EX3-9

 真夜中に言い争う声で目が覚める。
 ヒステリックな女の声と低い男の怒声が、階下から聞こえてくる。
 以前は半年に一回の言い争いが一月に一回になり、その間隔がやがて週一回になり、最近は三日を挟むことがない。
「・・・・・・」
 消耗していくだけの関係なら、早く別れてしまえばいいのにと、乾いた心で思う。

 自分が幼かった頃、二人の仲はそれなりに良かったと思う。
 親子三人で笑いあった記憶は確かにある。
 だがそれを今、思い返したところで虚しいだけだ。
「・・・・・・」
 何か原因があったのだろうか? それとも、成るべくしてこう成ってしまったのか?

 何かが割れた音が響く。
 割れたのは食器、だろうか?
 また明日、学校に行く前に掃除をしなければ。
 食堂の惨状を思い、深い溜息を吐く。
 そのまま寝返りを打って頭まで布団に潜り込む。
 言い争いが終わる気配は無かった。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 昼休みの屋上。
 普段なら穏やかに過ごす場所で、苛立ちの声を響かせる。
「シュウには何とか出来るだけの力があるだろッ!?」
「そーだな」
 詰問に対し、返ってくるのは気のない答えばかり。
 いっそ冷たいと言えるほどに。

「だったら!?」
 唇を噛む。
 どうして、と。
 繰り返し先に進まない問答。
 一向に理解を示そうとしない友人に、視界が滲みそうになるのを必死で堪える。
 こちらに対してヤレヤレと面倒臭そうに溜息を吐いてから友人は口を開いた。
「なぁ、タスク? 出来るからと言って、ソレをやることは正しい事か?」
 問われ眉を顰める。
 友人は小さく笑って
「『やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい』って言う人もいるけどさ、どーなんだろうね? もしも、やって後悔したあとで、やらないほうが正解だったのなら」
 そこに救いはあるのかな? と。

 そんなこと、と怒りに任せて出そうになった言葉を飲み込む。
 知らない。知るわけがない。考えもしない。考えたことすらない。
 困っている人が居てそれを助けてあげるのに、理由が要るのか?
 友達が道を踏み外そうとしているのを止めるのに、理屈が要るのか?
 考えるより先に、手を差し伸べるのが先じゃないのか?
 差し伸べた手が、振り払われれば確かに悲しくはなるけれど。
 それを理由に、手を隠してもいいだなんて理屈にだけは絶対ならない。

 漠然と悟る。
 ああ、きっといくら言葉を重ねても、自分の言葉が彼の胸の内に届く事は無いのだと。
 他人の言葉を蔑ろにしているわけではなく、否定しているのでもなく。
 ただ、ただ疑問に思い続けている彼は。
 多分、自分と違う認識の世界で生きている。
 それは同じ空間と時間を共有しながら、けれど全く別のモノが見える世界。
 そして曇りガラスの向こう側のように、自分には彼の世界を正しく覗き見る事は出来ない。
 でも、だからと言って諦めて納得できるはずも無く―――

「このッ、バッカチンが!!」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 三日前と同じように捨て台詞を残して去っていくタスクを見て、小さく苦笑する。
 本当に青春してるよなーと。
 そして徐に溜息を吐く。

 ウチの生徒と他校の生徒との間で集団傷害事件が発生した。
 その事件の加害者というのが、どうやらヒロスケらしい。
 とっくに教師の耳にも届いているだろう。

 別に傷害事件程度ならそう珍しい事では無いし、それが不良同士のいざこざ程度なら騒ぐ事も無い。事実、多少は教師方も黙認している。
 今回それが話題になっている理由は、『集団』傷害事件であるにも係わらず加害者が一人だけだと言う点だ。

 これは多いに問題がある。
 それだけの使い手を学校側が関知しておらず、また『管理』も出来ていない。それは十分に責任問題に発展する。
 今頃、臨時職員会議と称して責任の押し付け合いでもしてるんじゃないだろうか。
「下らナイですねーっと」
 似非っぽく呟いて溜息。
 奇しくも三日前、屋上でタスクからヒロスケの様子がおかしいと聞いたばかりだった。
 その後、様子を見に行ってみたが幸か不幸か見つけることは出来なかった。
 先に手を打っておくべきだったかなと思わないではないが、済んだ事を悔やんでも仕方ないし、実は余り関心が無かったりする。

 どんな理由があるのかは知らないが、ヒロスケは力の使い方を間違えた。
 力の使い方を教えたのは、己の力を誇示する為でも無ければ、憂さ晴らしに他人を傷つける為でも無い。
 自衛の為と。もし大切なモノを守りたいと思ったとき、己の無力を嘆かずに済むように。
「―――」

 かつて居た一人の少年は己の無力を呪った。
 全てが疎ましく、全てが憎い。
 ヒトが、運命が、世界が、自分自身が、どうしようもなく。

 そんな想いをして欲しくなかったから。だから力の使い方を教え、鍛えた。
 辛いことがあっても乗り越えていける。そう信じて。
 道を過つ事は無いだろうと、その人柄に安心して。

 甘かった。甘過ぎた。反吐が出るほどに激甘だった。
 温い判断を下した自分に殺意を覚える。

 そう、ヒトは変わる。
 不変ではいられない。
 良くも、悪くも。
「・・・・・・」

 タスクの言う通り止めるだけの力が有るのなら、止めるべきなのだろう。
 ただその度に思うのだ。
 力の使い方を間違えているのは自分なのではないのかと。

 昔、『戦えるなら戦え』とそう言われた。
 その時はそれが最善だと思い戦った。だが、後に残ったものは後悔だけだった。
 同じ過ちを繰り返すのはウンザリだ。

「でも、ま。それも言い訳だよねぇ・・・・・・」
 感傷を理由に、責任を放棄して良いわけがない。
 例えそれが、健やかに育つことを願って蒔いた種であったとしても。自分が蒔いたことに変わりは無い。
 ならばその芽を刈り取ることが自分の責任だ。
「・・・・・・」
 面倒なことだと短い溜息を吐いてからウィンドウを呼び出す。
 通話機能を選択し、11桁の番号をプッシュする。
 やや長めの呼び出し音の後
『―――もしもし?』
 やや怪訝な女性の声に対し能天気な声で返す。
「どうもー、黒河でーす」
『黒河君?』
「ええ、黒河修司です」
『―――番号は教えてなかったはずだが?』
「蛇の道は蛇、ですよ。安心してください悪用する気はないですし、情報が出回ってもないですから」
『・・・・・・』
「それにそういう副会長サマこそ、携帯は学校に持ち込み禁止では?」
『これは仕事用。ちゃんと教師からも許可は得ている。―――君の方こそ今、電話をかけているのは携帯では?』
「流石、優秀な副会長サマは違いますね。―――携帯なんて持ってないですよ。公衆電話でも無いですが」
 強いて言うならと前置きをして
「個人用の秘匿回線ですかね、発信専用の」
『それは残念。黒河君とのホットラインだったら胸が高鳴るところだったのだけど』
「ええ、それは残念でしたね。僕としては生涯、そんなもの知られたくないですけど」
 うふふふとハハハの気色の悪い声を通話越しに重ねる。
『で、ついに生徒会役員に入る決心はついたかね?』
「んなモン入るわきゃないでしょ? しかも雑用係」
『執行部、と言ってくれたまえ。―――粘り強い交渉は、時に人の心を動かすものさ』
「だったら貴重な時間を精々、無駄に費やしてください」
 相手の溜息が聞こえる。
『つれないね。私は本気なのに』
「十分、釣れてますよ。餌がある内は」
『撒餌だけを上手く食べられている気がするのは気のせいかな?』
「気のせいですよ。あと勘違いの無いように言っときますが、副会長サマと僕の間にあるのは利害の一致と貸し借りだけです」
『それは寂しいね。互いにもっと仲を深め合うのも一興だとは思わないかい?』
「思いません。大体、損得による関係こそ人間関係の基本でしょ?」
『一理あるし否定はしないよ』
 その声に苦笑が混じる。
『まぁ、世間話はこれくらいにして本題に入ろうか?』
 元々こっちはそのつもりなんですけどねと、呆れて返す。
「集団傷害事件の詳細はご存知ですか?」
『どうかな? 一般生徒よりは知っていると思うが全容と言うには程遠いだろうね』
 ああ、そう言えばと言葉を付けたし
『加害者の柳広輔君とは同小の出身か。仲も良かったんだって?』
 六百人を超える数の―――しかも学年すら違う――― 一生徒の情報をどこで知り得たのか。
 頭の中の疑問を先読みするように相手は笑いながら答える。
『生徒会副会長として全生徒の出身小まで把握しておくのは当然の職務だ、と言いたい所だが黒河君とは違い柳君は目立つからね。噂は勝手に流れてくるよ。君たちの学年の中では頭二つ格好いいと上の学年では評判さ』
 俗にいうイケメンと言うやつだよと。
「シケメンで悪う御座いましたー」
『黒河君、そんなに自分を下卑することは無いし、悲嘆もしなくていい。見て呉れは大切だが、それが全てでは無い』
 下卑したつもりも悲嘆したつもりも無いのだが、そんな風に言われるとちょっと傷付く。どうせ平々凡々な顔立ちですよと胸中で返す。
『安心したまえ、私は中身もちゃんと吟味するから』
 そういう意味ではと間を置いて
『黒河君。私は君の方がとても興味深いよ』
 ゾクリと、妖艶に囁かれた言葉に悪寒が走る。
 だがその悪寒は続く声音に一瞬で霧散した。
『と言うわけで黒河君の事を調べているうちに柳君との仲のことも知ったわけだ』
 何か質問は? と言う問いかけを無視して
「副会長サマは僕に貸しが三つありましたよね? その内の一つで今回の事件の情報を下さい」
『ほー、黒河君。君自身が動くのかね?』
 暗に珍しい事だと仄めかす。それに対し
「さぁ、どうでしょ? 熱血漢な友人が居るんでそいつに情報を横流しでもして、止めさせようかと。とりあえず情状酌量の余地があるかどうかくらいは知っておきたいんで」
『そうか』
 と熱の無い息が聞こえた。
『残念ながら酌量の余地があるかどうかは微妙だよ? 学生の喧嘩にしては近年、稀にみる一方的な暴行だ』
「まぁ、そうでしょうね」
 町の不良学生に後れを取るような半端な鍛え方はしていないつもりだ。目標は『打倒、島岡兄弟』。
 もっとも、今回はそれが仇となったわけだが。
『今回の件に関しては我々、生徒会はどやら介入させて貰えないらしい。教師陣で事を収めるつもりのようだ』
「その後で、『管理』と称して堂々と手駒にするわけですね」
 世間は面白いですねーとうそぶいてから
「子供の喧嘩に大人が介入とか、マジ格好悪過ぎて笑えもしねぇ」
『そうは言うが実際、厄介な案件だと思うよ? 教師だって格好が悪いことくらいは自覚しているさ。だからと言って面子に拘って生徒会に放せて問題を大きくするよりはマシだ、とでも思っているんだろうね』
「本ッ当、下らねェ」
『そこで黒河君に相談だ。君がこの件を迅速に『処理』してくれるなら無料で情報を提供しよう』
「で副会長サマはここぞとばかりに教師陣に恩を売ってより高い利益を得るわけですね?」
『―――その通りだが、何か問題でも?』
「いいえ、特に何も。ただ商魂逞しいなと思っただけです」
 相手が小さく笑う。
『だから私は黒河君が大好きだよ。やはり取引をする相手とは、自分と対等かそれ以上でなくては』
「僕はぼろ儲けの方が好きなんで、足元見える位の相手が好きですけどね」
 そう言う意味において、この副会長サマは油断ならない。
『・・・・・・己の成長の糧は金では買えないよ。苦労は勝ってでもしろ、とね』
「見解の相違でしょ?」
『確かに』
 とまた小さく笑う。
「さっきの話ですけど、貸しを一つ充てて下さってかまいません」
『ほぅ、いいのかい? 足元を見るのが好きなんだろう?』
 見えるのが好きなのであって、見るのが好きなわけじゃないのだが訂正は自重しておこう。大差は無いし。
「只より高いものは無い、ですよ。それに実際に僕が動くかどうかは微妙なところなんで」
『ふむ、それは残念。まぁ黒河君がそう言うなら有り難く借りを返させてもう』
 ただしと前置きをしてから
『私に恩を売っておいて、教師陣へ柳君の減刑の裏工作でも期待でもしているのなら、それは無駄だよ』
 私は常に全生徒に対して平等を心掛けているからね、と付け足す。
「そんな回りくどい事しませんよ。するならちゃんと貸しで依頼します。それに―――」
『それに?』
「あの莫迦がヒトを傷付けたのは事実です。罪は償わせないと」
『中々に手厳しいね』
「当然でしょ?」
『ああ、その通りだ。きちんと社会復帰を願うなら、中傷に耐えてでも堂々としていなくてはいけない』
 一息。
『それを友人に望む君は優しいね』
 げんなりとした声で
「気色悪いこと言わんで下さい」
 こちらの言葉にまた小さく笑う。
『では情報を提示しよう。よく聞きたまえ』
 それから詳しい説明を、質問を交えながら五分掛けて聞く。
『他に質問は?』
「ありませーん」
 本人は全容とは程遠いと言っていたが、期待していた以上の情報が聞けた。むしろ知り過ぎていて逆に引ける。家庭の事情まで知ってるとかアンタどんだけ?
 それではと、通話を切ろうとして
『ちょっと待ちたまえ、今回、私の方が一方的に利益が多い。少しサービスさせてくれたまえ』
 そう言ってこちらの言葉を待たずに喋りだす。
『どうやら、柳君へのリベンジを考えている輩がいるようだ。そしてそれに便乗しようとしているけしからん輩も近隣の学校から続々と集まっているらしい。ついでにウチの学校からも』
 それを聞いて溜息一つ。
「暇人しかいないんですか、この近隣の学校には」
『彼らにとっては体育祭の前哨戦みたいなものだ。名を上げられればよし、それが無理でも腕試しくらいにはなるだろうと』
「前言撤回。暇人じゃなくて阿呆の集まりでしたか」
『その阿呆の祭りの真ん中へ行こうとしているのが君だろう?』
「ああ、成程。そう考えると、もう放っておけば良いんじゃないかと心の底から思いますね」
『それでも、私は黒河君が友情に厚い男だと信じているよ』
 そう言って微笑み、集合場所と大凡(おおよそ)の時間を伝えるとじゃーねという言葉を残し通話が切れた。最後の口調だけ妙に年相応でリアクションに困る。
 ヤレヤレとウィンドウを閉じてから天を仰ぐ。
「ほらみろ? やっぱり面倒な事になりやがった」



Back       Index       Next
ちょっと寄り道(間幕へ)

inserted by FC2 system