空気の冷たさで目が覚める。どうやら仰向けに寝かされているらしい。
明け方の空が広がっている。左手を空に向けて伸ばしてみるとサイズの合わない服の袖が、だらりと顔に掛かる。
「・・・・・・」
煩わしいと思い袖を捲くり、気を取り直して、もう一度左手を空に向かって伸ばす。そして手の甲を凝視する。
何の変哲も無い左手の甲だ。何も浮いていないことを確認すると焦点を空に向ける。今日も秋晴れのいい天気になるだろう。
遠く、空に手が届きはしないかと手を握ってみる。しかしその手は空を切る。
「当たり前、か」
小さな呟きが朝の風に流されていく。
もう一度、目を閉じて息を吐く。そして思うことは・・・・・・
「・・・・・・腹減った」
体が空腹を訴えていた。やれやれ、とんだお使いになったものだ。
こうしていても始まらないので、動こうと思い、体を起こす。そして辺りを見回す。
「・・・・・・」
多分、結界に取り込まれる前に戦闘していた場所―――だと思う。
「・・・・・・」
冷静に考える。
(アレ? これって迷子じゃねぇ?)
そう認識すると嫌な汗を背中にかく。戦場を移すことに夢中で道順など覚えているわけが無い。更に嫌な汗をかく。
そして考えることを破棄してもう一度寝転ぶ。
(腹は減ったし、迷子だし、考えても道順なんて思い出せないし、面倒くせ〜)
最後に詰めが甘いのがいかにも自分らしいなと苦笑する。さてと、どうしたものか。
流れる雲をボケーっと見ていると、横から急に生えたサクラに顔を覗き込まれる。
「目は覚めてるみたいね」
どうやら中身はまだ月子のままのようだ。
「んー」
生返事を返す。
「これからどうするの?」
「んー」
とりあえず食料でも探すかなぁと漠然と考えみる。
「体の調子は?」
「んー」
「・・・・・・頭、大丈夫?」
生返事を繰り返していたら怪訝そうな声で尋ねられた。
「んー」
しかしそれにも生返事で返す。
少し沈黙があって、
「あー、えーと、その、助けてくれてありがとう」
はにかみながら月子は言う。
「んー」
「あのね、その―――信じてくれて嬉しかったよ?」
「んー」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
再び沈黙が辺りを支配する。
「アンタッねぇ・・・・・・」
月子がドスの効いた声になる。
「生返事ばっかりしてないで、なんか言いなさいよ!!」
「・・・・・・なんか」
流石に堪忍袋の尾が切れたのか月子が握り拳を作る。特にそれに反応することも無く、相変わらずボケーっと空を見上げ続ける。反応がないので気が削がれたのか握り拳を下ろす。が、直ぐにニヤリとした笑みを作る。
月子の顔が近づいてきて、優しく頬を両手で固定される。そして自分の唇を重ねようとして来たので不機嫌な声で尋ねる。
「何しやがる?」
「いやぁ、魔素が足りないようだから少し分けてあげようかと思って・・・・・・」
ニヤニヤと厭らしい顔で言ってのける。
「やめろ、この痴女。俺は、清純純情可憐派美女が好みなの!! 年増の痴女は守備範囲外!!」
「ふ〜ん。ユキやサクラみたいな?」
言って頬を離すと相変わらずニヤニヤと厭らしい笑みで質問してくる。セクハラ上司かとツッコミを入れようか悩む。
しかし、そう問われれば、確かにユキとサクラはそんな感じだなぁと改めて思う。今まで状況が余りにハード過ぎてそういうことを気に掛ける余裕も無かったのだと実感する。
「・・・・・・と言うか、他人の体に乗り移って、勝手に唇重ねるなんて、アンタ最悪だな」
そう言うと心外そうに、
「あら? シュウだってユキに無理矢理キスしたじゃない?」
体を起こし反論する。
「ちゃんと事前に承諾はとってあるから無理矢理じゃあねぇよ」
まるで子供の口喧嘩だ。
「あら、でもキスするとは言ってないでしょ? あれだって女の子に対して最悪じゃない? 女の子にとってファーストキスは大切な思い出なのよ? それを無理矢理だなんて・・・・・・」
さも不憫そうに泣きまねをしてみせる。
「そもそも、ファーストキスかどうかなんてわかんねぇだろうがっ!?」
「あら? 確かこの子達はまだだったはずよ?」
「なんで、アンタがそんなこと知ってるんだ!? 更に言うならアンタもっと最低じゃないか!!」
「そう? 二人きりの空間で濃厚な熱〜い、ファーストキス・・・・・・ロマンチックじゃない? いい思い出だわ〜」
クネクネという表現がふさわしい夢見る乙女のような口調で言ってのける。
(ファーストキスが濃厚で熱いって、どこがロマンチックだよ!?)
と言うツッコミが咽元まで出掛かるが、溜息を吐くことで我慢する。不毛な言い争いに、更にネタを与えたくない。
誰かこの痴女を何とかしてくれと本気で思う。
もう一度溜息を吐いて真顔にする。
「アンタに一つ言っときたいことがある」
「なぁに?」
相変わらずのノリに顔を
「アンタには俺を名前で呼んで欲しくない」
遠まわしな、けれど確固たる拒絶。
「・・・・・・」
月子の表情が曇るが、すぐに
「じゃあ、なんて呼んだら良いのかしら?」
興味ないと言った感じで答える。
「お好きなように」
それに対し月子はその言葉を待ってましたと言わんばかりに
「ふふ、じゃあシュウって呼ぶわ」
その言葉を無視して、
「アンタでも、テメェでもご自由に。なんなら糞餓鬼でも小僧でもいい」
硬い声のままで、
「一時的には信用した。そして行動で信頼は返して貰った。けど完全に信用したわけじゃないし、最後のリュウの台詞も気になる」
「・・・・・・」
「・・・・・・本当にあんたは一体何者なんだ?」
そう質問したが、答えてはくれないだろうなと思う。案の定、
「それは言えないわ」
とだけ言うと目を逸らす。そして朝日を眩しそうに見つめる。
「そろそろお別れの時間ね」
そう言って何事も無かったかのようにウィンクする。
「だったら違う質問に答えてくれ」
「あら、なにかしら? ほんものの体のスリーサイズでも聞いときたいの?」
月子の戯言を再び無視し、真っ直ぐ瞳を見つめたまま尋ねる。
「なんであの時自分を売ってまでヨウブツを倒そうとしたんだ?」
「・・・・・・」
疑問だった。
自分から身を売るという行為は簡単そうに見えて、実はとても危険なことだ。悪魔との契約にも時に肉体を触媒とするが、魔法を使い、呪術的な意味も含めて身を売れば死すら、自由にならない。生涯自由を得ることはない。
そしてあの状況は確かに切羽詰ったものであったかもしれないが、逆に言えば身を売ってまでどうにかするほどのものでもなかった気がする。実際元の体になればなんとかなるらしいし。
「・・・・・・かな?」
「え?」
小声で聞き取れず、聞き返すが望んだものとは明らかに別の台詞がくる。
「そうねぇ、鬼を浄化しときに咲いた花の名前わかる?」
いきなり問いを返されて言葉に詰まる。発光していて普通ではなかったがあの黄色い花は・・・・・・
「たんぽぽ?」
「じゃあその花言葉は解るかしら?」
そう言って微笑む。
(そんなの知るわけ無いじゃないか!!)
不機嫌そうな気持ちが顔に表れたのだろう、月子はクスクスと笑いながら喋る。
「それがヒントよ。―――女の子に花でも贈る気があるなら全部とは言わないけど花言葉、覚えといて損はないわよ?」
悪戯っぽい顔で笑う。
「贈ることなんかないから、そんな知識要らん!!」
ムキになって言い返す。
「そう、それは残念ね。でも今度会う時は一応期待しとくわ」
そう言ってまたウィンクをする。
「勝手に期待しとけ」
付き合いきれん。
「そうそう、美咲に場所を伝えといたから、もう直ぐ救助が来ると思うわ」
「そりゃあどうもわざわざスミマセンネ」
可愛くないなぁ、と月子はぼやくと
「それじゃ、またね」
と小さく手を振る。
「二度と会わないことを神に祈っとくよ」
月子は困った顔でそれは意味ないかもと呟くと目を閉じる。すると突然体が傾きだす。
「!?」
地面に倒れる直前になんとかキャッチ。
(唐突過ぎるっつーの!!)
ヤレヤレと溜息を吐く。
(なんか、もう一気に疲れた)
グッタリした気分でいると、サクラが目を開け微笑む。そして、
「実は私もアレがファーストキスだったのよ?」
中身がまだ月子であると理解より早く、一瞬唇が重なる。
一瞬頭が真っ白になり混乱する。
そしてやられた、という想いが最初に沸きあがる。不意打ちもいいところだ。
「それじゃほんとに、これでお別れね。今の感触、覚えといてね」
またウィンクをすると再び目が閉じられる。
「・・・・・・」
文句を言う暇も無かった。まだ少し頭の中が混乱している。そして何故か悔しいと思う。何に対して悔しいと思ったのかもわからないが、とりあえず地団駄は踏んでおいた。
ゆっくりとサクラの体を地面に寝かせ、自分も寝転ぶ。助けが来るまでゆっくりしていようとボンヤリ思う。そして青くなりつつある空を見つめる。
色々と考えることは山済みだ。シンジュツのこと。ヨウブツのこと。ジョウカのこと。ドラゴンの言葉。そして月子と言う存在―――。
これからこの星で生活していく上で色々学ばなければならないだろう。それらを含め、なんとか頑張って生きて行こうと思う。
世界の真理は未だ見えず、覚醒することへの恐怖もある。それでも・・・・・・
「それでも僕は今ここに生きているんだから」
少年の言葉は風に流されることなく、真っ直ぐに青い空へ昇って行った。
◇ ◆ ◇ ◆
遠く、少年の名を呼ぶ声が聞こえる。起き上がろうと少年は動くが疲れていたのだろう。ゆっくりと目蓋が閉じられる。そしてそのまま深い眠りについてしまった。
まだ少年は知らない。世界は少しずつ動き始めていることに。そして少年がその動きに大きく関わっていくことに。
たが今は、切に願う。安らかな寝顔のまま、どうかもう少し、この状況が続くように。
星暦2076年仲秋、救世主と呼ばれた少年のささやかな決意と新たな始まり。