長い石段を無言で上る少年が一人。
朝の早い時間から上り続ける少年の歩みに、しかし淀みは無い。
時折吹く風に足を止め、短い涼を取る以外に休むことは無く、黙々と道程を消化していく。
そしてついに最後の一段を登り切り、歩んで来た道を振り返る。
高い場所から見る景色は満更でも無く、絶景とは呼べないまでもそれなりの労いと思えば悪くは無い。
―――これからの事を考えなければ。
「一年ぶり、か」
特に感慨も無く呟く。
こっちの都合もお構いなく気軽に呼びつけてくれると、腹立ちと諦めを足して二で割った感想を得る。
短く息を吐き、景色に別れを告げて前を見る。
そこには変わらず厳めしい門がある。山中にありながらその規模は無駄に巨大だ。
来た者を圧倒するそのサイズは金と権力の顕示の為か。
そう考えてしまうのは穿ち過ぎた思考だろうかと、反芻することで己の熱を冷ます。
門の扉は開け放たれており、屋敷の玄関までを見通すことが出来た。その距離がまた長い。
去年は霧(に似せた結界の一種)があり中を窺うことは出来なかったが、今年はここまでなんの問題も無く来られている。
肩透かしを食らった気分だが、気は抜かない様にしようと改めて思う。
特に門番も守衛も居ない。
その事を不審に思う。
去年は年上の巫女が居て、割と問答無用で斬りかかられた。
嬉しくない思い出に気分を重くしながら門を潜る。
「―――」
瞬間、空気が揺れた。
ほんの僅かな時間。気を抜いていれば見逃したであろう些細な変化。
ヒトの気配は無い。
注意深く探れば見つける事は出来るかもしれないが、こちらがそれに気付いている事を相手に悟らせるのは得策ではないと判断する。
何食わぬ顔でそのまま歩み
「!?」
飛び退く。
地面を転がりながら元居た場所を見遣れば、上から飛んできた起爆符が地面に張り付き、一瞬の内に術が発動する。
爆と砕、烈と風に煽られながら、その勢いを殺さぬまま立ち上がる。
そこへ間髪入れずに鏑矢が飛来する。
反射的に回避しようとした体を停止させる。
射線から身は外れている。そしてヒトに当てる為なら音を響かせて飛翔する鏑矢は不適だ。
つまり矢は気を引かせる為の囮。ならば本命は―――
「上か!!」
宣言通り、門の上から今まさに飛び降りた紅白の袴姿の女。
手には刀。既に大上段からの斬り下しの初動に入っている。
その表情は笑み。不敵な喜びを宿し
「ハァァァ!!」
叫ぶ声には気迫が込められている。
迫る危機に対し、思考が高速で回転する。
(どうする?)
刃が迫る。今から防御力場を練っても間に合わない。
(どうする?)
去年と違い、この間合いになっても相手は気を緩めていない。
(どうする?)
遅々とした速度で世界は動く。回避はギリギリ可能だがこれを避けた次手に倒される。
(どうする?)
この期に及んで女性を傷つけたくないと、そんな温い考えが体の動きを鈍らせる。
(くっ・・・・・・)
手が無いわけでは無い。傷付けることを躊躇わなければ。だがその判断を初手で迷った時点で勝敗は決していた。
(あ、・・・・・・)
死んだと、そう思った。
走馬灯もどきで流れるのは。
そう言えば、タスクの家でやったゲームでこんなのあったなーと、そんな思い出だ。
選択肢をミスって即死とか理不尽なやつ。
ゲーム性も何もあったもんじゃないと思うのだけれど、それも含めてゲームの内か。
(出血ドバドバだな)
ホント、碌な思い出ないなぁと内心で溜息。
だがまぁ『仕方ない』で諦めれる程度の人生だ。
熱が消え失せ、どこまでも思考が冷える。
冷え切って、クリアになり、けれど回転は停まらない。
視界が広がる。
遠く、静かに。
編み込まれる系譜。
連綿と続く国の興亡。
泰然と流れる糸は、紡がれ世界に巻き取られていくことで運命と名を変える。
己の理性や感情、意識と言った
刃が頭上で停止する。
刹那より更に短い、虚空の時を以て収束された力場。その密度に鋼が耐え切れず折れた。
達人であっても不可避な間合いで、在り得ないほどの高密度力場が形成される。
(ヤベ!?)
死ぬよりも、より悪い方へ。
天秤は傾いていく。
◇ ◆ ◇ ◆
去年は気を抜いたが為に、無様な負けを曝した。
だから油断無く、隙無く思う。
(取った!!)
喜びは僅かだ。
三対一。
数の上でも有利なら、不意を突いての奇襲攻撃だ。
むしろここまでよく耐えたと言えるだろう。
それだけの強者でありながら未だ無位無段という事実に、自分の事でもないのになぜか悔しさがこみ上げる。
そんな思考に今は蓋をして、意識を正す。
斬った後、すぐに神術を掛けねば少年は死んでしまうだろう。
敵とは言え、ここで殺すには惜し過ぎる人材、否、逸材だ。すぐに治療の手配をしなくては。
そう思いながらも手を抜くことはしない。
二度も敗けてなるものかと。
頭頂から断てば即死する。故に狙いを肩口へ変える。
未だ慣れぬ肉を斬る感触を覚悟し
(御免。絶対死なせませんから・・・・・・)
言い訳だと、謝るくらいなら最初からしなければいい。
そんな思いは、いきなり握りに返ってきた硬い感触に驚愕と共に停止する。
眼前。刃が中程から折れ、飛び散っていく。
「なっ!?」
理解が追いつかない。
反撃でも回避でも無い、防御。
だがしかし、
「これは!?」
何重にも重ねられた力場の層。
それがこちらの渾身の攻撃を弾いていた。
あの間合いから間に合うわけがないという感情と、だが現実に防いでいるという理性がせめぎ合う。
そしてそれは
「
それこそ在り得ない。
ただ
それこそ間に合うはずがない。それだけ形成するまでの
実戦でそれを使いこなせる者が、この国で一体何人いるだろうか。
妖物と戦い続けることが宿痾となったこの国でもその数は極めて少ない。
あの神崎一夜の薫陶を受けているとはいえ、出鱈目にも程がある。
冷や汗が背を伝う。
だがその畏怖は一瞬で反転し、この身が歓喜に震える。
それでこそと、気が昂る。
自分を負かした相手として、申し分ない実力を隠し持っていたことが、敵味方関係無く嬉しい。
勝敗は二の次に。その高みに一体己の丈がどこまで届くのか。
試し、挑む。
高揚を抑えきれない気持ちは、しかしこの後、更に覆されることとなる。
膝を曲げて着地の衝撃を殺す。
攻撃に力場を傾け過ぎていたため、身体への強化は最低限でしか行使出来ていない。
脚に掛かった負荷を無視し、水面蹴りを繰り出しながら急ぎ相手を視界に収める。
互いに無手。距離は至近。放った蹴りは容易く弾かれ、こちらの力場は相手の力場に触れた瞬間に喰われている。
手はすぐにでも届く。
一呼吸の間に力場の練成と収束を重ね、抵抗の手段として拳を発射する。
踏み込みはコンパクトに、腰の回転により威力を高めた右正拳。
効かない。
(ならば!!)
左掌底で浸透打を狙う。
これも効果無し。
剛拳も柔拳も、多重加圧を貫くにはまるで足りない。
それどころか、こちらの手を痛める結果に終わる。
バックステップを踏み距離を空け、再度力場を形成するが
「はっ・・・・・・」
心肺機能が追いついてこない。
限界以上の力場放出量に体が悲鳴を上げる。
先程から加圧を絶え間なく行使し、負荷が蓄積されていく。それでも
「―――!!」
前へ。
面による防御を点による打撃で
(砕く!!)
意志を力とし、双の手に力場を集め、痛みを無視し加圧を繰り返す。
力場を十重、二十重。
加圧を二度、三度。
一撃毎に拳を強化し、放つことに没頭していく。
それは拳だけで鉄の壁を砕くにも等しい作業だ。
腕が軋む。指が、手首が、肘が、肩が。
しかし意識は振れない。
挑戦とは痛みを伴う自己顕示だ。
故に
「ァアアアッ!!」
砕いた。
外側の一層が、飛沫となる。
その様は桜か雪が舞う様にも見えた。
満足感を得て拳を下げる。
残り三層。
酷使し、傷付いた体はそれが限界だった。
頂は遥か遠く。
それでも―――例え一層だけでも―――砕いたという事実が、再起の種となり、いつかの再戦へと繋がる芽となるだろう。
おそらく、この先こんな幸運は巡ってこない。
相手の反撃も無く、ただ己の全力を行使するだけの機会。
意志と感情が合致し、理性が昂然と重なる時。
ある種の敬虔な気持ちが広がる。
敬服と言い換えてもいいかもしれない。
雄大な自然に触れた時に得る、感動にも等しい何か。
だからこの事に対し謝意を込めて頭を下げる。
その行為自体に疑問は無かった。
突然響いた、肉声とは違う機械音声を聞くまでは。
『敵戦力の分析を終了。脅威レベル【小】と判断。』
腰を折った姿勢のまま、顔だけを上げて音の出所を探す。
『なお、敵増援が高確率で予測されるため可及的速やかに対象の無力化を推奨します。』
あった。
少年の左側面。自分から見れば右前方に半透明の薄緑色の板のようなものが浮いている。
最初に浮かんだのは疑問。
(あれは―――)
なんだ?
そして
(分析? 脅威レベル?)
耳が捉えた単語の端々。
脳が判断を下す前に
『排除行動に移行します。』
直後、全身が激痛に見舞われた。