EX3-25

 唐突だがこの建物は解放感を得る為に一階から八階までが上下に吹き抜け構造になっている。
 自然光を取り入れやすくというのも理由の一つだし、空気の流動はやはり息苦しさを緩和させる。
 それ故に
「―――」
 頭のネジが二、三本外れている人間は、今が緊急事態だと思えば階段やエスカレーターなどは使わない。それらを使えば死角が増えるというのも理由の一つだ。
 急ぐのならば力場(フィールド)で身体を強化し、飛び降りる方が手っ取り早い。
「・・・・・・」
 通常なら危険落下防止の為のセーフティネットが力場で組まれているが、それを強引にぶち破る。
 そしてその身は一瞬で四階分を下った。
 すぐさま索敵を行う。
 近く、小型の妖物がこちらに気付き襲い掛かってくるのを
「―――」
 震脚にて影を踏み、その中から宙に舞いあがった柄を掴み取る。そして
「風よ、剣たれ」
 空気が凝縮し、不可視の刃を構築する。
 その刃の出来を確認することなく過ぎ去り際に振るい、黒い猫位の大きさの妖物を両断。
 さらに三度、刃を振るい計八等分にまで分断。最後に右手に集めていた力場を掌弾として放ち完全に滅する。
 再生する気配の無い事を確認し、目星を付けた場所へと向かう。
 途中、血にまみれた人型だった何かをいくつも目にする。
 一部が欠損したソレは正しく人型『だった』。
 力場検索(フィールド・サーチ)で完全に事切れていることを確認しながら目的地へと進んでいく。
 そこへ近付けば近付くほど、妖物との会敵の回数が上がっていく。
 ある種、当然と言えば当然だが
「―――」
 おかしいと、そう思う位には理性が残っている。数が余りに多い。異常だ。
 しかしそれ以上に闘争への愉悦が上回っている。
(血の臭いに酔ったか?)
 抑えろと厳命下す理性とは裏腹に、思考が戦闘用に調整(チューン)されていく。
 特に凄惨さを意識している訳でも無いのに死体を見て、半端に生きていなくて良かったと安堵を得る辺りヒトとして最低の部類だろう。
 救護の必要が無い。
 その方が単純な計算として効率的だからだ。
 人間として必要な倫理観が破綻している。
 効率と能率。機械的な思考。
 先を急ぐのは決して事態の収拾を思ってでは無い。
 先に進めば進むほど妖物の数は増える。それは力を振るう機会が増えるのと同意だ。
 ただ暴力に傾倒している。
 それがよろしくない状態だという自覚はあれど、さりとて停めるほどの理力は無い。要するに
(箍が外れてんな・・・・・・)
 困る様な気はする。だが本気でそう思えない。
 このまま狂気に浸るのも悪くは無いのではないかと、そんな退廃的な思考が芽生えもする。
 何が最善で、何が最良なのか。
 思考した結果は紫藤さんを護りに就かせ、自分が原因を探るという一見すれば理に適っているようでいて、よく考えればおかしな話だ。
 悪くは無い。ただそれが最良なのかと問えば否だ。
 原因を探ることは確かに重要だ。だがそれよりも人命救護を優先させるべきだ。―――本来なら。
 それを実行に移さなかったのは己の精神状態に由来する。
 ヒトの命を限りなく軽視している。ヒトの命よりも、力を振るうことを重視している。
 助けながらでは効率は落ちる。
 そんな奴を護りに就かせた所で何が出来るというのだろうか。
 縦しんば護れたとして、穴の開いた護りに。後に非難を浴びるのは目で見るより明らかだ。
 自ら動くことをせず、けれど与えられたものに対して文句を言う事だけは精力的に(こな)す。
 そういう人間が
「―――」
 四匹の妖物を一瞬の内に斬り伏せる。
 瞬間的に脳裏を過ぎった憎悪は、しかし機械の思考に霧散する。
 血による禊が出来ない以上、再生が不可能な状態まで滅するしかない。手間がかかる分能率は落ちるが、必要な事だと割り切っていく。
 一般人にとっては凶暴に映る牙や爪も、化け物認定されるレベルの人間からすれば低級な妖物なら一人でも十把一絡げで対処できる。
 中級になると禊が出来ないと時間は掛かるが何とでもなる。問題は上級に分類される妖物だ。こんな所には居ないと思いたい。森の中でも滅多にお目にかかることは無いのだから。

 だから渦中に向かうことにした。
 護る意志は無く、暴力に酔う獣以下の、それなのに彼女より強い。
(世の中間違ってる)
 強い心を持つヒトが、正しく強ければ良いのに。
 そう思う心は傲慢以外の何物でもない。
 そしてそれが間違った人間が思考した最善。
 最良を是とせず、犠牲に目を瞑った自分の為の最善。
「―――」
 物陰から飛び掛かってくる妖物を避けて斬り、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を開く。



 ◇ ◆ ◇ ◆

 悲鳴と怒声。泣き声。血の臭い。死の気配。
 それを背後に感じながら大扉の前で血による結界を発動させる。
 その上で
「ハァァァ!!」
 大上段からの斬撃で大扉を破壊する。
 力場で威を飛ばし、残った破片や土煙を吹き飛ばす。
 これで退路の確保が出来たことに一瞬だけ安堵を許す。荷物になるのを承知で愛刀を持ってきていて良かったな、とも。

 建築物内部で妖物が確認できた場合、それを外部に漏らさない為に、警報音と共に出入り口は閉ざされてしまうのが常だ。
 その常に漏れず、この建物も出入り口を閉ざしてしまっていた。
 その状況を打破する為には対妖物の関係者の手が必要になる。
 妖物だけを通さない別の結界を内部に敷けば、後は出入り口を開いても問題は無い。
 普通なら解除用の端末が近くにあるはずだが急ぎだったので、物理的に破壊させてもらった。

 あるヒトは言う。非人道的だと。中に残っている人を見殺しにするのかと。
 またあるヒトは言う。人道を通すためにまた違う人を殺めるのを良しとするのかと。
 少なくとも自分は他人に人道を説いて回れるほどの信条を持っていない。
 結局その論は後者が支持されることで決着した。
 一ヵ所に留めた方が被害が少ない事が統計の元、数字として示されたからだ。
 単純な死傷者の数のみならず、社会不安や人口の流出。それらに伴う経済の停滞。駆除を行うための人員と時間と資金。
 そう言った副次的な被害も―――毎回では無いにしろ―――無視出来ない規模になる場合があった。
 そして結論に至るまでの被害とその遺族の声は、今もまだ燻っていると聞く。
 その頃の時代を伝え聞くだけの身としては、想像以上の何かを生み出せない。
 今回の事件もまた火種として伝えられる事になるだろう。

 出入り口が開いたことに気付いた人達が殺到する。
 こういった場合を想定し、義務教育で避難の仕方を教えられはする。
 しかし生死のかかった状態で冷静に対処できるほどヒトの心は強くない。
 我先にと群がる人達を一人で御することは到底出来ない。その混乱の中で押され、躓き、倒れ、踏み殺される人も居るだろう。
 なんとか助けたいという思いは、しかし獣の咆哮に掻き消された。
 人の流れに釣られる様にして妖物もまた集まってくる。
 それに慄く人達が混乱を加速させる。
 そんな光景を見ながら少しでも被害を減らすのが自分の役目だと再認識する。
 事前に携帯電話で応援は呼んである。
 あとは如何に上手く立ち回れるか。
 全てを助けたいと願う気持ちとは裏腹に、そこまでの力が自分には足りない事は分かっている。

 だから、それでも、せめて。

「―――」
 雑念を払い、力場を収束させる。
 まずは数を減らす。
 近い場所から逐次殲滅。手間がかかる大物は後回しとする。
「征きます」
 それに応える相手は自分自身だ。
 頷き、それを起点として駆け抜ける。
 斬り伏せ、浄化し、また倒す。一連の動作中にふと過ぎった一抹の不安は
(黒河君は大丈夫でしょうか?)
 確かめる術は無く、今はまだ敵の殲滅に注力せねばならなかった。



  ◇ ◆ ◇ ◆

 油断無く扉を潜る。
 内装には一切手を加えておらず、コンクリートが剥き出しで、トラックと段ボールが大量に目に映るこのスペースはどうやら搬入口を兼ねた倉庫らしい。
 照明は最低限で薄暗い。
 作業には不向きだとも思うが経費節約か、もしくはなんらかの電源トラブルが起こっているのかもしれない。
「―――」
 慣れるほどに嗅いだ事のある血の匂いに、顔を顰めるでもなく用心深く足を進める。
 ここは相手の敷地だと。そう錯覚するほどに強烈な殺気が肌に纏わりつく。
 知性の低い獣では発しようの無いソレは
(藪蛇だったか)
 後悔先に立たず。後の祭り。覆水盆に返らず。
(えーっと、他には・・・・・・)
 わざと無関係なことを考え、思考に余裕を持たせる。
 不謹慎で不真面目なくらいが自分には丁度良い。
 難しいことを考える機会は時々あれば十分だ。いつもそんな調子では禿てしまう。それは中々に嫌だ。
「―――」
 行き止まりへ。
 誘い込まれた心算はない。ただうず高く積まれた段ボールが死角を増やしていた。
 そんな中で一点、地面に見つけた黒い染みに近付く。
 それは黒い染みを中心として、地面に陥没を起こし腐臭を漂わせていた。
 材質はコンクリートであるはずにも関わらず、だ。
 生理的嫌悪感から碌でも無いものだろうと推測する。
(術式、なのか?)
 コンクリートだけであるなら腐臭など漂いはしない。腐る過程を経ずに風化する。
 ならば別の何かが混じっていると見るべきだ。そう腐る様な何かが。
 中心の黒い染みに触れてみようという気は一切起きない。
 魔法では無い。魔術でも無い。それなら神術の一種だろうとは思うが
(いくらなんでも禍々し過ぎるだろ・・・・・・)
 外法の類か。だとすれば今回の騒ぎも一応の説明がつく。しかし肝心のコレが何なのかが自分には分からない。
 その一方でコレが確実に今回の騒ぎに関係している事だけは疑う余地がない。
 むしろこんな禍々しいモノが無関係であることを証明する方が困難だ。
 今出来る検分はこの位かと、意識を切り上げた所でもう一つ気になる物を地面に見つけた。
 近くにあったソレに指紋を付けないようにハンカチを間に挟んで掴みあげる。
「―――注射器?」
 中途半端に使用された後。シリンダーの中にまだ液体が残っている。
 シャブか、何かだろうか? 後で調べてもらえば分かるという思いとは別に、残った液体の色が黒いことに先程の染みに視線を移す。
 同じ黒。
 だからどうしたと冷静な部分は返す。例え関係があったとしてその因果関係を(つまび)らかにするには絶対的な情報が不足している。
「ッ!?」
 不意に流れ込む断片的な情報。
 乱暴に圧縮された情報片。それは硝子の欠片を脳に直接差し込まれるに等しい。
 仮想の激痛に意識を失いかける。
 その痛みに慣れることはなく、慣れたいとも思わない。
 そしてその情報片にさらに別の情報を混ぜ込んでくる。
 自我を、溶かし消し、侵蝕し別存在に書き換えようとプログラムが奔る。
「―――ッ、ざけんな!!」
 乗っ取られてなるものか。
 唇を噛み切り、血の味でノイズを発生させ、壁に頭突きをかます。
 鈍い音が響く。
 痛い。当たり前だ。だがその痛みこそが現実だ。
「ッ―――」
 侵蝕してくるプログラムを強制停止、排除。
 バックアップデータを元に書き換えられた部分にマーカーを入れる。
 復元可能な部分は復元し、それが不可能な変革部分についてはこれ以上の影響を及ぼさないよう周辺を含め凍結処理を施す。
「あ、ぐッ・・・・・・」
 喘ぐように息を吸う。激痛により止まっていた呼吸を正常に戻すべく全精力を傾ける。
 気付けば両手と両膝で体を支えていた。
「唐突、過ぎんだよ」
 悪態が、果たして届く相手は居るのか。
 呼吸が落ち着くのを待ってから立ち上がる。
 気分は最悪だが、そうも言っていられそうにない。
 情報片から得た知識。それはその名の通り断片でしかない。
 それでも
「そんな姿になってまで願うことなんて―――叶えられることなんてあるのかよ?」
 背後に放った問い掛け。それに応えるのはグから始まる獣の低い唸り声。
 二足歩行可能な黒い獣が立っていた。
 全身が黒い毛に覆われた二メートルを超す巨体。
 顎に並ぶのは鋭利な牙。そして馴染みのある赤い瞳。
 上位の妖物だ。
 それが勢いをつけて突進してくる。
 纏まらない思考のまま戦闘に突入する。



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