EX3-20

 悠然とした動作で、足元に落ちていた刀を拾う。
 刃に映る眼差しから、感情は既に消えていた。
「死ね」
 言の呪縛に抵抗を続けている女性へ、躊躇いなく刃を振り下ろす。
 目を逸らしたくなるような惨劇は、しかし果たされずに終わる。
 凶刃を阻んだのは隻眼の老人だ。
 その男を見て少年は呟く。
「次から次へと―――面倒なのが湧いてくる」
「騒がしいから見に来てみれば、面白い事になっとるのう」
 敵意の応酬は一瞬で剣戟へと発展する。
 突けば躱し、躱しては薙ぎ、薙いでは払い、払いでは打ち下ろす。
 打ち下ろした太刀が大地を穿ち、穿たれた地面からは大量の土砂が舞う。
 互いに距離を空け、力場(フィールド)を再構築し、次の瞬間には切り結ぶ。
 力場と力場がぶつかり合い、干渉し、浸食と侵食を繰り返す。
 拮抗したかと思えば、押し返し、返したかと思えば退く。
 必殺の一刀が乱発され、それでいて舞の律は乱れることなく。
 全天全地に張り巡らされた力場が足場となり刃となる。
 殺陣舞踏の極致は例え達人であっても介入の余地を残さない。

「すごい」
 思わず漏れた呟きは感嘆の一言に尽きる。
 これが山の頂かと。
 その高さに目が眩みそうになる。
 それでいて互いが余力を残しているように見える。
 浮かべている表情は片や無。片や喜楽。
 どこまでも底が知れないのに、それでいて目を離すことが出来ない。

 鮮やか過ぎるほどの殺意が空間を満たす。
 それに心が痛むのは、きっと己の情けなさ故だ。
 もっと強ければあの場所に立つことが許されるだろうか。
 同じ景色を見ることは叶うだろうか。
 それは途方も無い願いのような気がする。

「決着が付くわ」
 驚きと共に視線を向ければいつの間にか横に立っていた月子が呟く。
「分かる? 互いに決着を焦っているのが」
「え?」
 思いもよらなかった言葉に改めて二人の動きを観察する。
 ぶつけ合う剣戟は変わらず、砕け散る力場は雪のようで。
 そこに焦りなど見え無い。
 しかし終わりは唐突に始まる。

 少年の手にしていた刀が砕けた。
 力場で強化されていたはずの刀。それでも超高々密度のぶつかり合いを凌ぎ切るには至らなかった。刀本来の格が勝敗の明暗を分けた形となる。
 舞踏は停滞することなく流れ、
「!!」
 裂帛な気合と共に翁が突きを放つ。
 少年は無駄を知りつつ対抗策として掌を突出す。
 まず刃の先端が掌を貫き、勢いを保ったまま門柱まで運ばれ、そのまま胸部を刺し貫く。
 串刺しと、凄惨な言葉が想起される光景。
 血塊を吐き出す少年の、しかし表情は笑み。
 そこへ容赦無く翁は刺さった刃を捻る。
 少年は激痛に眉を顰め、それでも禁忌の呪文(ことば)を口にする。
 唱えるは最短。呼び出すは業火。
 穢れよりもなお昏い、原罪にも等しい、払う事の出来ぬ咎。
 現世(うつしよ)に現すことを大罪とし、だがそれ故に災禍としてしか記録に残されなかった八大禁呪。その七禁の一。
「開け獄界の門。第七煉罰―――」
 空間が、濁り、淀む。区別なく、限りなく、世界が侵される。
 異界より漏れだす腐臭が大地と木々を溶かし、空気と風を瘴気に変える。
深淵の終端(ジ・エンド オブ アビス)
 詠唱に従い、空間に陣が躍る。
 果たして、世界に地獄が現れかけたその時、
「―――」
 少年の意識は途切れた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 戦闘の後、黒河修司そのヒトを治療するかどうかに関して大半の意見が反対を占めた。(より正確に言うなら、傷自体は月子の手によって既に治療されていたのでその後の『処置』という意味合いで、だ。)
 だが結局の所、治療は無事執り行われた。
 実質のトップである神藤聡厳と、彼らが神と崇める月子、その憑代となる神藤梢がその反対意見を封じたからだ。
 その理由は、彼らにとって到底納得できる内容では無かったが、最終的には話し合いだけで決着する内容であった。
 それだけ三人の発言力が強いということであり、それとは別の部分で聡厳の後釜に据える者の水面下での牽制が今回の幕引きの一端を担ったのは皮肉な事だ。

 整地作業を黙々とこなしながら、今回の発端の一部となった紫藤京はその結果について考えていた。

 会議の場に一応参加していた自分は内政向きではないと改めて思う。
 舌戦や論戦に甚だ不向きなのは、資質か経験か。
 少年への云われない誹謗中傷に、何度拳を作ったことか。
 その度に、月子と梢の二人に窘められた自分は、やはり未熟だと思う。

 異界になりかけた前庭に全員総出で破魔矢を打ち込んで魔を払い、盛塩と神酒で清めた後の作業だ。
 ちなみに作業をしているのは自分一人で、素人が整地を行った所で出来など高が知れているが懲罰と反省の意を込めた作業である。
 そしてその傍に、一畳台と茶屋傘、お茶を運ばせた上で作業を見張っている女性が一人。
 面白味など無いだろうに、何故かその表情は笑み。見張るだけならもっと適役が大勢居るはずだ。
 集中し辛い事この上ない。
 もっとも、今回の件での罰をこの程度で済ませてくれている事を考えると感謝してもしきれない位なのだが。
 作業に集中しようと意識から締め出そうとした所で声が掛かる。
「やっぱりお爺様も歳よねー。長期戦を不利と考える程にはお年を召した、ということかしら?」
 興味深い言葉に作業を中断して、相手の顔を見る。
 笑みを深くして独り言のような解説を続ける。
「黒河君は精神面(メンタリティ)が不安定ね。今回みたいなことが都度起こるようじゃ、先が思いやられるわ」
 浅く息を吐く。
「資質の問題、といえばいいのかしら? 性格的に荒事に向いていないらしいの、元々は」
 伝聞系の混じる言葉を反芻する。
 そう―――なのだろうか。人となりを知るほど言葉を交わしていない。ただ去年の行動を思い返してみて、とてもそうは思えない。むしろ好戦的なイメージの方が強い。
「紆余曲折を経てあんな捻くれた性格になっちゃったらしいんだけどね」
 漏らす笑みに力は無い。
「今は全ての事に対して前向きに捉えることができない。優しさはもちろん、怒りや憎しみもね」
「それは」
「悲しいわよ、多分。でも彼は現状で満足してしまっている。今以上を望まない」
「―――」
 今よりも、もっと上をと。そう望む自分とは正反対だ。
「癪な話だわ。そんな半端な人間に勝てないんだもの」
 悔しさを滲ませた言葉に身を小さくする。
 決して自分の事を非難している訳では無いと分かっていても、負けてしまったことが心苦しい。
 傍付きの護衛として、年代の近い同性で力有る者が選ばれる。
 その中の一人でしかないと理解している。
 だが、もし仮に彼が敵であったなら。
 そう考えると役割を果たせない自分に価値は無い。

 世事に疎い自分でも聞いたことはある。むしろ少年の治療に反対した者の言い分の大半は『神藤』と『神崎』の不仲に起因する。
 なぜそうなのか、理由は知らない。深く疑問に思うことも無かった。
 だが仮定を重ねた上での現実問題として、誰があの少年を停める?
「―――」
 聡厳様なら停めることはできるだろう。だがその場合、今度は神崎一夜殿をだれが停めるのかという問題が浮上してくる。
 風に聞く。その強さは聡厳様に勝るとも劣らない、と。
「みーやーこ」
 名を呼ばれ、改めてそのヒトの顔を見る。眉を立てた不機嫌そうな表情。
「全く、なんて顔をしてるの?」
「―――?」
 問われた意図がすぐに理解できず、怪訝そうな顔を返す。
 そんなこちらを見て肩を落とす。
「重症ね・・・・・・」
「は?」
 深い溜息の後、優しい笑みを零す。
「いろいろ疲れているのは分かるけど、難しく考え過ぎ。もうちょっと楽に行きましょ?」
「・・・・・・はい」
 気の無い返事に嘆息。
「ホント、重症ね」
 あー、もうしかたないなぁとか、本当は私がとか、せっかくのチャンスなのにとか。
 しばし独り言にもならぬ独り言で頭を悩ませる。
 最終的に下した結論は
「京。私、欲しいものがあるの。明日一日暇をあげるから、貴女の気分転換も兼ねてお遣い行って来て」
 極上の笑みで告げた。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 受話器の奥からコール音が響く。
 五回目を数えたところで
『はい、神崎です』
「あ、義母(かあ)さん。修司です」
『あら、珍しい。どうしたの?』
「―――あー」
 尋ねられ、改めてどう説明しようか悩んだ。電話する前に考えていた説明で正しいかどうか。
 結局考えていたそのままを伝える。
「ちょっとヘマをやらかしまして帰るのが一日、二日遅れそうです」
『大丈夫なの?』
 一瞬だが義母からの返答が遅れた。―――そんな気がした。
 在りもしない良心が苛む。
 焦りや動揺に似た感情が受話器越しに伝播してくる。
 冷静さを装った義母の態度に、申し訳ないと思う情動を隠すつもりで、苦笑を返す。
「大丈夫ですよ。監視は付いてますが、拘束はされてないですし、制限はありますがそこそこに自由なんで。寝床と飯の心配も無いようです」
『本当に―――大丈夫なのね?』
 念を押す問いかけが心苦しい。
 出来ればこの電話は義父(とう)さんが取って欲しかったなと、そんな後ろ向きな考えが過ぎる。
「本当に大丈夫です」
 義母さんは心配性だなぁと暗に込めて。
 そして少なくとも嘘は付いていない。
『―――』
 一瞬の沈黙の後、
『分かったわ。羽を伸ばす―――訳にはいかないでしょうけどゆっくりして来なさい』
「いえ、それは全力で拒否します」
 心情としてはさっさと帰りたい。
「じゃぁ、また。帰る時間とか詳しい事が分かったら連絡します」
『分かったわ。気を付けてね。お休みなさい』
「はい、お休みなさい」
 相手が通話を切ったのを確認してから、受話器を置く。
 必要以上に心配しなければいいなぁと思う。
 気を揉んでも仕方ない事かと、思考を切り上げ宛てがわれた部屋に戻る。
 とりあえず、布団に横になって寝返りを三度。
 実質、今は軟禁状態だ。露骨ではないにしろ監視も付いている。
 監禁されるよりマシかなぁと無理矢理身の上を納得させる。
 その気になれば抜け出すことも出来るだろうが、少なくとも今はとてもそんな気分にはなれない。
 朝の事もあり、これ以上の問題は養親に迷惑を掛けかねない。―――既に手遅れとう考えがしないでもないが。
 正当防衛が主張できるといいなーと思うのだが、明らかに過剰防衛だ。
 色々と凹む。
 凹む事が多過ぎて何から気に病んでいけばいいのか迷うくらいだ。それに加えて
「明日、なんかやらされるらしいしなー」
 どんな無茶苦茶な無理難題を言われることか。
 気が重い。
 とりあえず、疲れだけはとっておこうと目を閉じた。



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