EX3-5

「本当にシュージがそう言ったんですか?」
 驚いた声で尋ねた本人が一番難しい顔をする。
「うん。そう言ってた」
 それに気落ちした様子で答えるのはタスクだ。
 隣では黙ってヒロスケが耳を傾けている。

 五日ぶりに顔を出してみれば、随分とまた重い話をしているわねと思う。
 放課後の屋上で他人の耳が無いという意味においては話の内容として相応しいかもしれないが、生憎とそこまで刺激的な話は望んでいない。
 刺激は適度で十分だ。
 友人が殺人者などというお題目は間違っても聞いて嬉しい内容では無い。
 しかもその情報源が自己申告な辺が、なんというか、こう
(遣る瀬無いわね)
 内心で吐息する。
 この話の情報源が噂だとすれば望みはある。
 友人が否定してくれる事を信じて希望を持てばいいのだから。
 そう思ってすぐに考えを打ち消す。
(あのヤローなら、即行で肯定しかねないわね・・・・・・)
 あげく面白がりそうな所が腹立たしい。
 どこで道を間違えたのかしらねと、紙パックに挿したストローの先から苺ミルク味のジュースをすする。
 なぜあんな鬼畜外道と友人でいて、しかもそれを楽しいと思う事があるのか。
(これはアレね・・・・・・)
 エッセンスとか、多分それ系。
 単品では役立たずだが、他のモノと一緒にするといい感じになったりする。
 それは例えば日常生活における適度な刺激だったり感動だったり。
 と言うか、単品だと劇物の類かもしれない。

「リエーテさん、何か知ってる?」
 そう尋ねるヒロスケの視線は鋭い。この優男は優男なりに何かを知っているのだろか。
「ええっと―――」
 リエーテさんにしては珍しく言い淀む。
 その目は泳いでいて、明らかに挙動不審だ。
「昔のシュウを知ってるんでしょ?」
「私は知っていると言うほど知ってはいません」
「でも心当たりはある?」
「・・・・・・」
 困った顔で逡巡して、息を下ろす。
「―――コウスケの言うとおり、その件に関して心当たりが無いわけではありません」
 ですがと前置きをし
「シュージの過去について私の口から説明する事は出来ません」
「それは後悔からくる義理?」
 少し苛立っているかのようなヒロスケの口調。
 だが何に苛立っているのかは分からない。

 これまた珍しいものを見たと、そんな気分だ。
(あの優男が女性に対して挑発的とも取れる態度を返すとは)
 基本的にヒロスケという男は女性に対して紳士的であり、博愛主義者を気取る節がある。
 本人は無自覚に自覚しているようだが、多分それは裏返しの感情で。
 嘘を貫き通すことで嘘を本物にして、本質を薄めてしまうような。
 その巧妙に隠された嘘に気付けるヒトが一体どれくらいいるだろう?
 更に言うなら、そんなモノに気付いてしまいたくはなかった。

 そんなヒロスケの隠された態度をリエーテさんは当然知らぬまま、問いに首を横に振る。
「他にも色々と、都合の悪い事を語らなければならなくなりますから」
 コウスケ達にはよくして貰っていて心苦しいのですがと、本当に申し訳なさそうな表情で付け足す。
「ただ一つ言える事があるとすれば、公式的な見解では彼は誰一人として殺してはいないという事です」

 なんだ? 公式的な見解って。あのヤローはどこぞのスターか。
(しかも誰一人って、まるで複数人殺した可能性が―――)

 思い付いた考えを即座に否定して、けれどその一瞬で悪寒は全身に広がった。
 待て、おかしい。何か今、繋がってはいけない線が、繋がってしまった。
 考え直そう。何か重大な見落としがあるハズだ。

『そりゃぁ、人殺しは不味いだろ? 例え合法であったとしても』
 タスクが聞いたシュウの台詞。
 この状況の発端。
 殺人を合法とするような状況はあり得るのか?
 例えば正当防衛がそれに当たるが、複数人に対してそれは当てはまるのか?
 ―――当てはまるかもしれない。
 けれど、もっと単純で簡単な答えに先に気付いてしまった。
(でも、待って!! それってじゃぁいつの話!?)
 焦る思考に、現実との歯車がズレ始める。
(シュウがヒロスケ達と出会ったのは?)
 確か小3? 小4? 仮に小4だとしても
(そんな子供の頃からってあり得るの!?)
 あり得ない、とは言い切れない。
 だが現実味に欠ける。
(ああ、でもっ!?)
 ・・・・・・シュウならば、あり得るかもしれない。
 そう結論を下した自分に対して驚く事は無かった。
 ただ胸に痛みが奔る。

 鈍く、擦れるような痛み。

 友人を信頼しきれていない自分の心はきっと醜い。
 例え、嘘でも。
 そんな事は有るはず無いと、どうして言い切ってあげられないのか?
 心の隅から隅まで探せば、その理由を見つけ出す事は出来る。
 だがそれはこじ付けのような答えで、どれも真に迫るモノでは無く
「・・・・・・」
 久々に凄い自己嫌悪。
 無力感とも虚脱感ともつかない感覚に
「―――あたし、先に帰る」
「うえぇぇっ!?」
 意味不明な奇声をあげたタスクを無視して足を動かす。
「ちょ、シュウの事どうすんのさ!?」
 引き留めようとするタスクの問いに足を止め、大袈裟に溜息を吐いてみせる。
「別にどうもしやしないわよ」
 そう。別にどうもしやしない。
「本人がそう申告したんなら、そうなんでしょ?」
 問い返しにタスクは首を垂らし、ヒロスケは無表情。リエーテさんは
「マドカ。貴女はシュージの言った事が本当の事だと言うつもりですか?」
 どうして貴女が怒るのかしらねと、毒を吐こうとする自分を抑える。
「本当の事かどうかなんて知りようが無いもの。大体、教えてくれないのはリエーテさんでしょ?」
 自分に出来うる最高の笑顔で尋ねる。
「それともシュウに直接尋ねるの? 貴方は殺人者なんですか、って」
 反論を待たず、相手の顔を見ないで済むように塔屋の中へ急ぎ足で逃げ込む。
 鉄扉を乱暴に閉めて、すぐに背中を押しつける。
「―――」
 追ってはこないだろう。
 こういう時の気遣いは正直ありがたい。
 それでも精神的な理由から、扉を開けられないよう、背中で押さえる必要があった。
「―――」
 ズルズルと座り込んで息を下ろす。
 意外に残酷なのねと、喉元まで競り上がった言葉を飲み込めた事に安堵した。
 ああ、嫌だ。ドロドロとした感情に振り回されたくないと、そう願っているのに。どうしこう向う見ずな行動を取ってしまうのか。
 そのまま5分くらい蹲ってから、いつまでもこうしては居られないと立ち上がる。

 フラフラと階段を下りながらマズイと思う。
 間を置いたにも拘らず、感情を御す事が出来ていない。
 ちゃんと自分は正論を言えていただろうかと反芻するも、回答は得られない。
 喋る声が硬かった事を自覚できる程度には冷静になれた。けれど思考が熱を持ったままになっている。
 それは気を抜けば暴走してしまいそうなほどの熱で。
 その一方でどうしようもなく冷めきってしまっている。

 本当にどうしようもないのだ、あの男は。
 人を大勢殺したかどうか、その真偽は分からない。
 嘘で有ればいいと思う。
 嘘で有って欲しいとも思う。
 けれどそれは身勝手な願望だ。
 もし、事実としてシュウに殺された人がいたのなら。その人たちの想いは、きっと私の願望を許しはしないだろう。
 そしてシュウの中で、それは紛れもない真実で。

 普通、ヒトは厳しい現実から目を逸らすために、都合のいい真実に縋り、目が眩んでしまう。
 だがあの男は、それが常人と逆なのだ。
 救いがある現実よりも、厳しいだけの真実に酔っている。
 覚める事の無い悪夢を見続けるような。
 なのに悪夢を迎合している。
 地に足が着いていないような軽薄な態度は、彼の本質とかけ離れているのではないか。

 ムカムカする。
 真偽不明なこの状況にも。あの男のヘタレ具合にも。そしてなにより、こんなことを真剣に悩んでいる自分自身にも。
(本当に・・・・・・)
 どうしたいのだろうか、自分は。
 友人を信じたいのか。それとも聞いた話を否定したいのか。殺人者と罵り、蔑みたいのか。真実を知りたいのか。
 整理の付かない感情に付箋を着けて、吐息と共に熱を逃がす。
「・・・・・・自分自身が分からないのは厄介ね」
 自嘲気味に言ってウンザリする。
 こんな日はさっさと家に帰って、熱いお風呂に入ってサッパリしたい。
 そしてそのまま泥のように眠りたい。
「でも、こういう時に見るのは決まって悪夢なのよね・・・・・・」
 いい加減、克服しなければいけないと漠然と思う。
 どうしたいのか、どうすればいいのか。それは分かっている。
 背筋をのばして、正論を吐けばいい。それだけだ。単純で難しい事は何もない。
 けれど夢の中の幼い自分はただ無力で。
 別に、いい子ちゃんぶっていたつもりは更々無く。ただその不正を正したかった。
 みんながそれで仲良く遊べるならそれがいいと。けれど―――

 正しい事をしたはずなのに、疎外されていくあの虚しさを。どう言葉にすればいいのか。
 悔しくて苦い。そしてそれ以上に情けない。

「本当に情けないわ」
 嫌になる。
 今なら同じ状況に陥ったとしても、崩れない自信がある。
 正論と綺麗事を並べて鼻で笑ってやるくらい訳無いと。
 けれど克服できていない現状、それはただの強がりでしかないのかもしれない。

 ただあの時は怖かったのだ。
 仲間外れにされる孤独が。数による暴力が。忍びやかな悪意が。救いの無い環境が。
 だから肩肘を張って、弱い自分を見せないように。精一杯、背伸びして。
 無知だったのだろう。
 不正を是正することは正しい事かもしれないが、それは必ずしも正義とは足りえない。
 正義とは勝者が敗者に言える不条理だ。
 明文化されていなくとも、それは理解しておかなくてならない慣習法だった。
 だからそれを犯したからの私刑(バツ)だったのだろうと納得した。

「エン、先輩?」
 唐突にかけられた声に驚き顔を上げる。
「大丈夫ですか!?」
「?」
 相手の方が自分より驚いた声を上げるのを不審に思う。
「保健室に・・・・・・」
 口にした言葉が止まる。
「―――大丈夫ですか?」
 ゆっくりと労るような声で再度、問われる。
「ええっと・・・・・・」
 自覚症状の無い状況に、相手が心配そうに理由を述べる。
「顔が真っ青です。気分が優れないようなら保健室へ。歩けますか?」
 言われ自分の顔を手で触ってみる。当たり前だが変化は感じ取れない。
 パタパタと手を振る。
「ただの立眩みだから大丈夫よ。―――千夏ちゃん」
 眉をハの字に寄せて納得しない顔をする。
「でも・・・・・・」
 言い募ろうと口を開き、何も言えないまま閉じて俯く。
 だがすぐに顔を上げて
「だったら少し休んで行きませんか?」



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