EX3-22

 一組の男女が肩を並べる様に雑踏を歩いていく。
 二人とも若く、顔つきから学生という身分が簡単に想像できる。
 少年に比べ少女の方が背は高く、幾らか年上に見える。また肩を並べると言ってもそこに多少の高低差がある。
 時折、思い出したように言葉を交わす二人だが、その間にある空気は硬く、ぎこちない。
 それはつまり気安いから沈黙を苦にしない為に言葉が少ない訳ではなく、単に会話が続かないことを意味する。
 そしてその状況は少年が苦とする状況でもあった。
 それは一般的に緊張と呼ばれる情動なのだが、いかんせん少年は熱心さに欠けていた。
 なんとかならんかなぁと他力本願も甚だしい。

 横に立って肩を並べる必要は無く前に出るか、もしくは後ろに付けば多少は状況の改善も見込めるのだが監視する者と、監視される者という別の状況が話をややこしくする。
 もう少し付け加えるなら監視される側の方が、監視する側より様々な面において技量が高い。当然、逃走もそれに含まれる。いくら気配で相手を追っていようと、それが目視に勝ることは早々無いので後ろに付かせることを監視する側が嫌う。
 ならば前を歩かせればいいのだが目的の場所を知っているのが監視する側なので監視される側が前を歩くことも出来ない。(正確に言えば出来なくはないが、雑踏の中で相手へ方向に指示を出しながら歩くのは周囲の目等、色々問題が有る。)
 故に仲が良い訳でも無いのに無言で肩を並べて歩く羽目になる。
 お互いに、互いが限りなく他人に近く、その近過ぎる距離が不自然なことは自覚している。
 都会特有の広い歩道とは言え、なるべく周囲の歩行を邪魔しない様に、必要以上に横に広がらずに歩く。そうすると自然、距離は縮まる訳で。

 少女が歩くたびに揺れる髪が少年の腕や背に当たる。
 落ち着かないと思う少年の心は、トキメキよりも戸惑いの方が大きい。
 思春期特有の異性に対する感覚からは些か外れている。
 美人で綺麗なおねーサンが隣に居たら、普通はテンションが上がったりするのだろうかと、冷静に思考を重ねるあたり少年の病根は中々に根深い。
 いっそ開き直って腕でも組んでみようかと自棄っぽく思うが、それを実行に移せるほどの度量は残念ながら無い。むしろ下手な事をすると抜刀されかねない。
 何の因果かと諦め気味に思うのは相手に対して失礼だろう。
 そう思い、この状況を無理矢理に納得いく形で言葉に当てはめようとして気付く。
 ああ、これは所謂
「デートってやつ?」
 隣を歩く少女の足がピタリと止まる。
 それに釣られるように足を止めた。
 周囲は二人を障害物とみなし何事も無く避けて進んでいく。
 少女の顔がみるみる赤く染まり、慌てたように言葉を作る。
「え? あ、そ? な!?」
 手を振ったり勢い余って抜刀しかけたりと奇行に走るので
「テンパり過ぎです、紫藤さん。落ち着いて下さい」
 こういう時、焦ったら負けかなと少年は常々思っている。
 しばらくして歩みを再開させるも無言。
 横目で窺い見る少女の顔はまだ赤い。
 目的地に着くまでの間、発言には一層気をつけようと少年は無表情のまま思うのだった。



 ◇ ◆ ◇ ◆

「ここが目的地です」
 そう言って立ち止まったのは集合場所から徒歩で十分位の大型商業施設だった。
 都市部に在る為、1フロア当たりの面積は郊外店に比べれば劣るが、地上八階建ての商業施設は数百ものテナントが入った複合商業施設でもある。
 大本は国内でも有数の財閥だが、商社だかが出資した大規模レジャー施設で好調かつ堅調な客足の伸びから同型のコンセプトの店を他地域にも出店させる予定―――
(とか朝のニュースで言ってたっけ)
 わざわざ朝の忙しい時間に茶の間に届けるようなニュースかとも思ったが、それだけ平和な事なのだろうと納得したのを思い出す。
 ついでに生涯縁の無さそうな場所だとも思ったが、思いの外訪れる機会が巡ってきた。
 ただその縁に感謝するかどうかはまた別の話で。
 入り口から見える店内は情報通りの賑いを見せ、その人の多さに早くも辟易する。

「―――それで何を買うのが目的なのでしょう?」
 さっさと目的を達成させてオサラバしたい所だ。
「さぁ? 私も詳しくは。着いてからコレの中身を確認するように言われましたので」
 そう言って四つ折りにされた紙を見せる。
「何が書かれているんです?」
「少し待ってください・・・・・・」
 そう言って紙を開き、中身を確認した瞬間、目にも停まらぬ速度で折り畳まれる。
「? どうしたんですか?」
 問いに、焦り作った笑みを見せる。
「も、もう少し―――いえ、確認を取りますので待ってください」
 後ろを向いてからもの凄いスピードで携帯を操作する。ミシミシと音が聞こえてきそうな力加減に不安を覚える。
 そうとう焦っているのか、視界から監視対象が外れていることも気にならない様子だ。
「!? お嬢様!! これは一体―――」
 電話の相手はどうやらお遣いを頼んだ張本人らしい。
「いえ、ですが、これは!!」
 ちらりと振り返ってこちらを一瞥する。
「ですから!! 何度も申し上げた通りそういうのでは無くてですね―――」
 盗み聞きするのも野暮かなと思い、話の内容は拾わない様に気を散らしていたが、話の雲行きがどうも怪しい。
「あ、はい。それは―――。お気遣いには感謝しますが・・・・・・」
 しかもどんどん勢いが尻すぼみになっていく。
 そして最終的には分かりましたと、意気消沈した声で通話を終える。
 どうやら論破されたらしい。
 なんだかとてつもなく嫌な予感がする。
 そう、養母が何かを思い付いた時に感じる、戦闘で感じるのとはまた違った碌でもない予感だ。
 据わった目で少女が乱暴に告げる。
「八階へ行きます。付いて来てください」



 ◇ ◆ ◇ ◆

 目の前に色取り取りの生地が広がる。
「―――」
 薄いピンクやブルー、グリーンなど。
 そうかと思えばポップな色をストライプに分けた物や、真っ黒だったり真っ赤だったりする物もある。
「―――」
 レースやフリルが付いた物からシンプルな物まで。
 サイズも豊富なようで大小様々な物がある。
(誰だ? 『大きなサイズは可愛いのがなかなか無くて・・・・・・』なんて要らん知識を仕入れた奴)
 外部記憶領域からもたらされた知識にゲンナリする。
 表面がつるりとしたマネキンが精一杯扇情的なポーズで客の目を引く。
 それを見る客もそれを平然と受け止めていた。
 中身が人形なのでそれも当然だが、同性と言うのが一番の理由だろう。
 一人居た堪れなさに苛まれる。
 つまり何が言いたいのかというと。ここは要するに『らんじぇりーしょっぷ』と言うやつなのである。
 別に法に触れたりはしないが、不文律として男子禁制の場所だ。少なくとも黒河修司、当人はそう思っている。
「帰りたい」
 呟いた言葉に泣くかもしれないと割と本気で思う。泣かないけど。
 このフロア全体がそういう店を集めた階だと知ったのは分け入ってしばらくしてからだ。途中、間違って上がってきたであろう男性客がそそくさと去っていく光景を目にした。できるなら一緒にフェードアウトしたい。
 それでも男が居ない訳ではない。圧倒的に少数だが。
 その少数の男だって小児か、彼女と思しき異性と連れだって居る訳で、それが最終防衛線となる。
 中学生男子はこの階に自分一人だけなのではないかと、恐ろしい想像が頭を過ぎる。
 激しく不本意だが、変態のレッテルを張られてもこれでは反論できない。
 本気で、お嬢サマの嫌がらせな気がしてならない。
「・・・・・・」
 なにも考えない様にしよう、そうしよう。
 俗に言う心を空っぽにとか無心でと言うやつである。
 心の健康は大切です。大事です。例えそれが現実逃避と蔑まれようとも。
 方針を決定したそばから、若干引き気味な声がかかる。
「あ、あの黒河君? どこを見ているんですか?」
「・・・・・・青少年には刺激が強すぎるのでなるべく視界に入らない様に心掛けているのデス」
「はぁ」
 不理解の相槌に、お願いですからそこは理解しないまでも察して下さいと心の中で願う。
「所で黒河君」
「ハイ、ナンデショウ?」
「女性の下着はどういった種類が好みですか?」
「―――」
 危険極まりない質問に危うく吹く所だったのを何とか無表情でやり過ごす。
 じゃぁ内心も無感動でやり過ごせたかと言えば
(難易度高ぇぇぇ!?)
 なにその質問!? どう答えても地雷踏みそうな気がするのですがッ!?
 つーか何コレ? 新手のプレイ? 恥辱系?
 意識が、遠く宇宙の彼方まで飛んで行きそうになるのを強引に留めた。
「・・・・・・すみません。質問の意図が理解出来かねるのですが」
「ええ、意図も何も、そのままの意味です」
 と真顔で言い切る。
「―――」
 せめて発言の内容を吟味した上でリアクションを期待したのだが無駄に終わる。
(超・絶・敗北気分!! ―――このヒトもっと正面(まとも)な感性の持ち主だと期待してたんだけどなぁ)
 いやしかし
(あのお家で育ったんだもんなぁ。じゃぁ、しょがないか)
 という結論に達する。つまり
「可愛そうに・・・・・・」
「か、勝手に不憫に思わないでください!!」
「えー」
「何ですか、その不満な声は」
「いえ、だってですねぇ・・・・・・」
 一度言葉を切り、適切な単語を脳内語彙の中から取捨選択する。
「有体に言って痴女、ですよ?」
「え?」
「うわ!? 今、素で返した!?」
「え? だって・・・・・・」
「だって?」
 言葉の続きが気になり問い返す。
「・・・・・・」
 パクパクと音の無いまま数秒。
 再び携帯電話を取り出し、後ろを向いてから高速で電話を掛ける。
 相手は恐らく
「お嬢様!! これは一体どういう御心算(おつもり)ですか!?」
 うわぁ、既視感(デ・ジャヴ)と暢気に電話が終わるのを待つ。大方、終わりは予測できた。
「で・す・か・ら、何度も申し上げますがそう言ったのでは無くてですね!?」
 かなりご立腹の様子だが、いかんせん押しが弱い。
「あ、いえ・・・・・・。それは確かに。しかし―――」
 やはり勢いが尻すぼみになっていく。
 最後には分かりましたと言って通話を切る。
 携帯をポケットに仕舞ってから盛大に溜息吐く様子を見て、家のお姫様は我儘じゃなくて本当に良かったと改めて思う、切実に。
 気を取り直すように咳払いをして
「黒河君、失礼しました。先程の質問は忘れて下さい」
 顔が少し赤いのが苦笑を誘うが、藪蛇になりかねないので指摘するのは控える。
「えっと、それでですね? 改めて聞きたいのですが」
「はぁ、何でしょう?」

「その、女性の下着は、どういった種類が―――好みですか?」

「―――」
「・・・・・・」
 沈黙が場を支配する。
 自分の聞き間違いか、脳の異常を疑う羽目になった。もしくは下らない妄想か。
 残念ながらチェック項目は全て否定(ネガティブ)を返す。
「質問がさっきと同じなんですけどっ!?」
 ツッコミの衝動を抑えきれないとは、俺もまだまだ若いな。
 顔を一層赤くして答えるのは
「ち、違うんです!! 何が違うかと聞かれても答え難いのですが、敢えて言うなら―――そう、心持です!! 心持ち!!」
「いや、もう本気で意味不明なんですけど・・・・・・」
「察して下さい!!」
「無茶言うな!!」
 やべ、敬語忘れた。
(もう、いいか・・・・・・)
 年上は基本的に敬うべきだとそう思っているが、何事にも例外はある。ああ、でも努力は忘れない様にしよう。そうしよう。
 嘆息してから尋ねる。
「まずはその目的を教えてください」
「目的は―――黒河君の好みの把握です、女性用の下着の」
「それだけ聞くとすごく犯罪臭がして気が滅入るのですがとりあえず無視します。―――なぜ、ワタクシの好みを知る必要があるのですか?」
 しかも女性用下着の。
「お嬢様に調べるよう指示されましたので」
 冷静さが戻って来たのか紫藤さんの口調から焦りが消える。
「そもそも、なぜ調べる必要があるのですか」
「それは、お嬢様から黒河君好みの下着を買ってくるように言われたから―――で、す?」
 一問一答を重ねるうちにおかしな点に至ってくれたのか疑問符が付く。
「ちなみにソレは何に利用されるのでしょう?」
「さぁ? そこまでは・・・・・・」
 大丈夫か? 御付きの人。
「―――」
「・・・・・・」
「疑問とか色々浮かびません?」
「はい、本当に今更ですが」
「どーします?」
 問いに口を閉じて俯く。
 黒髪が肩口へ流れるのを気にも留めず、黙考し、再び上げた顔は毅然とした表情をしていた。
「お嬢様たっての願いです。必ず遂行します」
「さっきの会話の流れでどうしてヤル気を出すんですか・・・・・・」
 呆れた調子で呟く。
「つーか、マジですか?」
「『本気』でという意味でならマジです」
 答えに参ったなぁと表情を曇らせる。
(硬派を気取りたい黒河君としては、エロ関連のイベントは無視したい所なんですけどねー)
 どうしたもんかと。

 現実問題として、昨日の一件の前と後で倫理観に微妙なズレが出ている。
 普段の禁欲的な生活は、どちらかと言えば自堕落からの産物だ。
 欲する事が面倒臭い。
 それなのに昨日は攻撃性(デストルドー)性欲動(リビドー)が強化されていた。
 ある程度はヒトとして必要不可欠なものだ。だが多過ぎれば害にしかならないのは薬と同じ。
 現状、張りぼての倫理観だとイドやエスに対してのブレーキが弱く
(間違い・・・・・・起こすかなぁ?)
 基本、黒河修司は自分という存在を信用していない。だが自主的な主体性が万年欠乏気味のヘタレである点については例外的に信頼している。
 とはいえ
(俺も一応男の子ですしねー)
 そんな訳でなるべく危険な橋は避けて通りたい。
 攻撃性と性欲動に対しての刺激は特に、だ。
(君子は危うきに近寄らずとも言いますし)
 単に女性の下着を見るだけで盛ったりはしない程度の自制心はある(と思う)が、身近に異性を意識させる存在がいるのはマズイ―――気がする。
(どーしよ?)
 そもそも悩んでいる時点で期待している自分がいるのではないだろうかと自問してみる。
(・・・・・・)
 無言による雄弁な答えにヘタレとムッツリの二重苦は人生設計を見直した方が良いかもしれないとかなり本気で思う。
 三重苦じゃないだけマシだろうかと、悩んでいたらなんだか悲しくなってきた。
(しょっぱいなぁ・・・・・・)
 まぁ固辞した方が無難だろう。養親に迷惑は掛かるかもしれないが、間違いを犯した方がより問題は大きくなる。
(つーか、―――かかるのか?)
 至極真っ当な疑問。
 いくらお嬢サマの命令とは言え、その内容はかなり変態ちっくだ。それで罰せられるならこの一族のイカレっぷりは相当だ。―――いや、既に相当イカレているという話は有るにせよ。
 不幸中の幸いは目の前に居る人は話が通じる人だという事だろうか。
(・・・・・・通じる、のか?)
 アレ? ちょっぴり不安になってきた。  マジでこの家、予想の斜め上をいく人間の集まりだからなぁと冷や汗交じりで思う。
 さらなる不安要素は
(俺自身かッ!?)
 過去の事例を振り返ってみての経験則は

 1.嫌な予想ほど良く当たる。
 2.人生大体不幸。
 3.ついでに不可避。

 途方も無い絶望感に挫けそうになる。
 それでもと、望みを賭けた説得に当たる。
「この件に関しては辞退させて頂きたいのですが」
「何故です?」
「いくらなんでも社会的整合性に反するでしょう?」
 自分の表情が消えていくのが分かる。
「お嬢様の命令とは言え、年頃の男女がすることじゃない」
 うん、自分で言って凄く正論だと思う、自画自賛とかでは無く。
(状況は果てしなく馬鹿っぽいけど)
「かもしれませんが、お嬢様の身に危険が及ばない限りその命を第一義にするよう教育されています」
 手強い。と言うかなぜにそんなに強気なのでしょうか。あとそれ多分、世間一般では教育じゃなくて洗脳って言います。
「そもそも―――」
 そう言って一度言葉を切る。それから上目遣いで
「ヒトの事を剥いた上で、感想を述べた君が言う科白ですか」
「―――」
 嫌な汗が流れると同時に逃避に近い思考が高速で流れる。
 自分より背の低い相手に上目遣いって意味あるんだろうかどうだろうかでもでも破壊力抜群ですよね特に発言内容に関していやぁ参ったなあはははここは快男児として凛とした態度で言い訳に臨む所存であります異議ありこの悪党は自分の仕出かした行いに対して反省の色が見て取れません弁護側は死刑を求刑致しますお代官様幾ら何でもそれは余りに酷すぎますここは懲役8年で如何でしょうええい鎮まれこのお方をどなたと心得る水戸の納豆はネバネバであるぞえーうそーネバネバしない納豆なんかただの甘納豆じゃんテメェ甘納豆様を莫迦にしやがったなかくなる上は打ち首獄門ちなみに獄門って晒し首ってことね首を刎ねた上で曝すんなんて超野蛮って感じでありますれば銃殺刑など如何で御座いましょうつーか死ぬの確定か確定なのかてか何この脳内寸劇落ち着け自分。

「ああ、えーと。―――その節は大変ご迷惑をお掛けいたしました」
 視線が泳いで、相手の顔を直視できない。ついでにその時の光景を思い出して非常に気まずい。柔肌とか肌の色とか膨らみとか。こういう場所であるから尚更に。
「―――」
 詰んだ。
 それからしばらく。大人しく連行される姿の少年が居たとか。



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