EX3-19

 朦朧としていた意識を一瞬で正す。
 次に来るのは激痛だ。
「かっ・・・・・・」
 曖昧だった感覚は、全て痛みに上書きされる。
 痛い。
 全身を隈無く打撃され、その衝撃で吹き飛ばされたのだと分かる。
 咄嗟にかき集めたこちらの防御力場を容易く貫通した何かは一体何だったのか。
 嫌な汗が背を伝う。
 呼吸が儘ならない。肋骨が折れている。
 それが肺に刺さらなかったのは不幸中の幸いだろうか。
 神術で痛みを和らげることで、やっと空気を得ることが出来た。
 できればこのまま治療を続けたい所だが、状況はそれを許してくれそうにない。
 眼前、こちらに影を落とすのは先程、相対していた少年だ。
「ああ、やっぱりこの状態でも『呪い』は健在か」
 興味深そうに拳を閉じたり開いたりしている。
「つまらない事だね。せっかくの機会だというのに」
 独り言のように語るその目には色が無い。
 相手に勝利する喜びも、相手を傷付ける罪悪も、何もかも。
 感情の一切が読み取れない。
 それを怖いと思った。
 未知のモノに対する根源的な恐怖。
「もう一歩踏み込めば楽になれるのに」
 喋る声に抑揚が無いのが不気味さを助長する。
「ああ、本当に―――」
 そう言って無造作に掌をこちらに向ける。
 そこから放たれたのは至近での掌弾。
 再度、吹き飛ばされる。
 手加減をされたからなのか、先程に比べ威力が低い。
 大半は力場で相殺できた。だが追い打ちを掛けられた体は痛みから逃れるために感覚を麻痺させる。
 危害を加えることに愉悦を感じているわけでは無い。そういった感情の波が伝わってこないからだ。
 ただそこに
「下らないなぁ」
 底冷えする声が聞こえる。
「未だに踏ん切りがつかないのかい? 御目出度過ぎて涙が出そうだよ。殺せばいいじゃないか? このヒトは(キミ)を殺しに来たんだから。その位の覚悟はあってしかるべきだ」
 痛みで動けない体にその手が伸びてくる。
 なす術も無く首を掴まれ、持ち上げられる。
「ぁかっ・・・・・・」
 苦しい。息が出来ない。
 なけなしの力を振り絞って抵抗するがびくともしない。
「このヒトは殺す気はなかったって? ああ、最後に狙いを頭から肩に変えたことを言っているのかい? そんなもの」
 握る手に力が籠められる。
「ただの結果論だ。それにあの瞬間、(キミ)は諦めただろ?―――生きることを」
 初めて感情らしい感情が浮かび上がる。
「だったらそのまま(キミ)は死んでしまえよ」
 それは深い憎しみと激しい怒り。
 だがその矛先は自身に向いていた。
「生きる為に二人も犠牲を出しておいて、それでも(キミ)は綺麗事を抜かすのかい? (キミ)が死ねば彼女たちの死を無駄にすると、そう理解した上で」
 だったら
(キミ)はここで死ぬべきだ。俺なら彼女たちの死を無駄にはしない」
 首を握る左手を通して、目で見えなかった感情が伝わってくる。
 それは
「な、ぜ?」
 消えかかる意識を強引に繋ぎ止め、擦れる声で尋ねる。
 問いに返ってくるのは冷めた視線だ。
 だが伝わってくる想いは、喪失により得た感情―――悲しみだ。
 こちらの首を掴む左手の甲が薄く光っているように見える。
 酸素が足りず幻覚でも見えているのだろうか。伝わってくる感情もただの錯覚だろうか。
 だとしたら何がソレを見せているのだろうか。

「お姉さま!!」
 悲鳴にも似た叫び声。
 声の先には弓を構える少女が居る。
「だめ―――」
 静止の声は擦れて響かず、少女が矢を射る。
 その矢は一直線に少年に向かうも力場に弾かれ届かない。
 少年の視線が少女に移る。
「見ろ。あんな少女でさえ殺意を持って向かってくる。だがその殺意すら悪だと、(キミ)は言うのかい? 助ける為に振るう暴力すら悪だと。ならば殺人を笑って見過ごせるように人の意識を改革して見せろ。そうすれば納得してやる」
 少女に向けて掌弾を放つ。躊躇いの無い、殺意の塊。
「いいよねぇ。罪悪感無く振るえる暴力って。―――超素敵」
 疲れた顔で軽薄な笑みを作る。
 掌弾が少女の足元に着弾した。
 その威で身が吹き飛び、地面を二度跳ねるように転がってからその動きは停まった。
 その光景に怒り、暴れる。感覚も分からぬまま、とにかく暴れる。少しでも痛みを与えられるように。
 だが少年は全く意に介さず、己の右手を不思議そうに見ている。
「こんな状況でも殺すのが嫌、か?」
 殺してしまえばいいじゃないかと気楽に言う。
 そしてそれはなぜ己だけが報復を我慢せねばならぬのかという恨み言に聞こえた。
「当ててやれば痛みも無く楽に死ねたのに。(キミ)が邪魔をして狙いを逸らすから可愛そうに、痛みに苦しんでいるじゃないか」
 その言葉を端に少女を冷静に見る。
 確かに、僅かだが肩が呼吸の為に動いていた。
 その事に少しだけ安堵することを自分に許すが、酸欠で意識が遠のいていく。
 いきなり戒めから解放される。
 驚きよりも新鮮な空気を取り込むことを体は優先した。
 咳き込み、酸素を取り入れるが折れた肋骨が痛みを返してくる。
 なんとか距離を取ろうと立ち上がりかけた体に、今度は胸倉を捕まれる。
「そんなに殺すのが嫌なら仕方ない。だったら蹂躙で許してやろう。ヒトとしての尊厳を貶め、体を暴き辱め、俺の所有物だと身に刻もう」
 ハハハと勢いのない乾いた笑い声を上げる。そして胸倉を掴んだまま道着の合わせ目に手を掛け
「―――」
 勢いよく広げる。
 普段、人目に晒すことの無い部分が空気に触れる。
 一瞬、何をされたのか理解できなかった。
 少年は熱の無い瞳で、見かけによらずと言い、唇を湿らせてから言葉を繋げる。
「この場合は見かけ通り、なんですかね?―――可愛らしい下着ですね」
 冷静に言われ、混乱し、悲鳴を上げるよりも先に、視界が歪んだ。
 怖いのと、恥ずかしいのと、悔しいのと、悲しいので相手の顔が滲む。
 音は聞こえてくるが、言葉を意味として理解できなくなる。
「そこまですれば諦めがつくだろう?」
 諦観を促す言葉は場違いに優しい響きで。
 少しだけ冷静さが戻る。そこで初めて、相手が蒼い顔をして立っている事に気付いた。
 色欲の無い悲痛な面持ちに、疑問がループする。
 なぜ?
 ナゼ?
 ―――何故?

 生贄よろしく、その場に力場で磔にされる。
 そんな事は意識の外において少年の瞳を覗き込む。
 疑問の答えが見つけられるのではないかと。
 少年は逃げるように目を逸らし、自由になった左手をこちらの左胸の前にかざす。
「勝者が告げる」
 地面に赤い線が奔るのを見る。

「弱者には服従を」
 それが蔦のように延び、足元から体に巻きついてくる。
 痛みに疲れ切った体は抗うことも出来ず、ただ何となく彼の『モノ』になるのだなと理解した。
 敗者の責務。勝者の権利。
 ただそれを悲しいと思った。
 高潔だと思った。それは勘違いだったのかもしれないけれど。

「敗者には隷従を」
 記憶がゆっくりと回想を始める。
 去年の同じ時期。敗北の宣言に苦い味を噛んでいた所へ差し出されたのは掌だった。
 勝者の驕りは無く、慢心でもない心で敗者に手を伸ばす。
 それを当然の所作として動いた少年がとても眩しく見えた。羨ましいとさえ思った。
 その少年が今、勝者の権利を行使している事が悲しくて寂しい。

「命を身代りにして」
 少年は勝者だ。故に非難される謂れは無い。
 そも対等でない勝負をふったのは自分自身の責だ。
(―――なのに)
 悲しいと感じる。それを身勝手だ、とも。
 そして彼を追い込み、心を蝕んだのは
(私が・・・・・・)
 後悔で身が震える。
 彼を汚してしまったのは自分なのだと。

「従属と隷属をここに強制する―――」
 ならばその罰は受け入れなくてはならない。償えないのなら尚更。
 次に目を開いた時、世界の景色は違って見えるのだろうか。
 穏やかな気持ちで、諦めに任せようとしたその時、
「しっかりしなさい、京!!」
 凛とした声と弦音が耳朶を打った。
 弦音と同時に少年が飛び退くのを見る。その後を矢が通過する。
 力場で出来た磔台は術者を失ったことで消滅し、体に自由が戻った。
「京、大丈夫?」
 横に立った人物を見上げる。
「お嬢様・・・・・・」
 向けられた笑みに間違いを悟る。
「いえ、月子様でしたか」
「そ、正解。貴女らしくない間違いね、京」
 鋭い口調で指摘され俯く。
「申し訳ございません」
「いいのよ、それは。怒っているのは別の理由だから」
 言葉を紡いでいる間にも神術をこちらに向け、体の痛みを和らげてくれる。
 ちゃんとした治療は後でね、と一歩前へ。
 見上げた背中からは
「京。貴女が仕えるのは神藤梢(わたし)であり、それ以外の何者も在り得ないわ。―――主に無断で勝手に鞍替えしないで」
 言葉は厳しいものだが、口調は拗ねているようにも聞こえる。
「最悪、それは許すとして。あんな下種な契約に引っかかるなんて世間知らず過ぎよ」
 腰に差していた刀を抜刀し構える。
「アレ、一種の誘導暗示だから貴女が罪悪感を覚える必要は全くないわ」
「ですが・・・・・・」
「いいのよ。戦いの最中にヘタレた思考をしている相手が悪いわ。貴女が気に病む必要は無いの!!分かった!?」
 言い包める様に語調を荒くする。
 反論するより早く、その言葉に失笑する者が一人。
「ああ、そうだ。戦場で博愛主義者(フェミニスト)を気取っている(コイツ)が悪い。気に病む必要なんかない」
 だから
「最初から殺すつもりで、そして殺せばいい。それで全て解決だ」
 何も問題は無いと。
 それに返すは嘲笑だ。
「頭の悪い考えね。子どもじゃないんだから単純な二元論で話を進めないでくれる?」
「は、こっちは残念ながら頭の足りない子どもでね。年とって耄碌し過ぎた似非(エセ)婆神(ばばがみ)様には頭が下がるよ」
「良心と一緒に礼儀までドブ川に捨ててきたのかしら?」
 皮肉に唇を歪める。
「そのドブ川に捨てるはずだった(コイツ)の良心を利用しておいて、よく言う」
 昏い喜びに沈む様な笑みで
「今回の事も、四年前の森での一件も。そしてそれ以前も。―――可哀想を通り越して、いっそ滑稽だよ、本当に。あまつその自覚を持ってまだヒトの善意を信じようとする(コイツ)はとんだ道化(ピエロ)だ」
 吐き捨てるように作る言葉を似合わないと、場違いにも思う。
「―――停めるわ、貴方の暴走を」
「ご自由に。だが無理だ、と言っておこうか」
「―――」
 無言のまま身をゆっくりと沈めた後、動いた。
 初動から間合いを詰めるまでの動作は刹那。
 多重加圧の壁を一薙ぎで滅する様は正に神業。
 側面に回り込み、二太刀目が少年の体に届こうとしたその瞬間、
「跪け」
 強制的に動きが停止され、刃を落とす。
 まるで見えない重みに耐える様に抗う。
言霊(ことだま)!?」
 信じられないといった驚きの表情に無感動な声が返る。
「神様じゃないんだからそんな便利なモノは使えないさ。言霊詞(げんれいし)っつー人並みの技だ」
 ならばと、抗いの姿勢のまま反論が続く。
「言の葉で神を縛り付けるなんて不可能なはずよ!?」
「だから抵抗できてるでしょ?」
 何をか言わんや。
「四年前に森で約束してくれましたよね? 『私をあげますー』的な」
 薄い笑みで
(コイツ)は否定したけど、約束自体は例え半神であろうと神の言葉だからちゃんと世界に刻まれている。にも拘わらず抵抗できるってことはアンタにとって、その程度の約束だったってわけだ」
「!? 違―――」
「違わねぇよ。アンタが言葉に逆らえるという現実が全てでその証明だ。それ以外に何がある?」
 風に乗って届いた呟きは、自分に言い聞かせるようで
「見ろ、これが現実だ」
 諦めへと至る悲しい言葉。
 だが響く声は―――驚くほど優しかった。



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