EX3-13

「あ」
 前を歩いていたタスクの足が突然止まる。
 危うくその背にぶつかりかけた。
 何事かと視線を追えば、その先にはよく見知った顔の友人が居た。
 向こうもこちらに気付いた様子で、鬱陶しそうな表情でこちらを見ている。
「シュウ!!」
 足早に友人の元へ駆けて行くタスクの後を歩いて追う。
 元気だなと額の汗を拭いながら思う。
 夏は盛りを過ぎてなお暑く、青い空には入道雲が浮かんでいる。
 蝉の合唱は今年も長く続きそうだ。
 去年と全く同じ光景だと、そう自覚した途端、
「―――」
 眩暈にも似た錯覚に足元が揺れた。
「・・・・・・」
 落ち着けと。
 そう自分に言い聞かせ、何事も無かったかのようにタスクたちの傍に行く。
「よ」
「おう」
 低燃費な挨拶。
 礼儀は無く、さりとて敬意も無く。
 それでいて繋がっている不思議さを、噛み締めるまでも無くただ思う。
 そして次の言葉は
「来てるんじゃないかと思った」
「えぇー、一緒に行こうって誘ったじゃん」
 不満声でタスクが言えば、友人は
「外せない用事がある、っただろ? これはその帰り道」
 ただのついでだよと言って、ふいと顔を逸らす。
 その仕草を曖昧な笑みで見逃す。

 単独行動を取るであろうことは、ある意味予想通りだった。
 だからこんな半端な時間を狙ってここに来た。
 まぁ会えなければ会えないで、それはそれで仕方ないかとも思っていたが。
 だが運良く会うことが出来たのはそれを彼が望んだからではないかと、そんな風に思う。
「・・・・・・」
 自分達、三人の前には綺麗に磨かれた石が立っている。
 その両脇には花が活けられていた。
「掃除はされてるな」
「まぁ、そうだろう」
「シュウが掃除―――するわけないか」
「失礼な物言いだな。―――違うけど」
 掃除は管理者に任せているのか、それとも小父さん、小母さんが先に来てしてしまったのか。
 草むしりくらいはと、思っていたがその必要も無さそうだった。
「花、持ってきたけどこのまま挿していいのかな?」
「いいんじゃない?」
 暑さで少し萎れてしまった花を、なるべく見栄えがよくなるように挿す。
 その間にタスクには水を汲みに行って貰った。
 花を挿す作業はすぐに終わる。
 主観的にはまぁまぁの出来だと思うだが、客観的にみるとどうなのだろう?
 花の量が少し多過ぎたかと心配になると同時に、予想以上に痛かった出費が微妙に無駄でちょっと切ない。
 そんな気持ちで花を眺め時間を潰す。
 手持無沙汰だが会話は無い。

(花崗岩、だっけ?)
 花を見るのに飽きて石に刻まれた字を眺めていたら、ふと理科の授業を思い出した。御影石とも言うらしい。
 マグマが冷えて固まった岩石のことを火成岩といい、その岩の種類を覚えさせられた。ちなみにテスト対策的な覚え方は『新幹線はカリアゲ』だった。
 深成岩と閃緑岩の間のこの石をなぜ使うのか。
 ある程度、風化しにくく、けれどいつかは風化して朽ちていくからだと。
 形あるもの何時かは無くなるのだから、それはそうだろうとそのとき思ったが、先生も先生で、生徒が少しでも授業に興味を持って貰おうと必死なんだなと思ってみたり。
 しかもそれに釣られている生徒が少なくともここに一人は居るのだから、結果はオーライか。
 この石は、きっと記憶よりも長く残るだろう。
 その証拠にたった一年前のことが少し曖昧になってきている。
 顔も名前も声も、今はまだはっきり思い出せる。でも来年は? 再来年は? 五年後、十年後は?
 ちゃんと思い出せるだろうか?

 常人では記憶をずっと保持し続けておくことは不可能で。
 それでも、自分が薄情に思えてしまう。
 その後ろめたさに視線をずらせば、のほほんとした顔で立つ友人が目の端に映る。
 何を思い、ここに立っているのだろうか。
 まともな答えは期待せず、それでも尋ねる。
「なぁ、シュウ」
「ん?」
「何か、考えてたりするのか?」
「んー」
 一度空を仰いで唸り
「何を思ってここに立てばいいのかなぁ、って」
「そりゃまた偉く哲学的な考えで」
 と嫌味を返せば
「だろ?」
 ふふんと、無意味にえばり胸を張る。
 頭悪そうだなぁと思ったが、身の安全の為に思うだけに留める。
 そして嘆息して思うことは
(本当に・・・・・・)
 何を考えているのだか。

 心を読ませない。
 この友人は本音を建前のように話し、建前を嘘のように話す、根本的な所で信用してはいけない人種だ。
 それなのに、なぜ。
 こんな腐れ外道と友達でいて、しかもそれを楽しいと思う時が間々あるのか。
 どこで道を間違えたのやら自分の人生。将来がかなり不安だ。

「なぁ、ヒロスケ」
「ん?」
 珍しくシュウから声が掛かる。
「そーいうヒロスケ君は何を思ってここに立っているんでしょうか?」
「何って、そりゃぁお前・・・・・・」
 答えようとして、けれどそれを音として紡ぐことが出来なかった。
 それは
(苦いと思っているのは俺だけか?)
 だとしたら、少し辛い。
 そしてその苦さや辛さは、きっと感傷なのだろう。

 一年前、何も出来なかった。
 今ならばと、そう思うのはきっと錯覚で。何も変わらないまま一年が経過した。
 手を伸ばせば助けられたわけでもなく。
 小父さんや小母さんに手落ちがあったとも思わない。
 出来る限りの手を尽くして。
 ただそこに、病という抗い難い運命が彼の命を奪った。
「・・・・・・」
 別れの日を知らず、のんびりと構えていた自分が腹立たしいやら情けないやら。
 知っていれば、もっと沢山の―――

「分からないんだよなぁ・・・・・・」
 唐突な声に沈んでいた意識を上げる。
「ここで手を合わせることに意味ってあるのかなぁ」
「―――あるさ」
 答える声が少し硬いことを自覚する。
「それって実利に適ってる?」
「実利だけで生きてるわけじゃないだろ?」
「そーなんだけどね」
 苦笑。
「忘れたくないと思う気持ちと、忘れたいと思う気持ちのどちらを。俺は大切にすべきなのかね?」
「忘れたいのか? ユーゴのこと」
 尖った思いを丈にして尋ねる。それはここに眠る友人を忘れたくないと思っている自分に対しての自戒の意味も込めてだ。
 答えを躊躇う様にシュウは空を見上げる。入道雲の浮いた去年と同じ空を。
「―――いいや、覚えていたいよ」
 語る声は涼しげで湿っぽさなど感じられなかったけれど
「思い出す度に胸を刺すような痛みを覚えても、それでも忘れたくないんだよなぁ」
 熱も無く淡々と語る声。
「もう同じ時間を一緒に歩くことは出来ないけど、それでも忘れたくないんだよねー」
 まるで言い聞かせるようなその言葉に、深い悲しみを見た。
 それは擦り切れるほどに、何度も同じ思いを噛み締めた者特有の感情。
 刹那的でない、長い時間をかけて紡ぎ出した答え。
 年不相応なまでに理性的で、それでいて幼い願い。
 返す言葉を見失う。

「おーい」
 張り詰めた空気を壊すようにタスクの声が響いた。
「水、汲んできたぞー」
 そう言って笑うタスクに
「遅い、待ちくたびれた」
 だるそうなシュウの容赦無い言葉が突き返される。
「ヒドー!? 人に重労働させといてその言葉!? 流石、ゲドウは言うことが違うな!!」
「うんうん、そうだねー。ところで高嶺君? ゲドウって漢字で書ける? 書けたら君の労を労ってあげよう」
 莫迦にすんなよと言って地面に『下道』と書く。惜しいような惜しくないような。
 それを見てシュウは嫌味ったらしくヤレヤレと肩を竦める。
「ぬぉぉぉ、腹立つなぁ!!」
 そのまま(一方的な)漫才を始めそうな二人に
「拝むぞ」
 そう言って柄杓で、タスクの汲んできた水をすくい墓石に掛ける。
 同じように、シュウ、タスクの順に水を掛け、手を合わせる。
 それぞれがそれぞれの想いでユーゴの冥福を祈る。そして
(来年も三人でまた来るよ)
 空気に伝わらない声が、君に届いていればいいと、そう思った。



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