温めるだけですぐに食べられるよう準備された食事。
春と言えど朝晩はまだ寒い日もあるわけで。
「シチューは有りだなぁ」
しみじみと呟きながら湯気の立つ鍋を、お玉で軽く掻き混ぜる。ビーフよりクリームの方が焦げやすいんだよなぁと。
食欲をそそる匂いに普段は意識しない空腹を覚える。
養親は二人揃って出かけている。
町内会での話し合いや折衝や報告や。曰く『面倒』な事らしい。
遅くなるのは分かっているからの作り置きと、待たず先に食べてくれと言われている。
用事が無ければ、立場的に率先して食事当番を引き受けるようにしていた。
二人とも中学生らしく部活に精を出すようで、それなら部活に入る予定の無い自分が。まぁこの位なら負担にもならないしと軽く考えている。
鍋を掻き混ぜながら、政治の話は本当に面倒だよなぁと昔の経験をぼんやり思い出す。
「・・・・・・」
思い出す途中でムカムカしてきたので鍋に集中。
十分に温まったのを確認し、火を止める。
「ご飯出来たよー」
廊下に出てそれぞれの部屋に向かって叫ぶ。
「「はーい」」
見事にハモった声が返ってくる。
「お腹すいたー」
「いい匂いだね」
桜、雪の順で感想。
「手、洗っておいで」
なぜか顔を見合わせて小さく笑われてしまった。
「な、なに?」
何故か毎回笑われる。衛生面を配慮しているだけなのに。
桜はまだ笑っているので雪が答える。
「なんか『おかーさん』みたいだったから」
答えを聞き半分拗ねた気持ちになる。
「へいへい」
「褒めてるって」
そんな笑った目で言われても嬉しくない。
溜息を堪えて
「とにかく飯にしよう」
◇ ◆ ◇ ◆
「あ、そういえばさ?」
夕餉も程々に進んだところで唐突に話題を口にする。
「昨日話してた、桜の樹の幽霊なんだけど」
「何か分かったんですか?」
興味を持っていたのかすぐに二人の顔がこちらに向く。
「うん。と言っても噂程度でしかないけど」
そう前置きをしてから、今日の仕入れた情報を伝える。
「―――ということらしい」
話を終えると桜はへー、と相槌を打つ一方で、雪は戸惑った表情を見せる。
「どうしたの?」
「あ、いえ、ちょっと気になることがあって」
「どんなこと?」
「多分、私の勘違いだと思うから気にしないで」
見間違いかも知れませんしと小声で付け足す雪に
「何々、お姉ちゃん? 気になる、気になる!!」
えーっと、と視線を彷徨わせる雪に精神的退路を塞ぐために追い込みを掛ける。
「俺も気になるなー」
俺の場合、桜と違い純粋に好奇心として気になっている訳ではないんだよなと胸の内を探る。
雪が気になると言ったソレは。果たして善性のモノなのか否か。
もしそれが悪性のモノであった場合、早目に手を打つ必要がある。むしろ『雪』が『瞳』で見たものが『気になる』と言った段階で半分以上、自分の中で結論が出てしまっている。
後で後悔しないように。
後悔は常に後からしか付いて来ないと分かった上で、それでもと。
杞憂ならそれでいい。ただ恩人に降りかかるかもしれない火の粉を排除したいだけだ。
「―――男の人」
「え?」
「男の人が見えた気がするんです。でもシュウちゃんの話だと女の人じゃないと変ですし」
やっぱり見間違いですよねと笑って見せる。
「それに」
「それに?」
雪が迷う様に選んだ続きの言葉に確信を強くする。
―――ちょっと怖い感じがしましたから。
◇ ◆ ◇ ◆
「まぁ、それなら近付かないほうがいいね」
「そ、そうですね。おばけ怖いですし」
そんなほのぼの会話をしてこの話題はお仕舞になった。
続いたのは勉強や、新しい友達の話を聞き役に徹する。
後味の悪さを残すことなく夕食を終えて、時間を潰し、養親たちが帰宅し、軽く修練を行い、風呂に入って就寝。
それで一日が無事終わる。
日付が変わる直前。
トイレに行くふりをして家人の様子を、目と音と気配で窺う。
下手に
雪と桜は寝ているのか部屋の明かりが消えている。
養親たちの部屋の明かりは点いていたが、この時間から自分の部屋に来ることはまずないだろう。
自室に戻り、明りを消して数分。夜目に慣れた所で動き出す。
事前に部屋へ上げておいた下履きを手に持って窓から庭へ。
空を見上げると、細い弧を描く月が見えた。
もう少しで新月かと、この
(夜遊びか?)
庭に降りたのを察知した使い魔から念話が届く。
(ちょっと忘れ物を取りに学校へ)
嘘吐きめと、嘆息にも似た言葉にならない念が送られてくる。
(その道具は―――退魔か?)
(そ。ちょっと気になることがあってね)
(マスター・・・・・・)
呆れた調子で念話を続ける。
(足を突っ込むのはいいが、お勧めせんぞ。特にマスターのような人間は)
(まぁ、そこは―――しょうがないじゃん?)
別に面倒事は嫌いなのだし。闇雲に突っ込んでいるつもりはない。恩人が係わるかもしれない事だけに極力限定している。
だからしょうがないと、そう思う。
自主性や主体性を求められても困るのだ。
世界を救うとか、困っている人をとか。どうにもそういう方面に向ける熱意が慢性的かつ絶望的に枯渇している。
ある意味、恩人が係わっているかどうかが最後の一線と言えるのかもしれない。
「そもそもそんな胡散臭い道具が当てになるのか?」
首輪を外し、いつの間にか近づいて来ていた使い魔が喋る。
その意識は影の中ですぐに取り出せるよう準備していた道具―――いわゆる、聖水―――に向いていた。
「どうなんだろ?」
教会で売られている
実際に使ったことは無い。成分としては不純物の含有量が極めて低い(無い訳では無い)というだけの水か、もしくは塩水。
民間信仰の類、という認識だ。
それでも教会では堂々と売られていて、そして買われていくのは割と不思議でシュール。
まぁ、家でもお守りを売っているので似たようなものか。
「神様も金が無かったらやっていけないのは、世知辛いよね?」
「単純に信仰と権威の問題であろう?」
いかにも、な所の方が御利益は高そうに見えてしまうのはしょうがない事だ。そして悲しいかな、見栄えがいいほうに人は集まりやすい。
「むしろ問題は俺の信仰値の低さだよなぁ」
教会で売られているあれこれの効能の高さは信仰の高さに依存する、らしい。
効能が高いと言われる物は高価な物が多い訳で。
つまり、『高い信仰』≒『寄付金の多さ』という等式が成り立つ。
それを有り難がる心理を理解できるような、したくないような。
もし信仰という隠しステータスが数値化できとしたらその値は限りなく零だ。どうしようもなく。
それを笑い話のネタにしようとして、しかし失敗した。
鈍く擦れるような痛み。
鈍痛のようで痛痒のような、それでいて胸に刺さる痛みの名は感傷だろうか。
記憶に残る女性の姿は、真剣な表情で。
日々の祈りを欠かさず、恵みに感謝し、けれどそれが形として報われることは無かった。
形を真似るだけだった自分が遊び半分でやればそれを怒り、その重要性を何度も説いた。説かれた内容の上辺でさえ理解できなかった自分は、正しく幼かったのだろう。
でもそんな敬虔な徒であったにも関わらず救いは無く。
―――この世界に神様なんて居ない。
そんな風に生意気に思ったガキが確か居たよなぁと。
きっと御布施が足りなかったんだな、貧乏だったしと軽薄な揶揄は、一瞬の内に重厚な憎悪へと反転する。
何度、幻視しただろう?
燃える田畑。崩れゆく家屋。逃げ惑う村人達。その無念が炎になって、まるで自分が焼かれているような錯覚に陥る。
憎めばいい。いくらでも。一人生き残った自分を憎む資格が、貴方達には有る。
だがそれ以上に。
「―――」
最後に見せた微笑みを思い出すだけで、怒りに視界が潰れる。
生きて、と。
その遺された言葉だけで世界の全てを憎んでいける。
運命も神も、姉が失われたこの現実にも。自分がまだ生きている事実さえ。
こんな昏い感情を植え付ける為にその言葉を遺した訳では無いと、分かっているけど。
生意気なガキが、どんな気持ちで神など居ないと断じたのか。
それを想い、思い出すだけで簡単にドブ川のような思考に浸れる。
「マスター?」
「ん? ―――ああ」
声を掛けられ、意識を現実に戻す。没頭し過ぎだ。
「大丈夫なのか?」
「まぁ、多分、なんとかね」
苦笑で誤魔化す。
例え念話ができてもその胸の奥底が見えるわけでは無い。要は会話を音では無く思念を通して行っているだけで、表層に現れる表情や雰囲気が電話より明確に感じられる程度のものでしかない。
それに安堵を許す一方で、他者にこの感情の機微の無意味さを説いて貰いたい気もする。
「まぁ、とりあえず行ってくるわ」
「ウム、道中気をつけて」
「おう」
言って走り出す。
とりあえず、ロキは家で待機させておく方がベターだろう。家人を欺くと言う意味で。
大した事にはならないだろうという楽観もある。
本職でもないので大した事は出来ないだろうという予測もある。
大体、そういう判断が裏目にしかならないんだよなぁと自分の人生に苦笑して夜道を駆ける。
行先は学校だ。