とりあえずと、言っていいのかどうか。
待ち合わせに指定された場所で立っている。
天気は晴れ。気温は平年並み。
場所は駅前の噴水広場。時間は九時四十五分。人の行き来は雑多で、人混みを嫌う自分としてはあまり楽しい場所では無い。
それでも立場上文句を言うわけにもいかず、かれこれ十分近く今のままだ。
暇潰しがてらに
さすがにこれだけの人混みの中、精度に期待してもいいのかどうか迷う所だが、とりあえず相手の意図が読み切れないことに若干の懸念がある。
単に気配を消すのが上手いだけなのか。本当に居ないのか。居ないのならばなぜ居なくなったのか。
分からないことに頭を悩ませるのは不毛だよなぁと飽き気味に思う。
気持ちを入れ替える様に浅く息を吐いてから、目に映る景色を茫洋に消化していく。
子連れの家族に、サラリーマン。男女のグループに、男所帯のグループ。街頭でチラシを配っている女性。
待ち合わせをしていたらしい男女のアベックがキャッキャウフフと目の前を横切っていくことに軽い苛立ちを覚えるのは身の境遇に不満があるからか。
器の小さい男だと自己分析と共に息を吐く。
右から左へ。左から右へ。奥から手前へ。手前から奥へ。
周りにぶつからないよう気を配って歩く人も居れば、単に障害物としか見ておらず無関心に歩く人も居る。
沢山の人が無秩序と言う秩序に従って忙しなく歩く様は、ここが都会なのだと改めて思い起こされる。
ふと空を見上げる。
その空は狭く、少し煤けて見えた。これが都会の空かと漠然と思う。
果たして人工物だけのこの街で土に還る事は出来るのだろうか。
「黒河、修司君?」
突然の呼びかけにトリップしていた意識を現実に呼び戻す。
視線を正面に向ければ、そこに一人の女性が立って居る。
同年代の異性よりも大人びた表情。だがどこかまだあどけなさが残る。大人になる手前の年頃、十八前後だろうか。少なくとも自分よりも年上であることは確定だ。
身長は自分より目線が三つ分程高い。
長い黒髪を左右分けて団子にして結んでいる。
白いブラウスに赤いフレアスカート。ブラウスの襟元には青いリボンが付いていて派手ではないがしっかりと存在感を出している。
ローカットのブーツは動きやすさを考慮したからか。
だがそんな外見以上にその顔に見覚えがあった。
「―――、」
必死に記憶を探る。そう、確か名前は
「・・・・・・紫藤さん?」
去年、一度だけ。名乗りを上げた時に聞いたきりだ。間違っていたらかなり気まずい。
そんな心配は杞憂に終わったようで、微笑みと共に小さく肯く。
周りに居た男の何人かが視線を奪われたことに、美人もしくは可愛い人なんだなと客観的な評価を加える。
それでいて周りの男から声を掛けられないのは、左肩に担いだ刀袋が異彩を放っているからだろう。一見さんお断り的な雰囲気。
「怪我の具合は?」
「?」
一瞬、本気で意味が分からなかった。多分、間抜け面を曝していることだろう。
「昨日の―――」
言い淀む姿に、ああと納得する。
(そういえば刀が貫通しましたっけ・・・・・・)
しかも貫通した後で、捻りまで加えやがって、あの糞ジジイ。マジ死ぬぞ。
現実問題、その場に居たならシュールな光景ではあっただろう。言葉を選ぶ程度には。
それを優しさと見るか、甘さと見るか。判断の明確な基準が今の自分では不安定過ぎる。
あくまで他人事なスタンスなのは、
(明らかにスイッチ切り替わってましたしねぇ・・・・・・)
人格がと言うより、倫理観の上で。
記憶に多少の混乱が診られるが、何をしでかしたのかは把握できている。
むしろ多重人格とかですっぱり身に覚えがなければ、その方が気は楽かもしれない。
殺人を非とする『呪い』が身の裡にある。
殺さないのではなく殺せない。そういう呪いだ。
その呪いを基底部として思惟思想が肉付けされているに過ぎない。
呪い故に殺せないのであって、それを絶対の非と考えるのかというと、それはまた別の話で、更に言うと道徳意識が高いのかと聞かれれば否だろう。
むしろ一般的な感覚からいうと多分低い。形容動詞のかなりを付け足してもいいくらいに。
コイツは更生の余地が無いと、そう思わずにはいられない程の下衆な人間を多く見過ぎた。
人間の綺麗な面を肯定できない自分は、確実にイカレている。
(本当に、どうしてこう・・・・・・)
自分の人生を一般と比較した場合、壮絶と呼ばれる部類に区分されることは自覚している。
(昨日も死に掛けたし)
それこそ冗談でなく。
だから力が全てとは言わないまでも、そこにどうしても高い比重を置いてしまう。
暴力が卑しい行為だと知っている。
知っていてなお考えを改められない辺り、頭の悪さはピカイチだ。
そして普段なら、気にもしない頭の悪さが気になるということは
(弱ってるんだなぁ・・・・・・)
と客観的に思う。
具体的に何処が、とは考えない様にしよう。自覚してしまえば余計に気落ちしてしまうだろうし。
「あの、やはりまだ傷が?」
「? ああ、大丈夫です、大丈夫。問題なしのバッチグーです。傷一つ残らず綺麗に治療してもらいましたから」
作った笑みで返す。どうも距離感を掴み難い。
去年は敵意バリバリで。今年はその続き、と思いきや
(あ゛ー)
感覚に理性が追いつく。なるほど掴み難いはずだ。
去年暴言を吐いた上に、初対面に近く、年上で、異性で、美人と、それ以上に
(剥いちゃったしなぁ)
その光景を思い出しかけて慌てて消し去る。
物理的に。言い訳の余地無く。乙女の柔肌を陽の下に曝したのは流石に自己嫌悪では済まされない。
かと言って蒸し返していいのかどうか。迷うより早く言葉を発していた。
「紫藤さんの方こそ怪我、大丈夫ですか? 随分、無理をさせてしまったようですけど」
問い掛けに驚き眉が上がり、すぐ下がる。それも安堵の笑み付きで。
「ええ、私も大事ないです」
笑みに付加された感情が解せなかった。
だがすぐに思い至る。自分が得た安堵と混同した錯覚かと。
話を進める。
「それで、今日はどういった用件で?」
形の良い眉が歪む。
「非常に申し訳ないのですが、今日一日私が黒河君を傍で監視する役目になりました」
はぁと気の無い返事を返す。むしろ申し訳ないのはこちらだ。
(本家サマも酷な事をする)
今、その気は全く無いが、犯されかけた相手のすぐ傍で、監視が目的とはいえ一日過ごすというのはかなり精神的に苦痛だろう。それを苦痛と思わない阿婆擦れだったら話は別だが。
そんな特殊な例は横に置いておくとして。
「申し訳ついでに、黒河君は私について来て貰います」
・・・・・・ん?
「何かおかしくありませんか? 普通、監視される側が監視する側に付いて行くなんて」
首輪でも付けて町中を練り歩くつもりか。それどんなプレイだよと胸中でツッコミを入れる。
「ええ、まぁ・・・・・・」
とどうも歯切れの悪い回答が返ってくる。と言うことは彼女も自覚済みか。
何が目的なのだろう?
「ええっと、正直言うと―――お嬢様にお遣いを頼まれていてですね?」
話の腰を折る形で、お嬢様って神藤梢サマ? ええ、その通りですという遣り取りを間に挟む。
「それに貴方を連れて行け、と」
「―――」
わーお、なんか嫌な予感がヒシヒシとしてきましたよ?
なぜか、魔女ルックスのお嬢サマが高笑いをしている姿を想像する。
「それって拒否権は有るんでしょうか?」
「有ると思いますか?」
真顔で返されて少し凹む。
どうしたもんかなと頭を掻く。
従うのも逃げるのもどちらも容易い。もっとも逃げるに関しては恐らくという予測でだが。
後はどちらが後腐れなく、それでいて損得に適っているかだ。
となれば結論は早い段階で決まる。
「―――それで、何を買って来いと?」
「いいんですか?」
多少驚きを含んだ声が返ってくる。
「拒否権は無いんですよね?」
と改めて問う。
「そうなのですが・・・・・・」
そう言ってまた言葉を濁す。
戦闘では思い切りがいいのになぜこんなに?
紫藤さんは観念したように息を吐く。
「素直に同行してくれるとは思っていませんでしたので」
どういう風にヒトを評価しているのかは問いませんし、気にしませんがと前置きをして
「そんなに偏屈人間に見えますか?」
拗ねているとも見える問いに対し僅かな逡巡の後、
「えっと、少し、見える―――かな?」
控え目な感想が返ってくる。
なんだかなぁと思う気持ちから目を逸らすように空を仰ぐ。
その空はやはり煤けて見えた。