・・・あー、まぁ色々言いたい事はあるけど、思ったより元気そうで何よりだ」
「て言うか、傷開くまでしてツッコミを入れるその根性を違うとこに向けれないの?」
「無・理」
 エンの問いに即答を返す。
 二人揃って溜息を吐く。
「なんだ、その反応は? 怪我人に対して失礼な」
「フツー怪我人は、廊下から庭に向かって跳び蹴りをかましたりなんかしないわ」
 真っ当なエンのツッコミに対し、うんうんとヒロスケだけでなく何故か千夏も頷いている。
 ・・・・・・内心ちょっと凹んだ。
 あからさまに不機嫌な声で尋ねる。
「―――で、何しに来たんだ?」
「そろそろ大丈夫かな〜ってことで見舞い」
 気にした風も無く、ホラと言って手に持った包装されていないメロンをヒロスケが見せる。
 それを自分へではなく、千夏に手渡す。
「千夏ちゃん、小振りだけど家族で食べてね」
「え? あの、でも・・・・・・これ、お兄さんへのお見舞いの品じゃ?」
「細かい事は気にしない。シュウには必要なかったみたいだし」
「えーっと・・・・・・」
 助けを求めるように千夏が視線を寄越す。
 溜息を一つ吐いて
「いいよ。義父さんと義母さんのとこに持っていって冷やしといて」
 千夏は頷くと、ごゆっくりと言葉を残し廊下を歩いていった。
 それを見送ったところでタスクが起き上がる。
「あーもー、ばっちぃなー」
 服に付いた砂を手で払いながら口を尖らせる。
 同じように足の裏の汚れを落としてから縁側に腰掛ける。
「んで、本当は何しに来たんだ?」
「だーかーらー、見舞いだっての!!」
 ヒロスケは心外そうに言葉を作る。
「ああ、そう。だったら用事が済んだならさっさと帰れ」
「うわ、ヒドー!?」
 無駄に高いタスクのテンションに付いていけず溜息を吐く。
 それと同じようにエンが小さく息を吐き
「あと、これからシュウがどうするのか聞きに来たの」
「どうって言われてもなぁ・・・・・・」
 左手で頭を掻く。
 遣る事は決まっているのだが、それを説明した所でどうしようもないというかなんというか。―――ぶっちゃけ、説明するのが面倒だった。
「シュウ。アンタ今、面倒だとか説明しても意味が無いとか思ってないでしょうね?」
 無駄に鋭いエンに内心で首を竦める。
「嫌だなぁ、マドカさん。そんな事、思ってナイですヨ?」
「じゃぁ、別に話してくれても問題ないわよね?」
 凄みのある笑顔を向けられれば、観念して話すしかない。

 先程決めた段取りを簡単に話す。もちろん異世界云々、自分の出自などの肝心なところは虚実織り交ぜた上にフィルターをかけて、だが。
「―――ってな感じでOK?」
 話して三者三様の反応を見せる。
 タスクは分っているのか分かっていないのか、成程としきりに頷いている。
 ヒロスケは難しい顔をして、何か考え込んでいる。
 そしてエンは
「オッケーな分けないでしょ。なにそれ!? 要するにまた首を突っ込んで、ヤラレに行くってことじゃない!!」
「失礼な。今度は負けねぇよ―――多分」
「その根拠の無い自信はどっから湧いてくるのよ!? 後、多分って何よ!? 多分って!! せめて自信を持って言い切りなさい!!」
「ここだッ!!」
 親指で自分の胸を力強く指す。言われたとおり自信を持って言い切ってみた。
 エンは額に青筋を浮かべ、口元を引きつらせながら尋ねる。
「・・・・・・アンタ、真面目に話す気無いでしょ?」
「割かし」
「―――」

 見えないはずの架空の空間。そこに音を立てて亀裂が入りタスクが慄く。
 ブチ切れ三秒前のマドカさん。
(さらっとした本音を、さらっと流してくれると有難かったんだけどなー)
 嘘を吐いても本音を言ってもキレられるのは不条理だと思う。
 上手くいかんもんだと小さく落胆。
 その間にもエンの口から、かなり不穏当な発言が漏れているが
(薮蛇にならんよう、ココはツッコミを自重しておこう)

 まぁまぁとヒロスケがエンを宥める光景を見て、『あぁ』と思った。
 その思いを、見当違いなのかなと自問する。
 もしかしたら偽りの記憶がもたらしただけの錯覚。けれど
「―――多分さ? ここで何もしなかったら、きっと、もっと後悔する・・・・・・と思うんだよね?」
 唐突に語りだした自分に、動きを止め三人の視線が集まる。
 柄じゃないよなーと一人自嘲し、視線を空に逃がす。
 視界に広がるのは雲の浮かぶ青い空。
 そこに、自分は何を想えば正しいのだろうか?

「ガキん時にさ? 『知っているのに見て見ぬ振りをするだけの大人にはなりたくないよなー』って思った」
 遠い昔、それがただの絵空事だと、疾うに気付いていた。
 一々において他人に構ってなどいられない。そして構えば構うほど孤立していく世界で。
 生きていけば身に付けていくだろう単純な処世術を
「だからってソレを律儀に守る必要は全く無いんだけど・・・・・・」
 否定したのだ。
 憎悪を持って。だから
「一回くらい格好付けても、バチは当たらんと思うんだよね?」
 大袈裟に溜息を吐いたエンが尋ねる。
「―――それが今だって言うの?」
「どーだろ?」
「相変わらず煮え切らない考えね」
 怒り半分、呆れ半分の仕方無さそうな、けれど優しい笑みで
「せめて自信を持って言い切りなさい」
「いつか、自分に自信が持てるようになったらそーするよ」

 穏やかな雰囲気の中、三人を前に真面目な声で語る。
「人一人に出来る事なんて高が知れてる」
 それは、かつての諦めの言葉。
「俺が行こうが行かまいが、多分運命(けっか)は変わらない」
「? じゃぁどうしてシュウは行く気満々になってんだ?」
 タスクの科白に、珍しくなとヒロスケが付け足す。
 それに不敵に笑って答える。
「やられたらやり返すのは万国共通のルールだろ?」
 エンがうわぁと声に出して呟き、若干引き気味視線を向けてくる。
「馬鹿もここに極まりね」
 ヒトに失礼、失礼と言う割りにエンも人の事を言えた義理じゃない気がする。
 今度はヒロスケが息を吐く。
「ま、シュウが真面目に話す事は期待してないけど、リベンジしに行く事は間違いないんだな?」
「ああ」
「―――俺達に何か手伝える事はあるか?」
 数秒間思案して
「・・・・・・気持ちだけ在り難く貰っとくわ」
「って言うと思ったよ」
 と口を尖らせ地面を蹴る。
「死ぬなよ?」
 最後に心配そうな表情で顔を歪ませるタスク。それに他の二人が同意するように頷く。
 大袈裟なと、ちょっと笑えた。



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