前を歩く老人の背を見ながら、強いんだろうなぁとほんの少しだけ興味を持つ。
屋敷の中とは言え供も付けず(一応)敵であるこちらに堂々と背を見せている。
それはこちらが手を出さないという信頼からでは無く、単に手を出されてもどうにでもできると思っている自信からだろう。
舐められてるなぁと思うが怒りは特に無い。実力を示す為だけに労力を使う方がよほど馬鹿げている。
「ここじゃ」
そう言って立ち止まったのは敷地内の道場前。
引き戸から中に入り、靴を脱いで無人の道場に上がる。
家の物よりもかなり大きく、無駄とも言える広さがあった。
「・・・・・・」
一体これから何をさせられるのだろうか。嫌な予感しかしない。
「あー、お爺さん?」
「なんじゃ?」
睨むような鋭い眼に怯むことなく問う。
「僕は如何様で呼ばれたんでしょう?」
フンと小さく鼻を鳴らしてから
「そんな事も分からんのか? 儂の暇つぶしの為に決まっておろう?」
頬が引きつりそうになるのを懸命に堪える。
(うわぁぁぁ、この爺さん。ヒトとしてかなり本気で駄目っぽい!!)
感情を顔に出ないよう細心の注意を払いながら言葉を作る。
「そうですか。でしたら御暇させて頂いてよろしいでしょうか? 見ての通り面白味の無い人間ですので」
「分かっとらんのう、小僧」
目を細め威圧してくる。
「無位無段のお主が、第四位の京に勝った。これは由々しき事態じゃ」
ああ、だったら適当に負けときゃよかったなと無表情で軽く後悔。
「負けておけばよかったとでも思ってないじゃろうな?」
ピンポイントで思考を読まれ内心ウンザリする。
「もし、お主が京に負けておったらその場で破門にしとったのう」
なんて横暴なジジイだ。絶対碌な大人じゃない。
まぁ別に破門にされても今の生活が続けられるのなら別に構いはしないが。
「まぁ、と言う訳で儂と勝負じゃ」
話の飛躍にツッコミを入れる。
「申し訳ございません。文章の前後が通じてない上に意味が分かりません」
「じゃから言うたろう? 暇つぶしじゃ、と」
本来なら本気なのか冗談なのか、判断に苦しむべき所なのだろうがこのジジイに関して言えば明らかに前者だと言う確信がある。
心の中で盛大に溜息を付いてから口を開く。
「丁重にお断りさせて頂きます」
「ほう?」
幾分興味深そうに老人は呟き、理由を言ってみろと目で語る。
「負けると分かっている勝負に、わざわざ手を出すつもりはありません」
「ふっ、それが実戦で通用するとでも思うておるのか?」
「実戦ならそれなりの対応をしますよ。けど今はただの暇つぶしでしょう?」
「詭弁じゃの。大体、お主自分が負けるとは思うてないじゃろ?」
「そんなことは無いですよ」
これは謙遜でなく事実として、だ。それこそ見た目に騙されて下手な戦い方をすると痛い目に合わされるだけでは済まないタイプの強敵。
髪は白く染まっているが衰えを感じさせない足取りに、杖が不要なくらい真っ直ぐに伸びた腰。隻眼が放つ鋭い眼光は猛禽類のそれに似ている。そして何より、纏う雰囲気が強者のソレを示している。
頭の中では義父さんとどっちが強いだろうと算盤を弾く。
「と言う訳で失礼させていただきます」
こういうのは相手にしないに限る。さっさと退散してしまおう。
「相手をするまで逃がさんぞい」
上座に居たハズの老人が一瞬で下座に回り込む。
その動きだけで相手にしたくない指数が急上昇。
即座に退路を脳内で構築。更にその成功率を算出。
「―――」
余りいい数字は得られない。
かと言って道場の壁を破壊しての逃亡や、窓を蹴破っての逃走は騒ぎになるので出来るだけ避けたい所だ。
他に出口はないかと油断無く周囲に気を配る。
「小僧。相手をするまで逃がさんと言ったはずじゃぞ?」
業を煮やしたように
「戦う気が無いんならこっちから行くぞい」
軽い足音と供に姿が霞む。
「!?」
その動きを目で追うことが出来なかった。ただ経験則に基づく勘が警鐘を鳴らす。そして反射に近い動きで後ろに身を引いた。
小さく、けれど鋭い痛みが頬に走る。
「ジジイ。テメェ・・・・・・」
眼前。不敵な顔で立つ老人を、怒気を込めて睨む。
咄嗟の回避行動は、大振りと言っていい間合いには余裕を持たせすぎた動きだった。だが実際には老人の攻撃はこちらを小さくだが捉えている。それは
「ほっほっほっ、
闊達に笑っているが、もう数センチ上か、もしくは普通に避けただけなら目が潰されて同じ隻眼になっていた。
普通、武闘家はいきなり急所を狙いなどしないし、心構えをしていない無手の相手に、武器を使ったりはしない。いくら武道では無く武術とは言え最低限、格闘家には守るべきルールはあるし、道徳的に言っても守るべきである。使い道を誤れば人を傷付け、殺める技であるのだから尚更に。
それを守らないのは外道か、それを生きる糧にしている人種だけだ。
そう言う意味で明らかに今の攻撃は反則だった。
だからこそ老人の攻撃方法に怒りを覚える。
「おう、その眼じゃ」
ニヤリと
「怒りの感情を抑えきれんとは、まだまだ青いのう」
嘲笑する老人を黙殺。
思考を切り替え、
「やっとやる気になったか」
満足そうな笑みを見せる老人を無視し、影の中からあるものを取り出す。それは美しい装飾の施された柄。
両手で構える。
「なんじゃ?」
怪訝そうな目を向けてくる老人。だが取り合わない。
「風よ―――剣たれ」
柄を中心に空気が集まり渦を巻く。
凝縮し圧縮された空気が不可視の刃を形成。
「・・・・・・宝剣か」
唸るような呟き。それに対しても無言。
力場を脚に集め、地面を蹴る。
弾かれたように老人との距離を詰め、剣を振るう。
風で出来た不可視の剣と力場で強化された杖が交差。
老人は片手で杖を操り、空いているもう片方の手に力場を集め、掌弾を至近距離で放つ。
回避。
掌弾は道場の壁面に着弾。破砕音と爆風。
破壊の後を気にも留めず再び打ち合う。
「やりおるのう、小僧」
力場で身を守っているとは言え、直撃すれば命すら危うい闘いの中、老人はどこまでも楽しげで余裕がある。底はまだまだ見えそうに無い。
そして老人とは対照的に、冷静な判断で己が不利な事を悟る。
恐らく義父と同等かそれ以上の強さ。今の自分では勝ち目は無い。
(どうする?)
思考を高速で回転させながら、逆袈裟、跳躍、回し蹴り、指弾、突き、回避、逆胴と休むこと無く体を動かす。
(どうする?)
二度目の自問。焦りは無い。だがこれでは先に体力が尽きる。まだ当分は持つ。だが0になってからでは遅過ぎる。
思考するのは勝つ方法では無く、負けない手立て。それに必要な
(―――ギリギリ足りそうだな)
決断し、距離を空ける。
老人は追わず口を開く。
「フム。小僧、儂に弟子入りせんか? 鍛え甲斐がありそうじゃ」
「全力でお断りだ、クソジジイ。一人で勝手に耄碌してろ」
大体『鍛え甲斐』ではなく『遊び甲斐』の間違いだろと心の中でツッコミを入れる。
「かっかっかっ、その意気や良し。じゃが覚えておけよ、小僧。―――儂に師事出来るのは名誉な事なんじゃぞ?」
「自分で言ってりゃ世話無ぇな」
「事実なんじゃからしょうがあるまい」
知ったことかと内心で毒づいてから、意識を集中させる。
「おい、ジジイ」
「なんじゃ?」
不敵な笑みを相手に見せる。
「くたばれ」
愚直な直進。
芸が無いと言わんばかりの呆れた表情で老人は杖を構える。
分かりやすい大上段からの一撃。当然防御される。だが
「
切り結んだ状態から、側面より正しく雷で出来た双つの爪が現れる。
ここに来て初めて老人から余裕が消え驚きの表情となる。
「!?」
放電現象を起こしながら老人の背を抱え込むように雷が爪を立てる。
直撃するかに思われた双撃は、しかしすんでの所で回避される。
後の事を考えない、避ける事だけに注力した咄嗟の動き。
老人の体勢が崩れる。
ソレを待っていた。
獲物を失い、消えるだけだった爪が再度、呪文により形を変える。
「獣の爪を磨ぎ合わせ、敵を葬る槍と成れ。―――葬雷槍!!」
雷槍が老人目掛けて飛翔する。
その結果を確認するより早く穴の開いた壁まで後退。退路確保。
ジジイが壊した壁だから修繕費は必要ないだろうと勝手に判断。
そこでようやく老人の立っていた場所に目を向ける。そこには黒く焦げた後が残るばかりだ。
力場検索。反応有り。
「チッ」
本気で舌打ち。
反応のあった方向へ視線を移す。そこには炭化した棒を持つ老人が険のある表情で立っていた。どうやら杖を身代わりに使ったらしい。
あの間合いでよく防げたものだと忌々しく思う。
もっとも本当に直撃するとは思ってなかった。魔素が薄い分、威力もスピードも期待していたものに劣るし、そもそも倒すのが目的ではない。それにあの老人は殺したとしても死なないだろう―――色んな意味で。
とりあえず退路の確保という目的は達成したのでさっさと帰ろう。
「それではクソジジイ様。これからも壮健であられます様、お祈り申し上げません」
シュパッと手を上げてから脱兎のごとく逃走。
後で、待てと言う怒鳴り声が聞こえたが、華麗に