EX2-10 空へ願った事 望んだ事

 夏休み。日が高くならないうちに病院を訪れる。
 弱く冷房の効いた廊下をヒロスケの後を付いて歩く。
 冷房の為に締め切られた廊下は風通しが悪く、その分消毒液の匂いがより鼻に付いた。
 窓の向こうから響く蝉の合唱もどこか空々しい。
 そんな中、前を歩くヒロスケへと愚痴を漏らす。
「なんでこのクソ暑い中、馬鹿をした阿呆の見舞いに足蹴なく通わなきゃならんのかね?」
「まぁ、いいじゃん。どうせ暇だろ?」
 笑みと共に断定。ああ、もう。コイツ本当にイイ性格してやがる。
 溜息を吐いてから反論。
「暇だけど暇じゃないの。俺は色々と忙しいの」
「例えば?」
 質問してきたヒロスケに即答を返す。
「寝る」
 答えに対し、ヒロスケはげんなりとした表情で
「そこはさ、嘘でも良いから宿題とか答えよーよ」
「ホラ、俺って嘘の吐けない性格だから」
 言って作った笑顔を向けてやると、一生言ってろと、とても親しみに満ちた言葉が返ってきた。
 最近、素直さが減って寂しいなぁと思ってみたりするのだが、口に出したりはしない。

 目的地にはすぐ着き、歩みを止める。
 個室の主を示すプレートには高峰祐と書いてあった。
「さてと、タスクは今日も元気かな?」
 分かりきった事を声にしてヒロスケが扉を軽く叩くが返事は無い。
 代わりに中から珍しく笑い声が漏れてきた。
 ヒロスケと顔を見合わせる。
 もう一度、ヒロスケが強めに扉を叩く。
「どうぞー」
 今度は中からタスクの返事があった。
 ドアノブを横にスライドさせて扉を開く。
 部屋の中には、足にギブスを巻いたタスクがベッドに腰掛けていた。そしてその横にもう一人。椅子に座った見知らぬ少年の姿があった。

 見知らぬ少年の年頃は自分達と同じくらい。感じた印象は白。特に消毒された清潔さを強調させるような白だった。
 血色は別段悪くは無かった。だが肉付きの薄い痩せた体と、日焼けした後のない肌の色から病弱と言う単語がすぐ頭に浮かんだ。
 そしてそれが強ち的外れでないだろう事を客観的に思った。

 タスクが不満の声を上げる。
「遅いぞー。シュウ、ヒロスケ」
 暇死にする所だったじゃないかと拗ねた口調で付け足す。
「おまー、わざわざ見舞いに来てやった人間に対する台詞がソレか?」
 口角を上げただけの邪悪な笑みを返してやる。
「そ、そんな顔したってこ、ここ、怖くなんてないからな!!」

 いやもう、メッチャ(ども)ってますやん。

 心の中でツッコミを入れてから、態とらしく溜息。
 見兼ねたのかヒロスケが話題を変える。
「で、タスク。そっちは?」
「おう、紹介するぜ。ユーゴだ」
 自分とヒロスケの視線を受け、見知らぬ少年は椅子に座ったまま微笑えみ小さく頭を下げた。
 簡潔過ぎて分かり難いタスクの説明を放置して互いに自己紹介を交わす。
「永折中一年の柳広輔です。よろしく」
「同じく一年の黒河修司。アホがお世話になってます」
「アホって俺のことかぁぁぁ!?」
 遣り取りを見て少年は小さく吹き出し、仲が良いねと目を細める。
「僕は伊藤優護。僕も高峰君たちと同じ永折中で一年。よろしく」
 同じ中学のしかも同学年と聞いて再びヒロスケと顔を見合わせた。
 自分はともかくとして、ヒロスケは顔が広い。1学年が6クラスあるとは言え、全く見覚えが無い。
 申し訳無さそうにヒロスケが尋ねる。
「えーと、伊藤君は何組?」
「確か五組だったと思う」
 『思う』と言う語尾に引っかかりを覚えつつヒロスケが質問を重ねる。
「・・・・・・ちなみに出身小は?」
「桐ヶ谷小学校」
「キリガヤ?」
 この辺りでは聞いたことの無い地名にタスクが疑問符を浮かべる。

 そもそもこの辺りには永折小の他に通学範囲では二つしか小学校は存在しない。
 疑問に対し伊藤は微笑む。
「三月の終わりに引っ越して来たんだ」
「ああ、それで」
 合点がいったようにヒロスケが頷く。
「何で引っ越して来たんだ?」
 タスクの質問にも笑顔を持って答える。
「親の都合、かな?」
 おおー、カッコイイと無邪気に歓声を上げたタスクは興味津々だ。
「昔、住んでた所ってどんな所?」
 だがその質問に初めて伊藤の表情が曇る。
「実はあんまり知らないんだ」
「? どういう事?」
 どこか観念したような口振りで
「見ての通り不健康で、病院の外にはほとんど出た事がないんだ」
 タスクは驚きに目を瞠り、ヒロスケはある程度予想していたようで視線を逸らす。
「―――えっと、じゃぁ、ずっと病院に住んでる、の?」
 言葉を選ぶようにタスクが尋ねた。
「うん。親の転勤の関係でずっと同じ病院ってわけじゃないんだけど。家にも帰れないから実は新しい家もよく知らないし、学校も―――行ってないんだ」
 頭悪くて将来不安だなぁと、おどけた様に伊藤は再び笑顔を作った。
 どう反応していいか分からないタスクとヒロスケは顔を伏せ、そんな二人を見て伊藤はまた笑う。
「そんなに気にしないでよ。10歳まで生きれたら僥倖って医者に言われて、今年で13歳になるんだからなんとかなると思う。それにまだまだしぶとく生きるつもりだし」
 その言葉にタスクとヒロスケの顔にぎこちないが笑顔が戻った。

 それが最初の会話。
 それから毎日色々な事を話した。

 タスクと出会ったのはたまたま伊藤の母親が『ユウ』と呼んだ時に同時に振り向いたのが切欠らしい。時々忘れるがタスクも本名は『祐』だ。
「友達の名前忘れんなよ!!」
「いやまぁだってタスクだし・・・・・・」
 実に麗しい友情を披露して見せた。

 呼び名に関しては『ユウ』の呼称が紛らわしいからとタスクが譲らず
「じゃぁ、ストレートにユーゴでいいじゃん?」
「考えるのが面倒なだけだろ?」
 本名のままユーゴに落ち着いた。

 タスクが坂道でスケボーに乗り、明らかなオーバースピードで塀に突っ込み骨折。同時に風邪を引いて入院した事。
「アホだからな」
「俺はいつか必ずあの坂を攻略してみせる!!」
「「せんでいいっ!!」」

 ユーゴとタスクでは漢字の書き取りはユーゴの方が勝っている事。数学は同じ位な事。だったら分かる範囲で勉強を教える事。
「じゃぁ俺も復習になるし勉強教えるよ。分かる所は、だけど」
「ありがとう、柳君」
 それを横で聞いていたタスクは嫌そうな顔をしながらも、珍しく不満の声を上げなかった。

 ユーゴの病気は先天的なもので、まだ治療法が確立していない事。治る見込みが低い事。
「昔はね、自分の運命みたいなものを呪ったりもしたけど、今は大丈夫」
 柔和な笑みを見せるユーゴを、強いなと素直に感心した。

 三人共同じ道場に通っており、タスクとヒロスケ強さが同じ位な事。一時期サボっていた為タスクの方が若干強い事。
「じゃぁ、いつか組み手見てみたいなぁ」
「まかしとけ!!」
 いつか本当に見せるつもりでタスクは請け負った。

 たまたまユーゴの両親と廊下で出会った。
「ユウが毎日楽しそうにみんなの事話すの」
 瞳を潤ませながら話す母親。
「これからもユウと仲良くしてやってね」
 タスクは当たり前の事に首を傾げ、ヒロスケは力強く頷く。
 その中で一人、悟られない程度に冷めた視線を送った自分は相当捻くれているなと再確認した。



 夏休みも半分以上が過ぎた。
 タスクは退院したが、ユーゴとの交友は変わらず続いた。
 珍しくタスクが体を動かす事より、座って話をする事を望んだ。ユーゴとは妙に馬が合うらしい。
 特に反対する理由は無かったのでそれに付き合う。



 そんなある日、唐突にユーゴが尋ねてきた。
「黒河君は僕が死んだら泣いてくれる?」
 ベッドに腰掛けたユーゴは人懐っこい笑顔を浮かべつつも、その中に真剣さを潜ませていた。
 その時はたまたま病室に二人きりで、どう答えようか一瞬迷い
「―――泣いてなんかやらねぇよ」
 この台詞を二人が聞いたら非難囂々(ひなんごうごう)なんだろうなと予測する。
「そっか」
 けれど、どこか安堵したようにユーゴは小さく笑う。そして
「ありがとう」
 無表情で問う。
「そこは礼を言う所か?」
 あれ? と頭を捻り、そう言えばそうかと礼を言った本人が呟く。二呼吸の間考え込んだ後に
「うん。でもなんか安心した」
 晴れやかな笑顔。
 死が生の対極にあるのではなく、生に内包される一部だと理解し、なおかつ自分の死を受け入れた者特有の。

 多分、その理由を問うた所で自分には理解は出来ないだろうなと、ぼんやり頭の隅で思った。
 理由らしい理由のない、感性だけの感情。そう思ったから、こうなのだと。
 タスクと気が合うのも納得が行く。
「―――そうか」
「うん」
「なぁ、ユーゴ。死ぬのは怖くないのか?」
 相変わらず残酷な質問だと思う。
「そりゃぁ、怖いさ。でも・・・・・・どうしようもないから」
 困った顔で苦笑したその顔に、今まで見せた事のない弱気を感じた。

 その五日後。
 いつも通り病室を訪れた自分たちは昨晩遅く、静かにユーゴが息を引き取った事をユーゴの父親から聞いた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 ユーゴが死んだと聞かされて、頭が真っ白になった。タスクも同様に呆然としている。
 そんな中、シュウは淡々と小父さんと会話をしていた。
 最後にお悔やみ申し上げますと言って頭を下げる。
 まだ思考が現実に追いつかない俺達をシュウは邪魔になるからと急かして病院を後にした。

 飛行機雲の伸びる濃い青空。午前中なのにもう道路は熱を持ち、遠く揺らめいていた。
 タスクは必死に嗚咽を噛み殺そうとして、でも抑え切れていなかった。
 それをどこか遠くのことのように感じながら別の事を考えていた。

 考えていたのは昨日ユーゴと別れる時、どこか変わった所はなかっただろうかと、そればかりだった。けどいくら考えても分からないくらい、いつも通りの別れの挨拶だった。
 何か自分が見落としをしているのではないかと前を歩くシュウに声を掛ける。
「なぁ、シュウ・・・・・・」
「ん?」
 振り返ったシュウのいつも通りの態度が、何故か酷く癇に障った。
「―――シュウは、悲しくないのか?」
 低く搾り出した問い掛けに
「それなりに悲しいよ?」
 軽くおどけた様に笑った友人の胸倉を乱暴に掴んで睨み付ける。
「お前はっ!!」
 横でタスクが驚き、顔を上げたのが目に入った。だがそれを気に掛ける余裕は無い。

 視線がかち合う。
 逸らすことも伏せられることも無い、冷めた瞳。
 口で語られる事のない言葉を確かに聞いた。
 あれ以上、自分達に一体何ができたのか、と。
 不躾で真っ直ぐな揺るぎない正論を突きつけられる。
 返す言葉は自分の内に無く、窮し、掴んでいた胸倉をゆっくり離す。
「・・・・・・だったら少しは泣いてくれよ、悲しそうにしてくれよ。じゃないと―――冷たい人間にしか見えねぇよ」
 仕方ないとでも言うように笑みを作る。
「泣かないんじゃなくて泣けないんだ」
 また軽薄に笑う。凄いだろと、誇るように。そして―――
「そんな人間はただイカレてる」
 これ以上は無いと言うほどの侮蔑の念を自身へ向ける。己の誇りを唾棄している。

 頭がぐちゃぐちゃになって分からなくなる。
 何に対して怒りを覚え、そして悲しんでいるのか。
 よく、分からない、分からないままなのに―――
 何度拭っても頬を伝うものを止めることが出来なかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 葬儀はシメヤカに行われた。
 出席者は親族と、部外者は俺たちだけだった。
 夏は盛りを過ぎてなお暑かった。入道雲の浮かんだ青い空とうるさい位の蝉の合唱に、季節の終わりは一向に感じられなかった。いつまでも夏が続くような気さえした。

 当たり前に葬儀は暑く、それでも学生服を着たまま臨んだ。
 小父さんと小母さんは暑ければ服を脱いでも構わないよと、何度も声を掛けてくれたが甘えたりはしなかった。
 ヒロスケは時折ハンカチで額を拭い、俺もそれに倣った。
 シュウだけは汗もかかず、涼しい顔をして座っていた。

 火葬場から見上げる空は何故か煙っぽく感じた。
 それでも赤く染まった西の空に、夕焼けが綺麗に見えた。それが無性に悲しくて、また少し視界が歪んだ。



 学校が始まって、少しずつ悲しみも薄れていった。
 時が傷を癒してくれると言う言葉が嘘ではない事を、身を持って実感した。
 二度と会う事が出来ないのは寂しいけれど、笑いあったことは覚えておこうと強く願う。そして忘れないでいておこうと心に決めた。

 よく晴れた日のいつもの屋上。昼休み。シュウに質問を投げ掛ける。
「なぁなぁ、天国ってどんなトコかなぁ?」
 唐突な質問にシュウは表情を変えることもなく、平淡な声で
「天国とか、あの世とか信じちゃいないよ」
「うぇぇ!? そうなの?」
「ああ」
「夢ないなぁ」
 つまんない奴と付け足してガックリと肩を落とす。
 その様子にシュウは小さく笑みを漏らしてから言葉を続ける。
「でももしあったとしたら」
「ら?」
「―――幸福を願いたいね」
 悔やむような優しい笑みを俺に向けてから遠くの風景に視線を移す。

「・・・・・・」
 遠くを見る友人の横顔を不思議な気持ちで見つめる。
 極稀に見せる、えも言われぬ表情。
 強がって泣かない訳じゃなく、自然に微笑む。
 悲しければ泣けば良いのに。楽しければ笑えば良いのに。
 どうしていつも感情を殺そうとするんだろう?

 ふと、切なさに胸が締め付けられる。
 涙を流すのは違うと、それは分かっている。けれど泣きたくてしょうがない。
 こんな時、友人のことをとても遠くに感じてしまう。

 決して埋める事の出来ない絶望的な距離。共有することの叶わぬ感情。それが、ただ、ひたすらに、切なかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 放課後、シュウの来ない屋上で(おもむろ)にタスクが尋ねて来た。
「なぁ、ヒロスケ」
「なんだ?」
「なんでシュウはあんな顔をするんだろう? ヒロスケなら分かるか?」
 あんな顔とは昼休みに見せたあの表情だろうか。
「ああ、それは―――」
 開きかけた口を一瞬閉ざす。
「?」
 邪気の無い怪訝そうな顔をタスクは向けてくる。
 それに対してからかうように表情を変えて
「―――お前が馬鹿だから分からんだけさ」
 ぐしゃぐしゃとタスクの髪を乱暴に撫でる。
「ぬぉぉぉ、俺はバカじゃねぇぇぇ!!」
 よしよしとタスクを(なだ)め、表面上は笑いながら後悔した。

 ドロリと心の奥から溢れ出そうになった感情。
 本当に大切なモノを失った事の無いお前に、分かるはずがないだろうと。そんな下らない優越感を抱いてしまった自分に。
 心に広がる黒い染みを、一体どうすれば洗い流す事ができるだろうか。

 せめて友人にだけは、そんな感情を持たないようにと。
 青空の下、切に願った。



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